図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

公立図書館の団体貸出(1)地域のグループや施設への貸出

団体貸出とは

 公立図書館が、地域の学校、自治会などの組織、福祉施設や職場、グループや団体などに資料を貸し出すことを、団体貸出といいます。団体の実態は、数人のグループから児童・生徒が数百人の学校まで、さまざまです。ですから、このばあいの《団体》は、《人の集まり、人の集まるところ》を便宜的にひとくくりする言葉として捉えるのが適当だと思います。

 『日本の図書館:統計と名簿 2020』によりますと、全国の市区立と町村立の図書館に登録している団体の数は、合わせて184,126+26,566=210,692です。

 それらの団体が2019年度に貸出を受けた冊(点)数は全体でおよそ2430万冊(点)でした。それに対して同じ年度に個人が貸出を受けた冊(点)数は6億3763万冊(点)で、両方を足しますと6億6193万冊(点)になります。よって、団体貸出冊(点)数が公立図書館の貸出全体に占める割合は、3.67%にしか過ぎません。(1)

 では、構成員が何人以上なら団体として認められているでしょうか。

 ウェブサイトに団体貸出の情報があった520館(520の自治体の図書館。以下同)中、団体の構成員の数に触れている図書館は41館(7.9%)で、ほとんどの図書館は団体の人数の下限についてウェブサイトで触れていませんでした。その中では「5人以上」がもっとも多く、次に多いのは「10人以上」で、41館のほとんどが5人以上か10人以上のどちらかです。(2)

 構成員の数を最も少なく「2名以上」としているのは高槻市立図書館(大阪府)です。その「よくある質問」には、「読書活動の推進を目的とし、市内に本拠地や活動の範囲があり、構成員が2名以上で、団体の代表者が高槻市に在住・在勤・在学する場合を団体と扱い、団体貸出券を発行します」とあります。また、川越市立図書館(埼玉県)では「常時2名以上が所属し、定期的に活動を行っている団体」に限るという条件をつけています。

 稲城(いなぎ)市立図書館(東京都)のばあいは、「市内で活動をしている市民団体」「5人以上の構成員」「構成員の半数以上が稲城市民であること」を条件に団体貸出をしています。ほぼ同じような条件の東久留米市立図書館(東京都)のばあいは、「市内在住の構成員が1名以上いること」としています。

 世帯数を条件に加える図書館もあります。

 大阪市立図書館の「資料の団体貸出に関する内規」には、「団体の構成人数は2世帯以上で5名以上とする」とあり、新居浜市立図書館(愛媛県)の「利用案内」では、団体貸出の対象とする団体を「新居浜市で活動している、3世帯(10人以上)のグループ」としています。これは「3世帯以上で10人以上のグループ」という意味だと思われます。

 

貸出を受けている団体の種類

 団体貸出の対象を具体的に数多く列挙している代表的な例は次のとおりです。

 ①小山(おやま)市立図書館(栃木県)の「利用できる団体」は、

 各学校・学級単位、幼稚園、保育園、保育所福祉施設、家庭文庫、子ども会、読書会、読み聞かせの会、学童保育会などとなっています。子どもをおもなターゲットとしていることがうかがえる例ですね。

 ②足立区立図書館(東京都)は、「団体とは」で団体貸出の対象を次の6種類に分けています。

 1.官公署

 2.学校、PTA、幼稚園

 3.保育所、児童施設、老人施設、病院、学童保育室、学校図書館ボランティア、児童サービスボランティアその他これに類似する団体

 4.社会教育団体

 5.会社、企業、NPO法人

 6.町会、地域・家庭文庫及び読書会等で図書資料を使用する団体

 ③新潟市立図書館の「利用できる団体」も幅広く網を張っています。

 PTA、ひまわりクラブ、幼稚園・保育園、自治会、町内会、地域の茶の間、子ども食堂福祉施設、ボランティアグループ、会社、商店、NPO法人、サークル等 (3)

 ここには学校への団体貸出が入っていませんけれど、学校用のとてもくわしい案内が別に用意されています。

 ④岡山市立図書館の「対象団体」には、20人以上の利用者があることを原則とするという条件つきで、次の10例が示されています。

 地域文庫、家庭文庫、町内会、婦人会、子ども会、学校、幼稚園、保育園、各PTA、児童館など。

 

 これらを参考にして、貸出を受けている団体を区分しますと、おおむね次のようになります。念のために申し添えますと、各図書館は以下のAからIまでのすべてを団体貸出の対象としているとは限りません。

A. 教育機関

 幼稚園・小学校・中学校・高等学校・特別支援学校

 (今回のウェブサイト調査では高等学校の例示が13件あり、そのほとんどが「小中高校」という表現でした。)

B. 子どものための福祉施設

 未就学児のための施設(保育所子育て支援センター・託児所など)

 学童のための施設(児童館・子ども園・学童保育所・学童クラブなど)

C. 文庫活動団体

  地域文庫・家庭文庫・貸出文庫・子ども文庫など

D. 読書関係の団体

 読書会・おはなし会・実演や読み聞かせのグループなど

E. 一般のグループやサークル

 PTA・地域のサークルなど

F. 地域住民の組織

 自治会・町(内)会など

G. 自治体の各種施設

 学習センター・交流センター・文化センター・公民館など

H. 一般の福祉施設と医療施設

 福祉施設・病院・高齢者施設

(今回のウェブサイト調査では病院の例示が12件ありました。)

I. 地域の職場

 企業(会社・事業所)・官公署など

 

他の自治体の団体への貸出

 当ブログでは、公立図書館が他の自治体の個々の住民に貸出をする「広域利用」についてご紹介したことがあります(20180424)。その後(きちんと調べてはいませんけれど)、その傾向がいっそう強まっているのではないかと感じています。では、他の自治体の団体に資料を貸し出す例はどうでしょうか。

 見つかったのは次の4市2町の図書館でした。

 ①登別市立図書館(北海道)

 「登別市室蘭市伊達市(西いぶり3市)の学校(クラス単位も可)・幼稚園・保育所・事業所・機関又は団体・グループ」が団体貸出の利用対象。

 ②東浦町中央図書館(愛知県)

 「町外(知多地域の市町、刈谷市及び高浜市)で読書活動する団体、施設」へも団体貸出。

 ③大阪市立図書館(大阪府

 「大阪市内及び八尾市内に所在する学校、幼稚園、保育所、病院、福祉施設社会教育施設。及びこれに類する施設」が利用できる団体。

 ④里庄町立図書館(岡山県

 「里庄町内、浅口市内の学校・各団体・事業所などが、利用者として登録できます。」

 ⑤今治(いまばり)市立図書館(愛媛県

 「主たる活動場所が今治市・上島{かみじま}町であり、市内在住者がいる団体に限ります。」

 ⑥佐賀市立図書館(佐賀県

 「団体貸出とは、佐賀市立図書館が佐賀中部広域連合の市町内※に活動場所があるお話しサークル、子ども文庫、読書会、公民館、福祉施設、保育園、幼稚園、学校などのグループ(団体)を対象に長期間、まとまった数の資料の貸出を行うサービスです。

佐賀市多久市小城市神埼市・吉野ケ里町」

 

団体貸出の実施率が高い都道府県

 団体貸出をしている公立図書館(市区町村立図書館)の割合を都道府県別に見ますと、次のような結果になりました。これは、ウェブサイトに団体貸出にかんする情報が載っていた割合の高かった都府県です。

 ①大阪府=69.8%  ②東京都=69.4%  ③滋賀県=57.9%

 ④愛知県=52.8%  ⑤埼玉県=52.4%  ⑥千葉県=50.0%

 ⑦宮崎県=48.0%  ⑧広島県=47.6%  ⑨山口県=47.4%

 ⑩新潟県=46.7%

 

貸し出す資料

 ほとんどの図書館で、図書(本)が団体貸出の中心になっています。それ以外の資料で多いのは、おもに学校や読書支援活動グループに貸し出す紙芝居、視聴覚資料(CDやDVDなど)、大型絵本などです。

 団体貸出を特徴づけるのは、読み聞かせや実演の行事に使う用品・機材の貸出です。それらを貸し出すことを確認できた20館ほどの中で、よく例示されているのはパネルシアターとエプロンシアターの用品でした。具体的な物品をもっとも多く挙げていたのは糸島市立図書館(福岡県)で、次のとおりです。

 シアターセット(パネル、パネル台、ブラックライト)

 人形劇セット(舞台、舞台スクリーン、舞台袖用衝立、舞台用ポール入れ、幕、黒子頭巾、黒手袋)

 影絵スクリーン(影絵スクリーン用三脚、オーバーヘッドプロジェクター

 紙芝居舞台

 

貸出冊(点)数

 1団体に貸し出す冊数・点数の上限をウェブサイトに記載していた図書館は、全国で344館でした。割合の多い順に並べますと、次のようになります。

 100冊(点)=38.1%  50冊(点)=32.8%

 200冊(点)=12.5%  300冊(点)=7.3%

 500冊(点)=4.4%   1000冊(点)=2.6%

 100冊(点)と50冊(点)という上限で70%以上になりますね。冊数・点数を無制限とする図書館は全国で8館(限度を記載している図書館の2.3%)ありました。なお、貸出冊(点)数の上限を団体によって変えている図書館は少なくありません。

珍しい例を少しご紹介しましょう。

 大崎市図書館(宮城県)の貸出冊数は、個人への貸出が「読める冊数」(2週間以内)で、団体への貸出が「使う冊数」(1か月以内)となっています。

 東大和市立図書館(東京都)の団体への貸出冊数は「本・雑誌・紙芝居」が「999冊、3ヶ月」で、「CD・カセットテープ」が「12点、1ヶ月」。珍しいのは999冊という貸出冊数です。一方、CDやDVDのような視聴覚資料はどこの図書館でも貸出点数の上限が低く、12点まで貸す例はむしろ少ないように思われます。

 5館からなる宇都宮市立図書館(栃木県)では、ひとつの団体が3館から合わせて500冊まで、残りの2館から100冊、200冊まで借りることができます。合計で800冊が上限ですね。

 3館からなる八代(やつしろ)市立図書館(熊本県)の団体貸出では、「1団体が3館からそれぞれ300冊まで、2ヶ月以内」の条件で借りることができます。このばあいは合計900冊が上限になります。

 団体の構成員の人数をもとに貸出冊数とその上限を決めている図書館があります。

 東京都の江東区立図書館(1人当り5冊)、東久留米市立図書館(構成員数×3冊、上限100冊)

 静岡県静岡市立図書館(構成員数に5を乗じて得た冊数、上限300冊)

 愛知県の知多市立図書館(構成員の3倍まで、上限300冊)、東海市立図書館(構成員の3倍以内、上限100点)などです。

 

貸出期間

 公立図書館の個人への貸出は2週間や3週間が多いのに対して、団体への貸出は(図書にかんする限り)より長期間になるのがふつうです。今回の団体貸出の調査では、次のような結果になりました。%は学校以外の一般の団体貸出期間を例示している355館中の割合です。

 1か月まで=65.4%  2か月まで=17.2%

 3か月まで=11.0%  6か月まで=2.5%

 団体貸出のばあい、貸出先や資料の種類によって貸出期間を変えている例が多く、たとえば、学校への貸出期間はそれ以外の団体よりも概して長く、CDやDVDの貸出は図書とくらべて概して短くなっています。

 なお、貸出冊数と貸出期間については、「ご相談ください」などと添え書きしている図書館が15館ほどあります。決まりはあるけれども要望を聞いて融通をきかせるばあいがあるのではないかと思われます。

 

参照文献と注

(1)『日本の図書館:統計と名簿 2020』(日本図書館協会、2021年)

(2)団体貸出にかんする調査の概要は次のとおり。

 実施時期は2020年~2022年、調査対象は全国の市区町村立図書館、調査方法は各図書館のウェブサイト検索、団体貸出について何らかの情報を得られた図書館は520館(520市区町村の図書館)。

(3)新潟市立図書館の貸出対象団体にある「ひまわりクラブ」は「放課後児童クラブ」のこと。「地域の茶の間」は市が推し進める地域の交流拠点のことで、実際の名称はさまざま。

公立図書館の返却遅れ(延滞)を減らす試み(外国のばあい)

 今回は、資料の返却遅れ(延滞)を減らすための努力の外国版です。

 調査対象は23か国の100市の図書館、そのほとんどがヨーロッパ、アジア、北アメリカにあり、内訳は次のとおりです。

17市=アメリ

7市=ドイツ

6市=イギリス、ニュージーランド

5市=オーストラリア、オランダ、カナダ、中国、デンマークフィンランド、フランス

4市=韓国、スイス、スウェーデンノルウェー

3市=アイルランド

2市=ハンガリー、フィリピン、ロシア

1市=アイスランドイスラエル、インド、タイ

 調べは各館のウェブサイトにより、時期は2022年3月、内容は資料の返却についての注意喚起、返却の督促、延滞に対する罰金です。

 

(1)資料の返却についての注意喚起

 延滞を防ぐ第1ステップは、図書館の利用者が貸出・返却についての規則を知ることです。規則の周知方法はいくつかありますけれど、ウェブサイトへの掲載は図書館へ足を運ばなくても分かり、いつでも確認できるという利点がありますね。

 

①ウェブサイトの延滞関連情報

 図書館がウェブサイト内のサービス案内、FAQ(よくある質問)、利用規則などで期限内の資料返却について注意喚起をしているのは日本と同じで、日本と少し違うと感じたのは、次の3点でした。

 1. 外国のばあい、公立図書館のルールや規則がウェブサイトで比較的簡単に見つけられるのに対して、日本のルールや規則は年次報告類に含まれている例が散見され、見つけるのに手間がかかる。

 2. 日本の図書館の利用規則は時にむずかしい法律のような文章になっていて、判読しなければならない。それに対して、外国の規則はおおむね分かりやすく表現されている。

 3. 日本の図書館の注意喚起はしばしば《お願い》調で書かれているが、外国の注意喚起には《お願い》というニュアンスがなく、借りた資料を大切にあつかい、それを期限内に返却することが《借りた人の責任》だということを簡潔・明瞭に伝えている。

 

②返却期限日の予告と自動更新

 延滞を防ぐための第2のステップは、返却期限の予告サービスでしょう。図書館のIT化が進み、スマホやパソコンをもつ人が増えていますので、このサービスは手間がかからない上に、有効だと思われます。ただし、それを必要ないとか煩わしいと感じる人もいるため、ほとんどの図書館は希望者に対する無料サービスとしています。

 日本では、ウェブサイトに延滞関連情報があった174館のうち、返却期限日が近いことを利用者にメールで知らせていたのは4館だけ(2.3%)でした。外国では、ウェブサイトに延滞関連情報があった100館のうち、返却期限日が近いことを利用者にメールで知らせていたのは12館(12%)でした。

 珍しい例をふたつご紹介します。

 延滞罰金を廃止したメルボルン市立図書館(オーストラリア)では、図書の貸出冊数上限が50冊、貸出期間は21日、貸出の更新は4回まで可能です。珍しいのは、図書館が返却期限日の予告メールを7日前、5日前、3日前に出すことです。延滞を減らそうという意図がはっきりしていますね。

 2022年1月に延滞罰金を廃止したピッツバーグカーネギー図書館(アメリカ)も珍しい試みをしています。この図書館の利用者は、999冊(点)の資料を3週間の期限で借りることができます。他の人からの予約が入っていない限り、何と6度まで貸出の更新ができます。そして「返却期限を守れなくなるのを心配する必要はありません。貸出の更新をしてもよい資料{予約のない資料}は、返却期限日かその少し前に自動的に更新されます」というわけで、ここまでユーザー・フレンドリーにされると、利用者は延滞で図書館を困らせにくくなりますね。

 借りている資料に他の人からの予約がない限り、5回まで貸出を更新できる図書館があります。オーストラリアのキャンベラを含む首都圏図書館、フィンランドエスポー市とラハティ市の図書館です。いずれも普通図書の貸出期間が28日間なので、予約が入らない限り、1度目の更新をするまでの28日を加えれば28日×6=168日も借りつづけることができる計算です。

 

(2)返却の督促

 図書館からの返却督促は、延滞を減らすための第3ステップです。

 100館中の26館(26%)が返却の督促についてウェブサイトに記載していました。日本では延滞関連情報がウェブ上で確認できた174館中の20.1%が督促について記載していましたから、割合は大差ないことになります。

 今回調べた外国の図書館の督促回数は1回から4回まであり、多くは2回または3回で、最初の督促時期で最も多いのは、期限の7日後(1週間後)でした。返却期限後、数日のうちに返却する人が少なくないので、しばらくは様子をみるということでしょうか。

 最も早い督促の例は期限切れの翌日で、ウォーターフォード図書館(アイルランド)とメルボルン市立図書館(オーストラリア)でした。複数回の督促を行なう図書館で最終督促が最も遅いのは60日後のデリー公共図書館(インド)、ついで50日後のミュンヘン市立図書館(ドイツ)、49日後のクリスティアンサン公共図書館ノルウェー)などで、この3館は督促と同時に代替資料入手費用または/および督促料の請求書を送るようになっています。

 日本との違いを感じたのは、督促を行なう時期や回数、通信手段、督促料金(手数料)などが利用者に分かりやすく書かれている点です。

 スイス、スウェーデン、ドイツ、ノルウェーフィンランドなどの図書館では督促料金を請求しています。中でも、スイスのチューリッヒ中央図書館のばあい、1資料当りで督促料金を請求され、1,2回目に資料当り5スイスフランを請求される督促料金が最終の3回目には資料当り倍額となります。

 このように、督促の回数がふえるにしたがって(ということは延滞期間が長くなるにつれて)督促料金が高額になるのは、他の国でも珍しくはない傾向でした。「いい加減にしてください」という罰金的なニュアンスが込められているのでしょう。

 

(3)資料を延滞した人への罰金

 資料の延滞者に罰則を適用するのが、延滞を防ぐ第4かつ最終ステップです。ここでは罰則を大きく《罰金》と《貸出停止》に分けてご説明します。

①延滞に対して罰金を科している図書館

 罰金を科すことがわかったのは、21か国の67館(67%)で、罰金を科す図書館が見つからなかった国は、アイルランド(3館調査)と韓国(4館調査)でした。

 調査した図書館数が他の国とくらべて特に多くなったのはアメリカです。その理由は、①近年、アメリカでは罰金を廃止する公立図書館が増えてきた、②おおむねウェブサイトが充実していて情報が詳しい、③複数の図書館が罰金を廃止した理由を説明している、などです。

 以下は罰金を科す図書館が見つかった国と図書館数で、表記は、「国名=罰金を科す図書館数(調査した図書館数)」の形になっています。また、督促料や督促手数料を名目として図書館がお金を徴収する例も罰金とみなした結果です。

アイスランド=1(1) アメリカ=2(17)

イギリス=6(6) イスラエル=1(1)

インド=1(1) オーストラリア=1(5)

オランダ=5(5) カナダ=4(5)

スイス=3(4) スウェーデン=4(4)

タイ=1(1) 中国=5(5)

デンマーク=5(5) ドイツ=7(7)

ニュージーランド=3(6) ノルウェー=3(4)

ハンガリー=2(2) フィリピン=2(2)

フィンランド=5(5) フランス=5(5)

ロシア=1(2)

 

②図書館が罰金を廃止したいくつかの理由

 1. 罰金はマイナス効果をもたらしている

 罰金は少額であっても、低所得の個人や家族にとっては負担である。(カンザス公共図書館スウォンジー公共図書館

 その結果、罰金を払えない人たちが図書館を利用しなくなっている。(シアトル公共図書館

 ということは、罰金が図書館へのアクセスを不公平に制限していることになる。(サンフランシスコ公共図書館ピッツバーグカーネギー図書館)

 「罰金が図書館の利用者にとって障壁となることを望まない。」(ニュージーランドクライストチャーチ市立図書館長)

 2.罰金は期限内返却の促進にとって必ずしも有効ではない

 罰金を(テスト的に)廃止しても、延滞は増えなかった。(サンフランシスコ公共図書館ピッツバーグカーネギー図書館)

 罰金を廃止した図書館が、「罰金は返却率にインパクトを与えない」(シアトル公共図書館)こと、言い換えれば「罰金は期限内返却の効果的なインセンティブではない」(スウォンジー公共図書館)ことを証明した。

 3.罰金の廃止には意義がある

 罰金の廃止はコミュニティのより多くの人たちが図書館の資料、資源、サービスにより多くアクセスすることを意味する。(カンザス公共図書館

 「図書館の罰金廃止が意味するのは、メルボルン市図書館を利用するすべての人が、私たちの多くのすばらしい資源を障壁なく利用する機会を得たということ。」(オーストラリアのメルボルン市立図書館)

 4.すでに多くの図書館が罰金を廃止している

 多くの公共図書館が罰金廃止に舵を切っている。(スウォンジー公共図書館

 Fine Free Libraryという国際的な図書館運動に賛同して罰金を廃止した。カナダのケベック州では、すでにこの運動が始まっている。(カナダのモントリオール図書館)

 5.資料のデジタル化によって罰金が無意味になった(1)

 電子書籍の利用が増えて罰金が図書館コストをカバーしなくなってきた。(シアトル公共図書館

 デジタル化が進む世界では、罰金徴収モデルが廃れつつある。(スウォンジー公共図書館

 6. 罰金の廃止にはプラスの効果がある

 利用者と図書館の関係がより良くなる。(サンフランシスコ公共図書館

 図書館員の時間が最適化され、仕事の効率がよくなる。(サンフランシスコ公共図書館

 罰金の廃止はむしろ図書館資料の利用を増やす。(シアトル公共図書館

 罰金の廃止が利用者サービスと利用者の図書館体験を改善する。(スウォンジー公共図書館

 

③罰金を廃止した年月が明確な図書館(15館)

 調べた中では、以下のように罰金廃止が2019年から急に増え始めたように思われます。

2019年(6館)

ダブリン、ウォーターフォードアイルランド

スウォンジーカンザスデトロイト、サンフランシスコ(アメリカ)

2020年(1館)

シアトル(アメリカ)

2021年(6館)

シンシナティアメリカ) メルボルンシドニー(オーストラリア)

モントリオール(カナダ) オークランドダニーデンニュージーランド

2022年(2館)

ピッツバーグアメリカ) クライストチャーチニュージーランド

 上記で2020年に罰金を廃止したシアトル公共図書館は、2010年に罰金を1資料1日当り15セントから25セントに値上げしたことがあります。(2)

 

④罰金以外の名目で延滞者に費用を請求する図書館(10館)

パース(オーストラリア)=手数料

チューリッヒバーゼルローザンヌ(スイス)=督促料

ヨーテボリ、リンシェーピング(スウェーデン)=手数料

ベルゲン、スタヴァンゲル、クリスティアンサン(ノルウェー)=督促料

リヨン(フランス)=手数料

 

⑤罰金に加えて督促料などを請求する図書館(5館)

シュトゥットガルトドレスデンミュンヘン、ケルン(ドイツ)

ラハティ(フィンランド

 

⑥罰金の科し方

・返却期限日までに返却しなかった1資料につき1日当りで計算するやり方が最も多い。

・1資料につき1週間当りで課金するやり方はヨーロッパの国に多い。

・罰金の上限額を決めている例が多い。

・子どもやヤングアダルトティーンズ)は罰金免除や大人の半額などの例が多い。

 珍しい例をいくつかご紹介します。

 オランダのロッテルダム公共図書館には会員の種類が3つあって、年間の会費が12ユーロ、18ユーロ、56ユーロとなっています。その中で最も会費の高い会員になりますと、同時に20冊(点)を6週間借りることができ、年間を通しての貸出冊数(点数)が無制限、延滞に関しては「罰金なし:他の利用者からの予約がない限り、私たちが自動的に貸出を更新します」ということです。《図書館利用も金次第》の感を否めませんから、つぎつぎと延滞罰金を廃止しつつあるアメリカの図書館員たちが目をむきそうですね。

 タイのバンコク公共図書館の延滞罰金は1資料1日当り2バーツですけれど、延滞が30日を超えると一気に1日当り50バーツに跳ね上がります。

 ドイツのケルン市図書館の延滞料金は1資料1週間につき1ユーロで、11週目から1週間当り25ユーロに跳ね上がります。

 イスラエルエルサレム市図書館の延滞罰金は1資料1か月当り5新シェケルで、予約の多い資料は1日当りで5新シェケルとなっています。

 先に罰金の上限額を決めている例が多いと書きました。それらのほとんどは利用者個人当りの上限額ですけれど、アイスランドレイキャヴィク市図書館では1資料当りの上限額(700クローナ)と1利用者当りの上限額(7,000クローナ)を決めています。

 

⑦罰金の代りに同じ資料の入手費用を請求する図書館

 「同じ資料の入手費用を請求する」とき、図書館は、督促をしても一向に返却されない資料を《亡失とみなす》という前提に立っています。

 以下の表記は、「費用請求を始める延滞日数=図書館のある都市名」です。

7日(1週間)以上=シカゴ、ダラス(加えて手数料)

10日以上=マイアミ

28日または30日以上=シンシナティクリーヴランド、シアトル、スウォンジー

40日以上=ミネアポリス

45日以上=ボストン

60日以上=サンディエゴ(加えて手数料)

 以上はすべてアメリカの図書館で、すでに罰金を廃止しています。

 アメリカ以外では、次の各市の図書館が同じ資料を補充するための費用を請求しています。

ブリストル(イギリス)  デリー(インド)

ブリスベン(オーストラリア)  首都圏(オーストラリア)

ユトレヒト(オランダ)  ストックホルムスウェーデン

バンコク(タイ)  シュトゥットガルト(ドイツ)

オスロベンゲル、スタヴァンゲル(ノルウェー

ラハティ(フィンランド)  マルセイユ(フランス)

サンクトペテルブルグ(ロシア)

 

⑧罰金の取立てや代替資料の費用徴収を代行業者などに委ねる図書館

 2005年ごろからアメリカとカナダでは、未返却資料の回収、罰金の取立て、代替資料を入手するための費用の徴収などを図書館に代わって行なう業者が活躍してきました。国立国会図書館の「カレント・アウェアネス」によりますと、その会社は2005年にアメリカとカナダの750の図書館のために、1年間で「6,400万ドル(76億円)相当の資料・延滞料を回収した」(3)ということです。今回の私の調査でも、アメリカ、イギリス、オランダ、スウェーデンフィンランドなどで、債権回収業者がこのやっかいな仕事を図書館のために代行していました。

 そのほか、市の会計(財務)担当が図書館から引き継ぐとしていたのが、サンディエゴ(アメリカ)、マルセイユとナント(フランス)で、「給与から差し引かれることがある」としているのがコペンハーゲンデンマーク)、法的機関に提訴するとしているのがアムステルダム(オランダ)とオムスク(ロシア)でした。

 

(4)貸出の停止

 貸出の停止には、新たな貸出が受けられないという意味と、いま借りている資料の貸出期間の延長ができないという意味とがあります。調べることができた韓国の4館は資料の延滞を罰金の対象とせず、貸出の停止でとどめています。日本の公立図書館と同じですね。

 貸出停止の罰則を適用する条件は、大きく分けて、科された罰金の額と延滞日数との2種類がありました。たとえば、

 1.罰金が5ユーロ以上(イギリスのエディンバラ)、アカウントの残高が20ドル以上(アメリカのマイアミ)、罰金50クローナ以上(スウェーデンのウプサラ)、罰金10ドル以上(ニュージーランドのハミルトン)

 2.延滞が10日以上(ロシアのサンクトペテルブルグ)、延滞が14日以上(アメリカのシアトル)、延滞が28日以上(フィンランドエスポーとカウニアイネン)

 そのほか珍しいのは、延滞資料が10点以上あると貸出停止になるアメリカのボストンです。

 

まとめ

 外国の公立図書館の延滞にかんする対応も、日本と同様に、総じてバラエティに富んでいるという印象を受けました。

 外国の公立図書館のほうが延滞への対応が厳しい感じがします。その理由は、①延滞に罰金を科す図書館が多いこと、②罰金を廃止した図書館であっても、資料を返さない限り代替資料の入手にかかる費用(手数料をともなう例もある)の支払いを求められること、③それにも応じないばあいは、自治体の会計部門に引き継がれたり、債権回収会社に委ねられたりする例があること、などです。

 

注・参照文献:

(1)図書館の電子書籍貸出システムは、返却期限日を過ぎると自動的に返却処理をするため、利用者が延滞できない仕組みになっている。

(2)「シアトル公共図書館、延滞に伴う罰金を値上げへ」(「カレントアウェアネス」R、20100728)

(3)「資料・延滞料の取り立て代行サービス」(「カレントアウェアネス」R 20060411)

 今回の調査対象となったクリーヴランド公共図書館のウェブサイトでは、延滞罰金などの残高が25ドル以上になると、その債務がユニーク管理サービス(Unique Management Services)に回される、という説明がなされています。

公立図書館の返却遅れ(延滞)を減らす試み(日本のばあい)

 図書館の利用者が借りた資料を返却期限までに返さなかったり、督促をされても返さなかったりすると、図書館はルールを守らない人のために余分の仕事をしなければなりません。とくに返却遅れの資料をほかの人が予約しているばあいは、図書館だけでなく予約者にも迷惑をかけることになります。

 15年ほど前、私は、図書館資料の返却が遅れている人(延滞者)に対して公立図書館がどのような罰則で対応しているかを、調べたことがありました。その結果、日本では①一時的な貸出停止、②一時的な予約受付停止だったのに対して、外国ではほとんどすべての公立図書館が少額の罰金の支払いを求めていました。1日1冊(点)あたりの罰金が少額とは言え、延滞資料の数と日数が多くなれば、年間の罰金総額は図書館の予算をうるおすほどになるのでした。ところが最近、公立図書館の利用が活発なアメリカなどで延滞者に罰金を科さない例が増えつつあります。

 

 というわけで、今回は日本の市立図書館にしぼって、①貸出資料の返却期限についての注意喚起、②延滞者への督促、③返却が遅れたばあいの罰則、この3点の実情を、図書館のウェブサイトを検索して調べてみました。

 時期は2022年1月上旬から2月末まで、対象としたのは市立と特別区立あわせて297自治体の図書館です。この297という数字は、都道府県ごとに少なくとも3自治体で延滞関連の情報を得ようとして、人口の多い順に最低5市、最高10市区にアクセスした結果です。

 各館のウェブサイトの中では、「利用案内」「よくある質問」「図書館からのお願い」「図書館条例施行規則」などを中心に情報を探し、その結果を(1)資料の返却についての注意喚起やお願い、(2)返却の督促、(3)資料を延滞した人への罰則、としてまとめました。

 

(1)資料の返却についての注意喚起やお願い

①ウェブサイトの延滞関連情報の有無

 情報があった館=174(調査した市と特別区297の58.6%)

 情報がなかった館=123(調査した市と特別区297の41.4%)

 ここでいう「延滞関連情報」には、たんに「返却期限を守ってください」と書かれているだけの例を含んでいます。にもかかわらず延滞にかんしてウェブサイトのどの部分でも触れていない図書館が40%以上あったのは、意外でした。

 珍しい例をふたつご紹介します。

 足利市立図書館(栃木県)の「足利市立図書館業務要領」の中にある「図書館資料の返却取扱要領」は、1.目的、2.督促、3.貸出しの禁止、4.亡失等の対処、5.貸出し禁止の解除、6.その他からなり、具体的で分かりやすい、よくできた取扱い要領のように思われます。

 新鮮な感じを受けたのが久留米市立図書館(福岡県)のウェブサイトで、トップページの館名・住所などの下に、大きな文字で次の文言があります。

 「いつも返却期限を守っていただきありがとうございます。

 図書館資料の貸出期間は、15日以内です。

 ルールを守り、みんなで気持ちよく図書館を利用しましょう。」

 《新鮮な感じ》がしたのは、北海道から順番にマイナス・イメージの情報を探しつづけ、福岡県までたどりついて初めてプラス・イメージの呼びかけに出合ったからかも知れません。

②延滞について触れている箇所

 最も多いのは「利用案内」(149館=149の市と特別区。以下同)ですが、同時に「図書館条例施行規則」などの規程類(42館)や「よくある質問」(32館)、「お願い」や「利用マナー」での呼びかけ(6館)などでも触れている例が少なくありません。

 延滞について触れている箇所が最も多かったのは米子市立図書館(鳥取県)で、「利用案内」の中の2か所、「図書館マナーの極意」、「よくある質問Q&A」、「米子市立図書館条例施行規則」の各1か所で触れています。

③返却期限日の予告メール

 次の4館が、返却期限日が近づいた資料を借りている利用者に、その事実をメールで知らせています。現状ではいずれも希望者に限定したサービスで、返却期限日の1日前または3日前に通知しています。

 練馬区立図書館(東京都)=資料ごとに3日前に通知。

 川崎市立図書館(神奈川県)=前日に通知。

 飯田市立図書館(長野県)=1日前に通知。

 富士市立図書館(静岡県)=3日前に通知。

 最近の図書館では、メールによって予約連絡(受付と利用可能通知など)や返却の督促をしている例が増えてきています。返却期限日予告サービスも図書館と利用者の双方にとって有益ではないでしょうか。

 

(2)返却の督促

 督促についてウェブサイト上に何らかの情報があったのは、35市区の図書館(延滞関連情報があった174館の20.1%)でした。

 図書館のウェブサイトにある延滞にかんする表現には、曖昧・不明確なものが少なくありません。資料の返却督促については、「督促する場合がある」「一定の返却期限を過ぎた場合」「一定期間ごとに督促」「一定期間経過後」「返却期限を大幅に過ぎて」「返却予定日を大幅に超過した場合」などがその例です。

 どの時点で督促を始めるかについてウェブサイトに記載しているのは、35館中2館だけでした。「返却期限2週間後に開始」とする足利市立図書館(栃木県)と「一定期間経過後」に電話で督促をし、「返却期限日から3週間経過後」にハガキで督促する鹿児島市立図書館(鹿児島県)です。

 どのような手段で督促をするかについて触れている図書館は35館中に20館ありました。最もよく使われる手段は電話(9館)、ついでメール(5館)とハガキ(5館)です。ほかに督促状、返却催告書、図書館資料返納通知書、文書などの用語を使っている図書館があります。練馬区立図書館(東京都)は自動音声の電話で督促をするとしています。

 多くの図書館が複数の督促手段を挙げている中で、なかなか返却しない人に対して段階を踏んで督促をすることが分かる図書館は、次のとおりです。

 4段階=足利市立図書館(栃木県) ハガキ⇨電話⇨督促状⇨自宅訪問

 2段階=和歌山市民図書館(和歌山県) 電話・メール⇨督促状

     武雄市図書館(佐賀県) 電話・メール⇨督促状

     鹿児島市立図書館(鹿児島県) 電話⇨ハガキ

 (注:和歌山市武雄市は3段階の可能性もあります。)

 

(3)資料を延滞した人への罰則

 延滞した人への罰則についてウェブサイト上に何らかの情報があったのは、152市区の図書館(延滞関連情報があった174館の87.4%)で、罰則について何も言及していないのは22市の図書館(12.6%)でした。

 152館の多くは、①貸出停止(118館)、②予約・リクエストを受けつけない(58館)、③貸出の延長・継続をうけつけない(45館)の3種類のうち、2~3種類を組み合わせています。3種類のサービス停止をひっくるめて、あるいはそれらに別のサービス停止を加えて、「図書館の利用停止」「利用カードの停止」「登録取消」「資料の利用停止」などの表現をしている図書館が、あわせて19館あります。

 以下、延滞者への罰則にかんして何らかの特徴がある例をご紹介します。

 

①罰則の適用が早い例

函館市中央図書館(北海道)

 延滞1日=新規の貸出禁止、新規の予約・リクエスト不可、延長不可

北見市立図書館(北海道)

 1日の延滞=新規の本の予約・リクエスト不可

豊田市中央図書館(愛知県) 

 延滞2日=貸出・リクエスト(予約)停止

鳥取市立図書館(鳥取県

 延滞1日=新規予約不可

 延滞15日=新規貸出停止

 

②罰則(貸出停止)の適用が遅い例

返却期限から95日以上

 浦安市立図書館(千葉県) ただし予約不可が先行する。

返却期限から3か月後

 加古川市立図書館(兵庫県)=概ね3か月(90日)

返却期限から2か月後

 気仙沼市図書館(宮城県)など10館

 

③罰則が段階的に強まる例

函館市中央図書館(北海道)

 「利用案内」の「図書館とのお約束」の「返却を忘れてしまった場合」

 延滞1日=新規の貸出禁止、新規の予約・リクエスト不可、延長不可

 延滞3週間=督促を開始

 延滞4週間=予約・リクエスを取消し。返却しても予約・リクエストは回復せず

北見市立図書館(北海道)

 「利用案内」の「返却期限をお守りください。」

 1日の延滞=新規の本の予約・リクエスト不可

 15日の延滞=新規の貸出不可

大田区立図書館(東京都)

 「利用案内」と「よくある質問」にある説明

 短期貸出停止=延滞4週間で新規貸出と予約受付を停止

 長期貸出停止=延滞4か月で6か月間貸出停止

多治見市図書館(岐阜県

 「多治見市図書館資料運用規程」の(貸出し停止)第11条

  2か月以上の延滞=貸出を停止できる

  6か月以上の延滞で返却した者=3か月の範囲内で貸出を停止できる

名古屋市図書館(愛知県)の「利用案内」と「図書館館則」

 延滞が1か月以上=新たな貸出不可になることがある

 延滞者=一定期間貸出し停止または「個人貸出券を無効または貸出券の再交付不可」

 督促しても返納しない者=亡失とみなし、代品または相当の金で弁償

大阪市立図書館(大阪府

 「図書館資料利用規程」(資料利用の制限)第13条

  (2)資料の利用期間の末日から起算して15日以上経過してもなお返却しないとき

  (3) 資料の利用期間の末日から起算して2月以上を経過して返却したとき

 「資料の利用を断り、又は制限し、若しくは停止することがある。」

八尾市立図書館(大阪府

 「利用案内」の「資料を返す」

 延滞日数:21日以上=停止期間:延滞資料が返却されるまで借出停止

 延滞日数180日以上=停止期間:延滞資料が返却されてから30日間借出停止

 

④「貸出をしない」と受け取れる例

仙台市図書館(宮城県

仙台市図書館条例施行規則」(未返納者に対する処置)第12条「館長は、利用者が図書館資料の返納を怠り、又は督促しても返納しない場合には、以後その者に対し貸出しを禁ずることができる。」

白河市立図書館(福島県

 PDF版の「利用案内」

 「長期の延滞者には貸出ができなくなる」

 

⑤厳しくて幅広い罰則の例

岡崎市立中央図書館(愛知県)

 「利用案内」の「利用制限について」

 「返却期限から60日を過ぎた貸出資料がある場合は、利用の停止をします。延滞資料が返却され次第、利用の停止を解除します。

 利用制限の対象

 貸出、貸出期間の延長、予約、相互貸借、貸出証の再発行、マイページの閲覧などです。

 ※リクエストについては、延滞日数に関わらず、返却期限を過ぎた貸出資料がある場合は受付いたしません。」

 

⑥珍しい罰則の例

岡山市立図書館(岡山県

「利用案内」の「資料を借りる」の注意書き

 {要約すれば、

 1日以上の延滞資料が3冊(点)あると、借覧中の物を含めて5冊(点)までしか借りられない。1か月以上の延滞資料が1冊(点)あると、新たな貸出はできない。}

四万十(しまんと)市立図書館(高知県

 「四万十市立図書館運営規則」(資料貸し出しの停止又は禁止)第18条

 {要約すれば、

 常習的に延滞・亡失・き損のいずれかをする者は、資料の利用を停止するか禁止する。}

 

⑦利用者に費用を負担させる例

名古屋市図書館(愛知県)

 「名古屋市図書館館則」第13条の2

 「個人貸出期間又は団体貸出期間経過後、館長が貸出図書の返納を求めてもなおその図書を返納しないときは、その図書を亡失したものとみなし、第5条第1項の規定を準用する。」

 第5条第1項で、「図書その他の資料を亡失又は損傷したときは、館長{略}の指示するところに従って、代品又は相当の代金をもって弁償させる。ただし、天災その他やむをえない事由による場合はこの限りでない。」

防府(ほうふ)市立防府図書館(山口県

 「防府市図書館設置及び管理条例施行規則」(違反者の処置)第17条

 「館長は、前条の貸出期間内に図書館資料を返納しなかった者に対し、館外貸出の利用を許可しないことができる。

  2 前項の図書館資料の回収に要する費用は、借り受けた者の負担とする。」

 

まとめ

 日本の公立図書館の延滞にかんする対応は、総じてバラエティに富んでいるという印象を受けます。ただ、ウェブサイト上の情報は曖昧・不明確なものが少なくなく、実際の対応についてはほとんど分かりません。

 外国と比べますと、延滞者への対応はふたつの点でゆるやかです。ひとつは、ほとんどの図書館が数日程度までの延滞を大目に見ているように思われることです。もうひとつは、延滞者に罰金を科す図書館が皆無と言えるほど少ないことです。

 日本のようなゆるやかに思われるやり方がいいのか、外国のようなきびしく思われるやり方がいいのか、一概には言えません。彼我の実情が明らかでなく、国民性などの事情がからむためです。

 公立図書館のウェブサイトには、ふじみ野市立図書館(埼玉県)の「図書館利用のお約束5か条」とか大洲(おおず)市立図書館(愛媛県)の「図書館での約束」といった図書館利用のマナーの訴えが掲げられていることがあります。

 阿波市立図書館(徳島県)のウェブサイトには『図書館を愛するみなさまへお願い:図書館マナーブック』(図書館流通センター、2009年)という冊子風のページがあります。その中にある「返却期限に遅れる」という項目は「次の利用者のために、返却期限をお守りください。返却されるまで、新たな貸出ができない場合があります」となっています。この図書館では、同じ内容をふたつ折りのチラシにして、利用案内のラックに一緒に入れているということです。

 私は、これを一歩進め、図書館はサービス面で「○○に努めます」という数項目をかかげる一方、新規登録者と登録更新者は「図書館の規則を守ります」「資料の返却期限を守ります」などの数項目に同意する文書をつくってはどうかと思います。契約書や同意書と称するのは大げさでしょうから、「○○図書館とのお約束」くらいのソフトなタイトルにして、利用者にサインしてもらうわけです。

 村林麻紀氏は「公立図書館における資料の延滞について」(in伊藤昭治古稀記念論集刊行会編『図書館人としての誇りと信念』出版ニュース社、2004年)の最後の部分で次のように書いておられます。

 「延滞については隠された部分が多いが、その実情を知り対策を考える上で、情報交換し合う必要があると思う。」

 私も同感です。延滞の問題にかぎらず、課題は隠すよりも、情報を共有して知恵を出し合う方が解決に近づくはずです。最近はウェブ上で会議や授業ができるようになっていますので、関心のある数人のミーティングで実情を話し合うところから始めてもよいのではないでしょうか。その結果を、図書館関係の雑誌や都道府県の(公共)図書館協(議)会のウェブサイトなどで発表すれば、全国への情報発信となり、延滞対策を考えるための有益な資料にになるのではないかと思います。

 次回は、外国の公共図書館の延滞対応(とくに罰則)をごく簡単に取り上げる予定です。

図書館の本を盗む人たち

 図書館資料にかんする不法行為の全国的・長期的な統計はありませんので、どのような不法行為が最も多いかはわかりません。とはいえ、ある国が特定の時期に行った統計や特定の図書館の短期間の統計なら存在します。それらによって判明することは、どこの国でも、どの時代でも、図書館の資料は盗まれ、借りた人が資料を返却しない例があとをたたないということです。

 ために、図書館は《資料の管理》と《利用者の便益》とのバランスをとろうとして揺れ動いてきました。資料の管理を徹底すれば利用者にとって不便になり、利用者にとって便利にすればするほど資料の管理がいっそう難しくなるというわけです。そこに図書館職員の手間や費用対効果などの要素がからみ、これは一筋縄では解決しない問題でありつづけています。

  単純な例を挙げましょう。

 最近の公立図書館では、利用者がなるべく自分で書架から本を選べるようにしています。それは利用者にとってありがたいことである反面、本の配列が乱れやすくなります。配列が乱れれば利用者が困って、探していた本をあきらめたり、貸出中でない本が「あるべき場所にない」と職員に訴えたりします。一緒に探してすぐに見つからなければ、職員は探しつづけなければならず、利用者は見つけてくれるのを待たなければなりません。そのような事態を減らすため、職員は配列の乱れがちな書架を中心に、せっせと本の配列を整えています。

 

 図書館の本が行方不明になるのは、利用者が貸出手続きをしないで本を持ち出すことが最大の理由です。この行為を軽い気持ちで実行してしまう人もいますけれど、ほとんどのばあい、それは《盗み》であり、刑法の窃盗に該当します。これは日本だけのことではなく、昔から多くの国の図書館で起きてきました。

 井上ひさしは、著名な作家にしては珍しく、図書館から無断で持ち出した本を売り払った経験を語っています。

 1件目は、高校生時代、足しげく通った映画館に行くお金が足りなくなったとき、住んでいたカトリック系の児童養護施設「天使園」の図書館の本を売りとばしました。売ったのは、英語圏の人が外国語を勉強するために書かれた本のシリーズで、東北大学の正門前の古書店が高く買い取ってくれたのでした。そのシリーズは彼が高校を卒業するときには図書館からほとんど姿を消していたということです。

 2件目は、上智大学在学中のこと。この大学の図書館にも通いつめていた井上青年は、規則を厳格に適用する館員(アルバイトの院生)に腹を立てていた仲間とはかって悪事を働きます。くだんのアルバイト院生が夕方から勤務につくと、仲間が次つぎとカウンターへ行って「本を借り出す、苦情を並べる、日頃のお世話のお礼にとアンパンをさしだす(笑)。そのすきに、本を持ち出して、神田へ売りにいって、そのころ流行の「なんでも十円寿司」で腹いっぱい食べました(笑)。」持ち出した本は「大学図書館が一番大事にしている本」となっていますけれど、図書館はそのような貴重な本を利用者が手軽に持ち出せる場所に置いていないはずですから、この話には誇張があるのではないかと思われます。(1)

 

 近年の日本での例を少し挙げます。

 ①2008年4月、神奈川県藤沢市の総合市民図書館で高齢の男性が雑誌8冊を館外へ持ち出そうとして現行犯逮捕されました。警察が彼の自宅を捜査したところ、同館の蔵書およそ1,500冊が見つかりました。

 そこで、藤沢市図書館(4館+11図書室)は2009年1月、まだ盗難防止装置を設置していなかった3館に盗難防止装置を設置・稼働させました。(2)

 ②2014年、横浜市立図書館(全18館)では市の定期監査によって2009年から2013年のあいだに毎年平均19,000冊が所在不明で除籍されてきたと判明しました。図書館の説明では「所在不明の主な原因は不正持ち出し」とのことです。

 そのため、図書館は2005年ごろから「防犯カメラと防犯ミラーの設置を始め、昨年までに18館全館にどちらかが取り付けられている。さらに、死角をカバーするため、職員による巡回も開始している。加えて、利用マナーを呼びかける啓発ポスターを掲示し、対策を講じてきた」ということです。(3)

 ③2019年5月、京都府南部の竹林や山などで800冊以上の本が捨てられているのが見つかりました。ほとんどすべてが府内の公立図書館の本で、被害にあったのは京田辺市宇治市城陽市京都市木津川市の図書館、ほかに滋賀県立図書館の本もあったということです。(4)

 

 盗難を防ぐために図書館がとってきた対策には、次のようなものがあります。

 ①利用者を限定する

 公共図書館が人種・性別・年齢・職業などによって利用資格を限定する例は、最近までありました。会員制の図書館もこの種類に入るでしょう。ただし、利用資格を限定する理由は盗難防止とは限りません。

 ②本を机や書架に鎖でつなぐ

 中世ヨーロッパの修道院や大学の図書館では、本を机や書架に鎖でつないだ例がたくさんありました。手書きの本(写本)がとても貴重で、それを盗んで売り払う被害をくいとめるためでした。

 ③利用者が書架にアクセスできないようにする

 閉架(方)式というこの方法を採用すれば、本を盗まれる可能性がほとんどありません。その代わり、利用者の手続きが煩雑になります。かつては資料請求票に氏名、タイトル、著者名、請求記号などを記入しなければならなかったからです。現在の公立図書館では、利用者が書架にアクセスできる開架(方)式とアクセスできない閉架(方)式を併用している例が多くなっています。そのばあい、閉架(方)式は書庫に適用しているのがふつうです。

 開架式と閉架式のあいだにいくつかの折衷方式がありますけれど、煩雑になりますので省略します。

 ④保証金を預かる

 かつては、利用者から保証金を預かって本の貸出サービスをする公立図書館が、日本だけでなく少なからずありました。この制度自体は借りた本を返さなかったり毀損したりするのを防ぐのが目的でしたけれど、《図書館の本は共有財産》とか《盗みはもってのほか》と利用者に思わせる副次的効果も期待できたのではないかと思われます。

 ⑤退館時に持ち物をチェックする

 カナダのトロント市の中央図書館であるメトロポリタン・トロント図書館では、1984年当時、バッグを持っている利用者が退館するとき、出口の手前でかならずバッグの中をチェックされていました。チェックする係員の態度には問題がないのに、私にはいつも抵抗感がありました。このやり方は人手が要りますけれど、盗難防止という点では有効ではないかと思います。

 ⑥コインロッカーを設置する

 コインロッカーを設置している図書館は少なくありません。その中で、図書館の本の亡失を防ぐ意図だけで設置されたロッカーはさほど多くないでしょう。最近の私の経験では、滋賀県立図書館と国立民族学博物館みんぱく図書室で、コインロッカーを使うよう指示されました。上記⑤と同じく、これも盗難防止に有効ではないかと思われます。

 中国の上海図書館では、利用者への注意事項の第8項目が次のようになっています。「本貸出区以外の図書(持参図書を含む)、カバンや袋(20×14㎝以上)、食品などは荷物預かり所にお預けください。」(同館のウェブサイト 20220128)

 ⑦利用者にマナー遵守を呼びかける

 公立図書館のばあいは、自治体の広報紙でPRをし、図書館のウェブサイトや館内のポスター掲示でマナー遵守を喚起するのもいいでしょう。小学生をクラス単位で招き、上手な利用の仕方とマナーを説明するのも一定の効果を期待できると思います。

 私の勤務していた大学図書館では、新入生を語学のクラス単位でガイダンスに招き、館内の案内、サービスの利用法、おもな規則などを1時限(約90分)で説明してきました。

 ブラウジング中の利用者に声かけをする

 図書館でのブラウジングとは、書架の前に立って適当な本などを物色することです。はっきりした目的をもってのブラウジングや、面白い本がないか漠然と探すようなブラウジングがあります。いずれにしろ、「何かお探しですか」などと図書館員が声をかければ、読書相談やレファレンスサービスのきっかけになる可能性がありますし、そのような些細なことが不正に本をもちだす行為の抑制につながります。

 ⑨不正持出し防止装置を導入する

 BDS(Book Detection System)は貸出手続き確認装置とか不正持出し防止装置などといわれるシステムで、貸出の手続きをしないで本や視聴覚資料を館外に持ち出そうとすると、出口に設置されたバーが開かずに警告音が出るようになっています。日本では、初めのうち大学図書館がこのシステムを導入し、徐々に公共図書館にもひろがりました。

 BDSが図書館専用に開発されたシステムであるのに対し、製造、流通、医療などの分野でも使われているRFID(Radio Frequency Identification)というシステムが最近になって図書館に導入され始めています。その使われ方は、おもに貸出処理、蔵書点検、不正持出し防止で、BDSとの大きな違いは、貸出や蔵書点検のときに複数の本を一括処理できる点にあります。(5)

 ⑩防犯カメラを設置する

 防犯カメラ(監視カメラ)の設置については図書館界に反対意見があります。それが「図書館にはふさわしくない」とか「プライバシーの侵害につながる」などを理由にして、避けるべきだという考えです。防犯カメラの設置は、不正持出しだけでなく、館内での置き引きや薬物摂取、性的行為を防ぐためでもあります。薬物摂取に手を焼いた公立図書館がトイレを閉鎖した例は、アメリカ、イギリス、フィンランドなど、図書館が普及した国から報告されています。

 ⑪警備員を配置する

 日本でも、警備員を配置する公立図書館が少しずつ増えてきました。「図書館 警備員」でネット検索をしますと、さほど大きくない公立図書館でも警備員を募集していることがわかります。アメリカのロサンゼルス市の図書館(中央図書館と70以上の分館)では、市の警察官を警備員として雇い、警察署に年間500万ドル以上を支払っているとのことです。(6)

 ⑫建物の構造や設備の配置に留意する

 図書館の建築や設備の配置にも気を配る必要があります。

 たとえば、盗難の例としてご紹介した横浜市の鶴見図書館は、監査対象となったほかの3館とくらべて不明除籍資料の比率が高く、その理由のひとつが「貸出窓口を通らずに館内に出入りすることができるなど、建物の構造上の問題」だと考えられています。(3)

 かつて私が見学した大学図書館で「建築として成功したと思う点と失敗したと思う点」をたずねましたところ、「窓から外へ本を投げて盗る学生がいたため、窓を開けられないようにした」と答えてくれた例がありました。

 

 最後に、図書館員による図書館資料の窃盗をご紹介します。

 図書館員による本などの窃盗は、商店(コンビニ、スーパー、ホームセンターなど)の従業員による内引きと類似の行為と考えられるでしょう。ただし、図書館の本は商品ではなく、新品同様であっても印判が捺されていたりバーコードが貼ってあったりします。また、公立図書館の本を図書館員が盗めば、自治体住民の共有財産を管理すべき立場の人が逆にそれをくすねる行為になります。図書館員は自館の盗難防止策を知っていますから、先にご紹介したさまざまな対策例はほとんど役に立ちません。その分、質(たち)が悪いと言わざるを得ませんね。

 (1)ニューヨーク公共図書館はずっと本の窃盗に悩まされてきたため、経験豊かな司書だったエドウィン・ホワイト・ゲイラードは、1910年ごろから「図書館の警備強化を提唱し、盗難防止のための法令の制定を州議会に働きかけてきた」のでした。

 彼の熱意に応えて館長は正式な職名《特別捜査員》を新設し、ゲイラードをその職に就かせると同時に、彼を私服の《特別巡回警察官》としてニューヨーク市警察に所属させます。「ゲイラードは最終的にNYPL{ニューヨーク公共図書館}に窃盗を許さない文化を築き上げることに成功」しました。けれども、捜査の過程で、「少なからぬ数の図書館員が――大半が書架係――ひそかに古書ディーラーに本を売っていた」ことが分かって当惑したのでした。(7)

 (2)2013年、新潟市の公立中学校の女性司書(臨時職員)が2008年からの5年間にわたって図書室用に買った本およそ3,000冊を古書店に売り払っていたことが発覚しました。発覚したのは、2013年度から勤務することになった後任の司書が、2012年度に買った506冊の本について調べたところ、6冊しか図書室になかったからでした。(8)

 

参照文献

(1)井上ひさし著『本の運命』(文藝春秋、1997年)

(2)藤沢市図書館「利用環境の向上を目指して!:すべての市民図書館に「盗難防止装置」を設置しました」(『図書館だより』no. 160, 2009.2)

(3)「図書館蔵書盗難・不明、年間2万冊:有効策なく対応苦慮」(『タウンニュース』横浜市南区版、20141127)

(4)甲斐俊作「誰が捨てた、図書館の本800冊:処分に困り投棄か」(『朝日新聞デジタル』20190519)

(5)後藤敏行「図書館における RFID 業務の課題」(『図書館界』v. 64, no. 3, 2012.9)

(6)スーザン・オーリアン著、羽田詩津子訳『炎の中の図書館:110万冊を焼いた大火』(早川書房、2019年)

(7)トラヴィス・マクデード著、矢沢聖子訳『古書泥棒という職業の男たち』(原書房、2016年)

(8)「司書、図書室の本3000冊売っちゃった 新潟の中学」(『日本経済新聞』電子版20130531)

にぎやかな図書館・騒がしい図書館

 一般に音や声は、デリケートな問題を含んでいます。

 読みたくない文字は読まなければすみ、見たくない物や風景は見なければすみます。ところが音声は、好き嫌いにかかわらず耳に飛び込んできます。耳にとびこんでくる音はさまざまです。建築現場での重機や金づちの大きな音でも、近くの住民は我慢をします。自分も新築やリフォームを頼む可能性があり、お互いさまというわけですね。けれども、聞きたくない音が聞こえてきた人は、音が止むのを待つか、その場を離れるか、耳をふさぐか、音源を何とかする必要があります。

 昨年末の読売新聞朝刊に「人生案内 回答者座談会」という記事が掲載されました(20211223)。1年を締めくくるこの座談会では、「どのような相談が多かったか」「相談の傾向から見える社会の状況」などを10人ほどの回答者が語っています。その中で、作家のいしいしんじ氏が「音に関する相談が多いと感じた」と発言されていました。「声が大きい、テレビやラジオの音が大きいといった声量や音量による被害。嫌だろうなと、自分にも切実に感じられるものだった」ということです。

 

 図書館の閲覧室などでの私語のばあいはどうでしょうか。

 図書館が閲覧室での私語を認めていても、私語を聞いた人の感じ方は一様ではありません。《認められているようだから、自分たちも話をしよう》《一向に気にならない》《お互いさまだから我慢しよう》《うるさいな》など、感じ方や考え方は人さまざまです。

 声の大小だけでなく、私語がつづくか否かによっても受け取られ方はちがいます。さらに、ごく普通の音量で話をしている人たちであっても、その数が多ければ全体として騒音・雑音になりかねません。

 

 ここで、図書館での私語をめぐる実例とフィクションをふたつずつご紹介します。

(実例1)

 夏目漱石は、1903(明治36)年から東京帝国大学の文科大学英文科で講師をつとめていたところ、4年近く経った1907年、朝日新聞社から好条件で社員にならないかとの誘いを受けます。好条件とは、①大学の年俸が800円だったのに対して、新聞社の月給は200円(換算すれば年俸2,400円で大学の3倍)、②出社の義務なし、③年に100日ほどの連載小説を朝日新聞紙上に1作書くこと、などでした。

 教職にありつつ『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』などの名作をすでに書いていた漱石にとって、このありがたい申し出をことわる理由はありません。そこで、入社直後、東京朝日新聞紙上に歯切れのよい筆致でその喜びをつづりました。「入社の辞」と題するその文章の中に、勤務先の大学の図書館にかんする話が含まれています。

 「突然朝日新聞から入社せぬかと云う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事である。文芸上の術作を生命とする余にとってこれほど難有い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない、成功するか、しないか抔{など}と考えて居られるものじゃない。博士や教授や勅任官抔の事を念頭にかけて、うんうん、きゅうきゅう云っていられるものじゃない。」

 「大学で一番心持ちの善かったのは図書館の閲覧室で新着の雑誌抔{など}を見る時であった。然し多忙で思う様に之を利用する事が出来なかったのは残念至極である。しかも余が閲覧室へ這入ると隣室に居る館員が、無暗に大きな声で話をする、笑う、ふざける。清興を妨げる事は莫大であった。ある時余は坪井学長に書面を奉て、恐れながら御成敗を願った。学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分は是が為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学長がわるいのだから、不平があるなら其方へ持って行って貰いたい。余の学力が足らんのだと思われては甚だ迷惑である。」(1)

 この騒がしい図書館員たちは、はたして勤務時間中だったのでしょうか。自分たちがいる部屋が教官の閲覧室と隣接していることを知っている人たちです。勤務時間中ならなおさら、漱石でなくても眉をひそめますね。あるいは、漱石はしばしば神経衰弱(今でいうノイローゼ)に悩まされていましたから、そのような時期の出来事だったかも知れません。

 

(実例2)

 イギリスの作家コリン・ウィルソン大英博物館の図書館に通って出世作アウトサイダー』を執筆した人でした。彼は自伝『コリン・ウィルソンのすべて』の中で、大英博物館の閲覧室で大声を出す図書館員アンガス・ウィルソンに触れています。

 「大英博物館の読書室で、私は館長だった小説家のアンガス・ウィルソンに目をとめていた。と言うより、目にとめずにいるのは不可能なことだった。なにしろひたいから流れるように後ろへと垂れている白髪混じりの毛といい、紫色の蝶ネクタイといい、目立つ鼻筋といい、電話中の彼が読書室全体に響かせる高らかな声といい、特長だらけの人で、特にその声は「ジョン・ギールグッドはいませんか。……やあ、ジョン、元気か、こちらはアンガスだ」というように話しているのを何度、聞かされたことか。ギールグッドは稀代の名優だった。」(2)

 簡単にご説明しますと、アンガス・ウィルソン(1913-1991)は1937年から20年近く大英博物館British Museum=BM)の図書館部門に勤めていて、第二次世界大戦中は海軍で暗号解読に従事するため一時的にBMをはなれました。戦争が終わりますと、彼はただちにBMに復職し、1949年に発表した短篇集『悪い仲間』などで一躍有名になります。

 アンガスより20歳近く年下のコリン・ウイルソンが『アウトサイダー』をBMで執筆していたのは、アンガスが1955年にそこを退職する間近のことでした。

 コリンの描写が正確なら、アンガスの振舞いは《傍若無人》と言われても文句を言えないでしょう。「電話中の彼が読書室全体に響かせる高らかな声」は、利用者にとって迷惑以外の何ものでもないからです。ちなみに、上の引用中、アンガスは館長だとされていますけれど、「閲覧部門の副主任」(3)だったようです。

 

(フィクション1)

 イギリスの作家アニータ・ブルックナーの『招く女たち』の主人公ルイス・パーシーは、フランス国立図書館大英図書館に通って勉強をつづけ、指導教授のすすめで大学図書館に勤めながら博士論文を書き上げます。

 彼はイギリスで母と同居しているとき、本が好きな母と一緒に、週に2~3回は近くの図書館へ行っていました。その図書館では私語が禁じられていましたので、館員のミス・クラークが「ハイヒールで軍靴を思わせる音をたてて歩いていっては、規則を破っている相手の肩を揺さぶる」のでした。穏やかで年老いたベイカー氏は、あるとき「てめえのほうが、よっぽど騒々しいじゃねえか、このあばずれ」と反撃して退出を命じられてしまいます。(4)

 職務を忠実に果たそうとしたミス・クラークは、音を出さないように「相手の肩を揺さぶる」ことで注意した代りに、ハイヒールで「軍靴を思わせる音をたてて」しまったのでした。

 

(フィクション2)

 20世紀アメリカの作家ウィリアム・サローヤンの『ヒューマン・コメディ』に、経験豊かな司書が市立図書館の閲覧室で大きな声を出すシーンがあります。(5)

 時代は第二次大戦中、舞台はカリフォルニア州イサカという町、物語の中心は父を亡くした少年たちで、登場人物たちへの著者のあたたかいまなざしが印象的な小説です。

 その「図書館にて」と題する第28章で、12歳のライオネルという少年が仲良しで4歳のユリシーズを連れて初めて市立図書館へ行きます。静寂が支配する館内で、ライオネルは抜き足差し足で歩き、声をひそめてユリシーズに話しかけていました。ところが、

「しばらくして、図書館員のギャラガー夫人が二人に気付き、近付いてきた。この老司書は声をひそめようともしなかった。そこが図書館とは思っていないかのように、何の遠慮もない声で話しかけた。ライオネルとユリシーズはその声にびっくりし、まわりの閲覧者の何人かも、読んでいた本から顔をあげた。」

 何をしているのかというギャラガー夫人の詰問に対して、ライオネル少年はささやくように問い返します。

 「ぼく、本、見るのがすきなの。いけないですか?」

 図書館の静かな環境に気配りできる文字の読めない12歳の少年は、その後の短い対話によって、何か勘違いをしたらしい図書館員を納得させることができたのでした。小さなヒューマン・コメディですね。

 

 2008年9月、国立国会図書館のネットによる情報サービスに、イギリスの新聞Times紙上で公共図書館が「静かな場所であるべきか、にぎやかな場所であるべきか」について議論されているという記事が掲載されました。(カレントアウェアネスR、20080925)

 それによりますと、イギリスの公共図書館は、過去10年の低迷(図書館の有資格者の割合や貸出冊数の減少)から脱却するためにさまざまな対策を講じてきました。たとえば、

 「多様な資料の提供、館内でのテレビゲーム(Nintendo Wii)の提供、館内へのカフェの誘致、飲食物の持込許可、携帯電話での通話許可など、各館がさまざまな取り組みを試みています。これらは、利用者に長く滞在してもらう、利用者に居心地良く感じてもらう、若者に来てもらう、などの目的で行われており、総じて、図書館をにぎやかにするものです。」

 図書館の取組みを紹介したTimes紙の記事のあと、ある作家がそれらを批判し、図書館側が反論しました。

 作家の言い分 = 「図書館は静寂な場所であるべきであり、図書館をにぎやかにしようとする大衆化は誤った戦略で、自殺行為である」

 図書館側の反論 = 「無料で情報や学習の機会を提供するという図書館本来の役割は変わっていない、図書館は時代に応じて変わっていかなければならない」

 この応酬につづいて、次のような趣旨の投稿がTimes紙に寄せられました。

 「{図書館は}他と違って静かな場所だからこそ価値がある」

 「図書館が衰退しつつあるという状況こそ問題にすべきである」

 「静寂な場所とそれ以外とのゾーニングが明確であれば良い」

 「図書館に楽しさやカフェが必要、などというライブラリアンはスターバックスで働くべき」

 翌月、イギリスの図書館・情報サービスの専門職団体であるCILIPの会議に出席した文化・メディア・スポーツ大臣は、「これまでの図書館のステレオタイプを脱したにぎやかな図書館というアイディアを支持する発表を行い、デジタル時代の図書館は人々が集い、交流するコミュニティの中心となることが望ましい、との見解を」表明しました。(カレントアウェアネスR、20081021)

 これは、図書館や情報サービス機関の維持・発展を担当する大臣が図書館側の言い分にお墨つきを与えた格好ですね。

 

 これと同じ時期(2008年9月~2009年3月)に、ひとりの日本の研究者がデンマークコペンハーゲンで同国の公共図書館について調査・研究をおこない、その結果を1冊の本として出版しました。吉田右子氏の『デンマークのにぎやかな公共図書館』(新評論、2010年)です。その中に次のような記述があります。

 「デンマーク公共図書館は、もはや静かな場所ではない。図書館に入って最初に聞こえるのが人びとのざわめきである。公共図書館は利用者同士が自由におしゃべりをするにぎやかな空間に変わりつつある。多くの図書館には「静寂コーナー」が設けられ、シールなどを貼って、話をしてもよいほかの空間と区別している。言い換えれば、「静寂コーナー」以外のすべての場所では自由におしゃべりをしてもよいということである。ちなみに、ほとんどの公共図書館では飲食も許されているので、自分の持ち込んだ飲み物やランチを取りながら長居をする人もたくさんいる。」(6)

 

 当ブログには、「乳幼児とその親に対するサービス」という記事があります。赤ちゃんや幼児を連れた親が気兼ねなく公立図書館を利用できるように、「赤ちゃんタイム」などの名称で、「少し騒がしくなっても、ご協力をお願いします」という時間帯をもうける例が、日本であらわれつつあるとご紹介したものです。(20180521)

 このときの調査では、「赤ちゃんタイムは、おもに週に1日、月に1日、月に2日実施」されていて、時間は2時間前後、場所は児童(書)コーナーやおはなし室が多いようでした。

 このような試みをさらに大胆に実行したのが、2017年にオープンした安城市(愛知県)のアンフォーレという施設の中核をなす安城市図書情報館です。この施設は、IRI知的資源イニシアティブというNPO法人が表彰するLibrary of the Yearの2020年オーディエンス賞を受賞しました。

 安城市アンフォーレ課の市川祐子氏による報告記事(7)によりますと、賞の審査で「特に評価されたポイント」の2番目が、会話と飲食を自由にしたことだそうです。「もちろん、他人の迷惑になるような声量や振る舞いは注意するが、マナーを守った上での利用は自由である。一般向けフロアである3階・4階では飲酒さえ可能だ。」

  また、「乳幼児にはどうしても声が大きくなったり、飲食が必要な時がある。彼らにたくさん利用してほしいならば、静寂を守るというルールは足枷でしかない」ということですけれど、2階が子どものフロアで、《○○の部屋》で遊ばせたり読み聞かせをするような配置になっており、そのフロアにある新聞・雑誌を読む大人はさほど迷惑と感じないだろうと思われます。Times紙への投書にあった「静寂な場所とそれ以外とのゾーニングが明確であれば良い」を実践した感じでしょうか。

 

 《にぎやかな図書館》という言い方には、利用者の館内でのおしゃべりを肯定するニュアンスがあり、《騒がしい図書館》という言い方には、逆のニュアンスがあります。

 ひとりの図書館利用者として、私は次のように考えています。

 ①公立図書館は、何よりもまず、住民が無料で資料と情報を手に入れる場であり、図書館はその目的を最優先しなければならない。

 ②図書館は、利用者が読む場所、調べものや学習をする場所、資料を探す書架などの周辺では、私語を原則として禁止すべきである。最近の私がときどき利用している京都市立、京都府立の図書館は、にぎやかではなく騒がしくもなく、とても居心地のよい空間となっている。

 ③館内で私語を認める場所と認めない場所を特定すれば、私語の騒がしさを厭う人も、私語を交わしたい人も、ストレスを抱えなくてすむだろう。

 ④上記の②と③を実現するために、私語にかんする決まりを利用規程・規則に明記し、図書館のウェブサイトのほか、館内でも掲示やサインによってゾーニングが分かるようにする。利用規程に明記しておけば、職員が私語をしている人に注意しやすくなり、利用者どうしも注意しやすくなる。

 規則として明記するとき、「他人の迷惑になるような声量」とか「常識の範囲内」というようなあいまいな表現は避けるほうがよい。注意する行動をためらわせたり、注意された人との言い争いの原因になったりする可能性をあらかじめ排除するためである。

 ⑤既存の小さな図書館では無理なばあいが多いと思われるが、できれば館内にグループ学習室やカフェ、休憩室ないし談話室のたぐいを設けて、話をしたい人や話をする必要のある人のための場所を確保するのが望ましい。

 

参照文献

(1)夏目漱石著『10分間で読める夏目漱石短編集』(ゴマブックス、2018年)

(2)コリン・ウィルソン著、中村保男訳『コリン・ウィルソンのすべて』上(河出書房新社、2005年)

(3)岡照雄著『アンガス・ウィルソン』(研究社出版、1970年)

(4)アニータ・ブルックナー著、小野寺健訳『招く女たち』(晶文社、1996年)

(5)ウィリアム・サローヤン著、関汀子訳『ヒューマン・コメディ』(ちくま文庫、1993年)

(6)吉田右子著『デンマークのにぎやかな公共図書館』(新評論、2010年)

(7)市川祐子著「アンフォーレ安城市図書情報館の挑戦」(カレントアウェアネスE、20210218)

ジョン・エドガー・フーヴァー(Hoover, John Edgar, 1895-1972)

 ジョン・エドガー・フーヴァーは、アメリカ合衆国のFBI(Federal Bureau of Investigation=連邦捜査局)の初代長官だった人です。FBIやその捜査官については、映画や小説などでよく取り上げられてきましたので、ご存知の方が多いのではないかと思います。

 FBIは1908年に司法省内のごく小さな組織である捜査局(Bureau of Investigation)として発足し、徐々に権限と規模を拡大して、1935年に連邦捜査局という現在までつづく名称に変わりました。フーヴァーは1917年に司法省に入職してから1972年に亡くなるまで、一貫して捜査局と連邦捜査局の中枢で活躍した人です。

 

 エドガー少年は首都ワシントンDCの政府職員の4人きょうだいの末っ子として生まれ、小学校から高校まで優等生で通しました。とくに高校生時代には、弁論部や学生軍事教練隊で活躍し、父親が病気がちになるとスーパーマーケットの配達アルバイトをするなど、勉強に精を出すだけではありませんでした。

 高校生のエドガーには《スピード》というニックネームがつけられていました。本人は配達アルバイトを駆け足でこなしたのがその由来だと話していたようですが、ある伝記作者は次のような級友の証言を記録しています。「われわれがフーヴァーに《スピード》という渾名をつけたのは、早口だったからだ。口の回転も頭の回転も非常に速い男だった……。」(1)

 

 1913年、高校を卒業したフーヴァーは、父の健康がすぐれず、兄と姉の経済的支援も期待できない状況で、徒歩通学をできるジョージ・ワシントン大学の夜間法学部に入学します。その大学の利点は、公務員のための夜間クラスがあり、昼は仕事につけることでした。というわけで、まず公務員にならなければなりません。さいわい、遠縁の男性が、これまた徒歩通勤できる議会図書館を紹介してくれました。

 アメリカの議会図書館は、機能的には日本の国立国会図書館とほぼ同じ存在で、そのウェブサイトには「世界最大の図書館」とあります。また、現在の館長は同館初の女性館長、同館初のアフリカ系アメリカ人館長だと紹介されています。

 フーヴァーが議会図書館に就職したとき、身分は発注部門の見習(ジュニア・メッセンジャー)で、初任給は年俸360ドルでした。同じポジションにいた1年後には年俸が420ドルに上がり、さらに1年経った1915年には、働きぶりが評価されて事務職員(クラーク)に昇進します。(2)

 のちに司法省の捜査局に入ったフーヴァーが大量の情報をカードやファイルにして活用したことから、フーヴァー伝の著者の中には彼が議会図書館の目録部門で働いた経験があるかのように書いている人がいますけれど、議会図書館の記録やメモを丹念に調べた上記のレダール氏は次のように否定しています。

 ①フーヴァーの担当していた仕事では、カード目録の仕事を身につけることができない。②フーヴァーのいた発注部門は、目録部門と分類部門と隣り合わせになっていた。③よって、彼がカード目録のシステムに親しんだという可能性は十分にある。

 フーヴァーは議会図書館で働きながら、ジョージ・ワシントン大学ロースクール修士課程)まで進み、無事に司法試験に合格しました。次の職場である司法省への就職が1917年7月からと決まると、彼はすぐに図書館を退職しました。結局、フーヴァーは、議会図書館の利用者とは直接に触れることのない発注部門で、1913年から17年までの4年間、見習職員・事務職員として働いたことになります。

 

 司法省でのフーヴァーは、若いときのニックネームどおり、目覚ましい《スピード》で昇進してゆきます。そのステップは次のとおりです。

 ①最初の職場は地味な郵便室でしたけれど、有能な仕事ぶりを上司にみとめられて、1917年の末に22歳の若さで特別捜査官に任命されます。

 ②1年後の1918年11月、23歳で特別検察官に昇進して年俸2,000ドル。

 ③翌1919年春、司法長官に就任したA. ミッチェル・パーマーが24歳のエドガーを特別補佐官に任命し、「革命分子グループや過激派集団」についての証拠を集めるために新設された課の課長にします。(1)

 この《革命分子グループ》の証拠集めには、次のような事情がありました。

 第一次世界大戦の終わる前年の1917年、参戦した主要国のひとつであるロシアで革命が起こり、11月に社会主義ソビエト政権が樹立されました。その革命の主導者だったレーニンは、同じ考え方による革命を世界各国に拡げるために、1919年3月にモスクワで開かれた共産主義者の国際会議で、第三インターナショナル共産主義インターナショナル)の創立を宣言しました。当時のアメリカでは共産主義社会主義が脅威というほどに一般に浸透してはいませんでしたけれど、政府としては警戒するに越したことはない、ということだったのでした。

 

 ここでフーヴァーの議会図書館員時代の知見が活かされます。左翼思想の持ち主にかんする情報をひとりずつカードに記録し、それを複数枚つくって、氏名、住んでいる地名、属するグループなど、数種類の手がかりから探し出せるようにしたのでした。とくに重要と思われる人物については、別にファイルを作りました。コンピュータのなかった、あるいは発達していなかった時代にあって、このシステムは十分に威力を発揮したわけです。

 以後、フーヴァーの索引カードとファイルはさまざまな属性の人たちを対象として範囲をひろげ、量も膨大になってゆきました。対象とされた人たちは、FBIが警戒・内偵・捜査する個人とグループ・団体・組織でした。

 たとえば、KKK団、ギャング、誘拐犯、マフィア、過激派集団、共産党員とそのシンパ、労働組合員、公民権活動家などのほか、大統領選挙の候補者、上下両院議員、知事、市長などの政治家が含まれていて、第二次世界大戦時には敵国となったドイツ、イタリア、日本などの出身者である一般庶民までが調査対象となりました。

 捜査局の大量の情報カードとファイルを管理する責任者は、1918年からフーヴァーのフルタイムの専属秘書として勤務したヘレン・ガンディという女性でした。彼女はフーヴァー長官が死去・退職するまで忠実かつ有能な秘書でありつづけ、彼の業績に多大の貢献をしたことになります。

 もうひとり、秘書のガンディ嬢とならんでフーヴァーの生涯に欠くことのできない人物が、1928年に捜査局の特別捜査官として採用され、フーヴァー長官がなくなるまで公私にわたって行動をともにしたクライド・アンダーソン・トルソンでした。

 フーヴァーと彼より5歳年下のトルソンには、次のようにいくつかの共通点がありました。

 ①ジョージ・ワシントン大学夜間法学部の出身。

 ②明晰な頭脳と精力的な仕事ぶり。

 ③前職(フーヴァーは議会図書館、トルソンは陸軍省)でも捜査局でも異例のスピード出世。

 ④実地捜査の経験なし。

 ⑤生涯、独身。

 フーヴァーは母親が1938年に亡くなるまで彼女とふたりだけで同居し、以後も独身を通しましたので、トルソンとはしばしば食事をともにし、週末や少し長めの休暇にはフロリダやカリフォルニアで一緒にすごすなどしました。トルソンを1931年(30歳)に部長、1947年(46歳)に副長官に任命したフーヴァーにとって、自分とよく似たところのあるトルソンは、秘密を共有できる無二の側近であり、頼りになるボディガード的な存在でもありました。

 

 フーヴァーの快進撃はつづきます。20代前半の若さで戦時緊急事態部、過激派部などのトップをつとめ、20代後半に入った1921年には26歳で捜査局次長、1924年には29歳で捜査局の長官代行に就任します。この間、司法長官(大臣)はつぎつぎと交代していますから、フーヴァーの昇進が特定の上司に信頼されただけではなく、すべての上司の期待にたがわぬ働きをした結果だと分かります。

 捜査局長官代行に就任したエドガー・フーヴァーは、組織運営面と業務執行面で矢継ぎ早に改革を実行します。ワシントンDCの本部と全国53の支局とが緊密に連絡をとりあって全体として風通しのよい組織とする一方、勤務査定制度や監察制度を導入して捜査官たちの引き締めを図りました。

 業務遂行面では、支局ごとに異なっていた書類のファイリング・システムを統一して、だれがどこへ異動しても違和感をもたないようにし、電話や郵便による報告は、捜査局共通の書式によって最終的に記録させました。(3)

 フーヴァーは、捜査官たちの水準を向上させるためにも手を打っただけでなく、外見にかんする規律を徹底させました。たとえば、手入れした頭髪、スーツにネクタイなど、身だしなみなみや振舞いにも厳しく、テレビドラマの刑事コロンボはFBIの捜査官ではありませんけれど、あのような風采は潜入捜査などの例外をのぞいて、FBIではご法度でした。

 FBIの人事権はフーヴァー長官が握っていて、規律違反や怠慢が彼に知られてしまった捜査官は、しばしば転勤命令をうけ、逆鱗に触れればただちに解雇されました。捜査機関の職員が厳しい規律をまもるのは当然だとしても、フーヴァーは若いときの《スピード》というニックネームどおりに、スピーディに物事を処理したのでした。

 

 1930年代に入りますと、不況下にあって社会が安定しなかったアメリカでは、州の枠を越えた捜査を必要とする重大事件が増えてきました。たとえば、大西洋横断飛行に成功したチャールズ・A. リンドバーグの子どもの誘拐、アル・カポネらによる暗黒界での抗争、ジョン・ディリンジャーによる中西部を中心とした一連の銀行強盗、全国の大都市を拠点にして麻薬密売などで勢力をのばしてきた秘密結社マフィアなどです。

 その種の社会の敵と闘うため、アメリカでは連邦議会によって多くの法律が制定され、「州境を越える犯罪の定義と施行範囲が定められた」のでした。内容は、捜査官の拳銃携帯、逮捕権限、連邦警察と地方警察の共同作業、犯罪州間委員会(ICC)の設立、職員選考基準などでした。(4)

 連邦議会は1934年、「電話の傍受とその内容開示を禁止する法律」を制定しました。けれども、フーヴァーは、傍受で得た情報を法廷で証拠として使わなければ盗聴は違法ではない、という法解釈をして、以後、「FBIはフーヴァーの認可があればいつでも盗聴を行うようになった。電話傍受、盗み聞き、侵入は一九三〇年代以降、FBIの諜報作戦における三位一体の手段となった」のでした。(5)

 

 関連法規がととのえられ、守備範囲と権限が明確化された1935年7月、捜査局は連邦捜査局(Federal Bureau of Investigation=FBI)となります。その裏付けには、捜査局の整備、犯罪捜査の実績、さまざまな情報の蓄積がありました。フーヴァー長官によるマスコミを利用した巧みな宣伝、連邦議会への雄弁な説明なども、効果があったものと思われます。

 犯罪捜査にさいして有効だったのは、次の3つの試みでした。

 ①指紋登録制度

 FBIは全国の警察が採取した指紋を保管するようになり、「エドガー{・フーヴァー}が死んだときには、大幅にコンピューター化された指紋照合では、ごく短時間で一億五千九百万人の指紋をチェックできるようになっていた」(1)ということです。

 ②犯罪{科学}研究所

 FBIが1932年に創設した犯罪研究所は、各分野の専門家を擁して科学的な手法による捜査を可能にしました。現在はたんにFBI研究所(FBI Laboratory)という名称になっています。

③警察訓練学校

 FBIが1935年に設立した警察訓練学校(Police Training School)は、毎年、全国各地の警察組織から推薦された警察官を訓練してきました。訓練生たちは科学捜査の技術や最新の機器の使い方、法律の知識を12週間にわたって教え込まれ、年を経るにつれてこの企てが合衆国の警察の水準向上と捜査の標準化に寄与したのは言うまでもありません。加えて任地にもどった優秀な修了者たちの多くが警察署長や刑務所長に昇進し、FBIにとって心強い協力者となりました。現在のFBIではナショナル・アカデミーと名称を変え、外国からも訓練生を受け入れるようになっています。

 

 1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻し、すぐさまフランスとイギリスがドイツに宣戦布告します。有史いらい最大規模となった戦争、第二次世界大戦の始まりでした。アメリカは外交面での努力をしながら戦争に巻き込まれる備えをしていましたけれど、1941年12月、日本によるハワイの真珠湾攻撃をうけて参戦します。日本は日独伊3国協定を結んでいたため、ドイツとイタリアがアメリカに宣戦布告をし、アメリカは否応なく世界大戦に巻き込まれるかっこうになりました。

 なにしろ、アメリカは日本による奇襲攻撃の数日後には、国内にいた膨大な数の日本人・ドイツ人・イタリア人を拘束したと言いますから、武器や兵士の備えだけでなく、情報面の備えも十分にできていたのでした。第一次世界大戦のときに捜査局が担っていた合衆国内に在留する仮想敵国の人にかんする調査は、連邦捜査局に引き継がれていたわけです。

 当時、アメリカ議会図書館で日本語部門の課長だった坂西志保氏も拘束され、収容所に入れられたひとりでした。彼女はアメリカのミシガン大学大学院で博士号を取得し、カレッジの助教授をつとめたあと、議会図書館に移って仕事をしていたのでした。(連邦)捜査局はときどき《一網打尽》方式で人びとを拘束し、そのあとで嫌疑の有無を調べるというやり方をしていましたが、このときは奇襲攻撃をうけた緊急事態でしたから、その手法を使ったものと思われます。彼女は翌年に日本へ送還され、終戦後は評論家として活動しつつ、日米双方のために多方面で活躍しました。

 

 ジョン・エドガー・フーヴァーは若いときから全国的な人気者、有名人になっていました。数々の実績とFBIの機構改革や綱紀の引き締めがその主な理由ではありますけれど、新聞やラジオ、テレビ、書籍出版などを利用した彼の宣伝の巧みさを見逃すわけにはいきません。たとえば、フーヴァー長官の最側近のひとりだったウィリアム・C・サリヴァンは、退職後に書いた著書の中で次のように書いています。

 「FBI本部の主な仕事は、捜査ではなく、PR活動であった。」

 「FBIを支えていたものは、捜査活動ではなく、PRと、フーバーを褒め称えるプロパガンダであった。FBIで働く者全員が責めを負わなければならないが、とくにフーバーの回りにいたわれわれ高官の罪が大きかったと言えよう。」

 「フーバーのPR作戦では、手紙が有力な武器であった。{略}アメリカの歴史の中で、FBIほどたくさんの手紙を書く政府機関はかつてなかっただろう。」

 「フーバーのPR作戦、世論を操作しようとする大掛りな試みは、今日もなおつづいており、FBIの諸悪の根源となっている。」(6)

 1956年の暮れにドン・ホワイトヘッドというAPの記者が『FBI物語』という本を出版したとき、その取材から販売促進にいたるまで、FBIが全面的に協力しました。この本がベストセラーになったのに気をよくしたサリヴァンは、国内の共産主義といかに闘うべきかに焦点をしぼった本『大ペテン師たち』を上司フーヴァーの著書として出版しようと提案し、5名ほどの捜査員による分担執筆によって完成、FBIの販売キャンペーンによってベストセラー、というふうに狙いを的中させました。その後もFBIはフーヴァーの著書という触れ込みで2冊の本を出版しましたけれど、売行きはいずれも数万部にとどまりました。

 

 ここでFBIが実行した調査活動から特徴的なものを3点ご紹介します。

(1)図書館警報プログラム

 このプログラムの英語表記は、Library Awareness Serviceです。図書館界では、利用者への情報提供サービスの一部をカレント・アウェアネス・サービス(current awareness service)というばあいがあります。新たに入った本の情報を知らせたり、イベントなどの予定を紹介したりするもので、利用者が特定の分野・テーマをあらかじめ申し込んでおけば、該当する本などが入ったことを、定期的に個人にメールで通知してくれる図書館もあります。

  FBIの図書館警報プログラムは、利用者の中にまぎれこんでいる物騒かもしれない人物(おもなターゲットはソ連のスパイ)を、図書館員の協力を得てあぶり出そうとするものです。1962年から秘密裡に実施されてきたこのプログラムは、1987年9月、『ニューヨーク・タイムズ』紙が実態を報じて騒動に発展しました。図書館員が利用者の情報を捜査機関にもらせば、市民の知る自由やプライバシーの侵害になり、図書館員の倫理規定にも反するということで、当該地域だったニューヨークの図書館協会やアメリカ図書館協会が抗議し、連邦議会でも司法長官が弁明せざるを得なくなったのでした。

 この件が長く明らかにならなかったのは、図書館員としてあるまじき行為だと知っていた協力者たちの口が堅かったからか、ほとんど成果があがらなかったからでしょう。司法長官の言い訳どおり、図書館員たちの「自発的な協力」(6)だった可能性もあるかもしれません。

 

(2)性的逸脱プログラム

 このプログラムの英語表記は、Sex Deviates Programです。簡単にご説明しますと、1937年、フーヴァーの率いるFBIがゲイにかんする情報を組織的に集め始めます。これが少しずつエスカレートして性的逸脱プログラムと名づけられたのが1950年ごろでした。内容は、おもにゲイの人たちをターゲットとして、彼らを連邦・州の政府機関、高等教育機関、法執行機関から締め出そうとしたものでした。(5)

 FBIがこのプログラムによってつくった個人のファイルは、合計30万ページとも35万ページとも言われています。その膨大なファイルの中でOCファイルと呼ばれるものがありました。OCはOfficial and Confidential(公式かつ機密)の略で、その「ファイルは、エドガーの執務室の、錠がかかるファイルキャビネットに厳重に保管されていて、その鍵は、エドガーの秘書ヘレン・ガンディが、毎日、自宅に持ち帰っていると伝えられていた。このエドガーのファイルに入っていた卑劣な情報は、大部分、セックスに関係した性質のものだった。」(1)

 『大統領たちが恐れた男』の著者サマーズが《卑劣な情報》と表現する理由は3つあります。①情報を入手するために、しばしば違法な手段(たとえば盗聴)を用いたこと、②犯罪者でも容疑者でもない人たちの性的傾向はプライバシーであるにもかかわらず、公的な捜査機関があえて情報をさぐり、集めたこと、③フーヴァー長官がそれらの情報を政治的に利用したこと、です。たとえば、大統領選挙の候補者の性的情報(不倫など)を現職の大統領に密かに伝えたり、FBIやフーヴァー長官に批判的な議員の口封じのために当人の性的情報をマスコミにリークする、などです。

 というわけで、性的逸脱プログラムを実行させたフーヴァー長官は、自らの身をまもるため、政治の動向に影響をあたえるため、プライバシー情報を利用する《倫理的逸脱プログラム》を実行してしまったのでした。

 今でもLGBTQ(性的少数者)の人たちは必ずしも市民権を得ているとは言えませんけれど、2020年のアメリカ大統領選挙のとき、民主党候補に名乗りをあげたピート・ブティジェッジ氏は、ゲイであることを公表していました。彼は29歳でインディアナ州サウスベンド市の市長に当選していましたから、とくにLG(レズビアンとゲイ)の人たちが白眼視されていたフーヴァーのFBI長官時代とくらべれば、文字どおり隔世の感を禁じえませんね。

 

(3)対敵諜報プログラム(コインテルプロ)

 このプログラムの英語表記は、Counter Intelligence Programです。始まりは1956年、発案はFBI幹部のウィリアム・C・サリヴァン、当初の目的は仮想敵国スパイの諜報活動の防止、でした。

 アメリカにとっての仮想敵国は、ソ連や中国などを中心とする共産主義国社会主義国でした。その背景には、アメリカも国連軍の主力として参戦した朝鮮戦争(1950~53年)、アメリカの喉元といわれたキューバでの革命の芽生え(1953年のフィデル・カストロ武装蜂起)などがありました。このような国際情勢によって、アメリカでは大統領から一般庶民の多くにまで共産主義の脅威が浸透し、1954年には同国内では共産党が非合法とされていたからです。

 スパイはスパイであることを隠して情報の受け渡しをしますから、誰が敵国のスパイか簡単に分かりません。そこで、FBI捜査官たちは、《かも知れない人》を対象に大雑把な網を張ります。初めのうち、網を打たれた人たちとそのグループは、共産党社会主義団体、労働組合公民権運動団体などに限られていました。それが徐々に範囲をひろげ、黒人・学生・フェミニストの団体やグループも捜査・監視の対象になります。

 というわけで、初めのうち共産主義をターゲットとしていた対敵諜報プログラムは、国の政治的・社会的安定を損なう恐れがあるとFBIがみなした各種の活動団体にターゲットを拡げたのでした。

 順調だったかに見える対敵諜報プログラムは、1971年3月、小さな事件がきっかけで大きな打撃を受けました。いきさつは次のとおりです。

 まず、ペンシルヴェニア州メディアにあったFBIの事務所に泥棒が入り、多くの書類が盗まれます。犯人はつかまりませんでした。

 次いで《FBIを調査する市民委員会》と名乗る犯人たちが、書類のコピーをマスコミや政治家に送ります。それらの書類にはFBIがコインテルプロの一環として学生・政治的な過激派・黒人などを監視している証拠となる内容が含まれていました。

 議会やマスコで批判と非難の声が強まりますと、フーヴァー長官はFBIの事務所のほとんどを廃止し、コインテルプロの終了を命じました。それだけでなく、彼は遺言書を書き直し、FBI本部にある膨大なファイルを、保存しても大丈夫なものと廃棄すべきものとに区分けする作業を始めざるをえませんでした。いつも強気だったフーヴァー長官がそこまで追い詰められたのは、当時のリチャード・ニクソン大統領が彼を解任しようと決心していながら、いざとなると何度も翻意していた事実が影響したかもしれません。

 「フーヴァーはいま、自分が自分のファイルの究極の被害者、囚われ人になっているのに気づいただろう。ほんとうに恐ろしい敵は、ウィリアム・「ワイルド・ビル」・ドノヴァン{CIAの前身の戦略諜報局を創設した人}でも、{FBIの部下だった}三人の裏切者でもなければ、敵の誰かでもなく、自分のファイルだった。ファイルだけが権力の源であるという、あれほど慎重に生み育ててきた神話の罠に落ちたフーヴァーは、ファイルを破棄することができなかった。ファイルの検討を始めて二週間もたたないうちに、彼は仕事を放棄した。」(7)

 ジョン・エドガー・フーヴァー長官は、1972年5月2日の朝、自宅で亡くなっているのを発見されました。前日の彼はふつうに勤務していたため、念のためふたりの医師が別々に検屍をした結果、謀殺死や事故死ではなく、自然死だと判断されました。

 長官が亡くなって3年あまり経った1975年11月、アメリカ上院はFBIにかんする公聴会を開き、「FBIの過去を掘り返して屈辱的な話をいくつか明るみに出した。マーティン・ルーサー・キング盗聴、米国人に関する国内治安ファイル五十万ページの整備、「コインテルプロ」キャンペーンにおける市民的自由侵害、捜査権限を政治闘争の武器に使うなどの職権濫用である。

 FBIは、正当な理由なしに米国人に対してスパイを働いていた――それが上院委員会の結論だった。」(8)

 

 《自由の国》と言われてきたアメリカ合衆国は、国民や州政府にさまざまな自由をみとめてきた多様性に富む国でもあります。そのような国にあって、生涯を通じて主義主張がぶれず、好悪がはっきりしていたフーヴァー長官は、半世紀におよぶ在任中、異質な少数者の抑え込みや排除を通して、社会の安全と同質性を担保しようと努めたのでした。

 ただし、フーヴァー長官には、国のために多大な貢献をした《巨人》(ニクソン大統領の追悼演説)という一面と、人びとの個性や違いを容認しない《不寛容な人》という一面があったように思われます。

 

参照文献:

(1)アンソニー・サマーズ著、水上峰雄訳『大統領たちが恐れた男:FBI長官フーヴァーの秘密の生涯』(新潮社、1995年)

(2)J. Edgar Hoover: The Crimebuster and the Catalogers / by Cheryl Lederle(Blog in LC, March 27, 2012)

(3)カート・ジェントリー著、吉田利子訳『フーヴァー長官のファイル 上』(文藝春秋、1994年)

(4)ロードリ・ジェフリーズ=ジョーンズ著、越智道雄訳『FBIの歴史』(東洋書林、2009年)

(5)ティム・ワイナー著、山田侑平訳『FBI秘録:その誕生から今日まで 上』(文藝春秋、2014年)

(6)W. サリバン、B. ブラウン著、土屋政雄訳『FBI:独裁者フーバー長官』改版(中公文庫、2002年)

(7)カート・ジェントリー著、吉田利子訳『フーヴァー長官のファイル 下』(文藝春秋、1994年)

(8)ティム・ワイナー著、山田侑平訳『FBI秘録:その誕生から今日まで 下』(文藝春秋、2014年)

阿倍仲麻呂(あべ・の・なかまろ 698?-770)

 2004年4月に中国の西安市(かつての長安)でひとりの日本人の墓誌が発見され、それが「公、姓は井、字は真成、国は日本と号す」で始まるため、埋葬されたのが井真成(せい・しんせい)という遣唐留学生ではないかということで、日中の関係者の関心を集めました。

 翌年1月末、井真成墓誌研究のための日中国際学術シンポジウムと市民セミナーが日本で開かれ、そこに参加した研究者の論考を中心として、1冊の本が出版されました。タイトルは『遣唐使の見た中国と日本:新発見「井真成墓誌」から何がわかるか』です。墓誌の発見から本の出版までわずか1年半の出来事でした。両国の古代史研究者や歴史ファンが色めきたったような感じがするのですが、いかがでしょうか。(1)

 ただし、唯一の情報源である墓誌から分かったことは、唐での名前が井真成という日本人、没年の開元22年(734年)、享年の36歳、そこから逆算しての生年、学業に精励中の客死、などでした。それらのことから、彼が阿倍仲麻呂吉備真備(きびのまきび)らと一緒に唐にわたった遣唐留学生だっただろう、というのが結論でした。

 

 阿倍仲麻呂奈良時代の遣唐留学生で、唐の玄宗皇帝に能力を見込まれていくつかの官職をあたえられ人です。ただ、なかなか帰国の願いを聞き入れてもらえず、ようやく望みがかなって乗り込んだ帰国船が思わぬ遠方に漂着し、かろうじて戻った唐でふたたび官途につき、客死した人でもありました。

 阿倍仲麻呂については、よりどころとなる記録の存在しない期間が長く、文献があっても、研究者が推測や推定をせざるをえない事項が少なくありません。よって、ここでは専門家の皆さんの見解が分かれる部分は、両論併記というかたちで示すにとどめます。

 

 阿倍仲麻呂の正式の名前は、阿倍朝臣仲麻呂です。阿倍と仲麻呂のあいだにある朝臣は、「あそん」または「あそみ」と読み、当時8種類あった貴族や豪族の姓(かばね)のひとつで、ふつうは省略されていました。彼は中流の貴族だった阿倍船守(ふなもり)の息子、生年は不確かで698(文武 2)年または701(大宝元)年のいずれかだとされています。

 仲麻呂の幼少年時代のことは何もわかっておらず、「日本の大学に通って学んだ可能性が高い」という説(2)と、「日本の大学には行っていなかったと解するのがよいであろう」という説(3)があります。いずれにしろ、さほど身分の高くない貴族の息子でありながら、弱冠20歳(または17歳)で遣唐使節団の留学生にえらばれましたので、学業や人柄の面で優れていたのだと思われます。

 仲麻呂が加わったのは、717年(養老元)年の遣唐使節団で、総勢550人あまりが4隻の船に分乗しました。大使、副使、随行員、通訳のほかに、技術者、船員、留学生などが乗り込み、洋上の長旅に欠かせない食糧と飲料水を大量に積んでおかなければなりません。交通手段が当時とはくらべものにならないほど発達した現代でも、一度に550人もの使節団はめったに見られない光景でしょうね。

 この一大国家事業には、①大国である唐との友好関係をたもち、②その文化や行政のあり方を学び、③日本では珍しい文物を持ち帰る、などの目的がありました。使節団員のほとんどが約1年の滞在で718年に帰国する中、留学生だった阿倍仲麻呂吉備真備、留学僧の玄昉(げんぼう)などは次の遣唐使が来るまで長安に残って学ぶことになっていました。

 

 長期留学生の仲麻呂らは唐の官吏養成機関である太学で、四書五経などの経書を学びました。その期間は分かっていません。また、唐では、名前を朝衡(ちょう・こう)または晁衡(ちょう・こう)と改めましたが、いつ改名したかも分かっていません。

 王巍「阿倍仲麻呂玄宗楊貴妃の唐長安」(4)には、中国の古典『唐語林』が典拠であることを示して、仲麻呂太学時代について次のように書かれています。

 「当時、太学館では三千人以上が学んでおり、新羅や日本からの留学生(るがくしょう)もここで勉学に励んでいた。入唐後、仲麻呂は中国文化をこよなく愛し、中国で引き続き造詣を深めることを決めた。彼は第八回遣唐使団の帰国船には乗らず、長安太学館に残って勉強を続けたのである。仲麻呂は聡明にして勤勉で、成績優秀であった。」

 その後、仲麻呂科挙に応試したか否か、その及第者だったか否かについても、大きく分けて2説がありますけれど、残念ながらどちらも強い説得力をもつ根拠を示していないように思われます。

 

 さて、仲麻呂の唐における官歴の始まりは、左春坊(東宮)司経局校書でした。これを現代風に言いかえますと、《皇太子の御所にある司経局という図書館の職員》になります。時期は、721(唐の開元9)年から727(開元15)年のあいだ、いつからいつまでという期間は不明です。そのおもな仕事は、内容が同じであるはずの複数の書物を比較して、異同や誤りを調べ、正すことでした。唐よりもはるかに書物の少ない国からやってきた向学心の旺盛な仲麻呂のような若者にとっては、ありがたい仕事だったでしょう。

 近年は世界のあちこちで日本人が図書館員をしていますけれど、唐で図書館員になった阿倍仲麻呂は、現段階で分かっているかぎり、日本で初めて外国で図書館員になった人ということになります。

 

 その後、仲麻呂は、天子のあやまりを諫めることが職務である左拾遺や左補闕(さほけつ)に任命されるなど、玄宗皇帝に厚く信頼され、玄宗を継いだ粛宗、その次の代宗の時代を合わせますと、唐では10種類以上の官職につきました。その中に、宮中図書館の長官である秘書監という職があります。当ブログの「白居易」では、「秘書後庁」という七言絶句で、居易が自分の気楽な執務ぶり(というよりは暇をもてあます様子)を歌うのをご紹介しました。

 綿密な考証によって定評のある杉本直治郎著『阿倍仲麻呂傳研究:手沢補訂本』によりますと、日本への帰国を予定していた朝衡(阿倍仲麻呂)と河清(藤原清河)がほぼ同時期に秘書監だったという文献を手掛かりとして、「最初より{唐を}離れることを予想して、そのため単なる名義上の優遇のつもりで、かかる官名{秘書監}が与へられたに過ぎぬと見るべきものであらう」と結論づけています。(5)

 

 異国でしっかり学び、皇帝の近くで仕事を与えられ、文人たちと親しく交わることができた仲麻呂ではありましたけれど、故国を懐かしく思わなかったわけではありませんでした。そこで、渡唐の16年後、次の遣唐使が4隻の船でやって来て734年に帰国するとき、仲麻呂は自分も帰国したいと願い出ます。ところが、ちょうど親王の補佐役である儀王友という官職を命ぜられたころで、皇帝の信任がもっとも厚かった時期でもあり、仲麻呂は帰国の許しを得ることができませんでした。

 彼が乗船を望んだ帰国船4隻のうち、ほぼ順調に日本に着いたのは1隻だけで、ほかの3隻は①漂流して唐に逆戻り、②行方不明、③今のベトナムあたりに漂着し、疫病や戦闘によって生き残ったのが数人、という惨憺たるありさまでした。

 それからほぼ20年後の752年、藤原朝臣清河(ふじわらのあそみきよかわ)を大使とし、かつて仲麻呂とともに唐に渡った吉備真備を含む2名の副使に率いられた遣唐使がやってきました。翌753年、すでに50歳をすぎていた仲麻呂は、ようやく帰国を許されます。

 帰国船団は今回も4隻で、第1船には大使の藤原清河や仲麻呂、第2船には副使の大伴古麻呂(おおとものこまろ)と何度も日本へ渡ろうとして果たせなかった唐僧の鑑真(がんじん)、第3船には吉備真備、第4船にはその他の人たちが乗っていました。

 

 長安を離れるとき、詩人で朝廷の高官でもあった王維は、「秘書晁監の日本国に還るを送る」と題する送別詩を贈ってくれました。《秘書晁監》の《晁》は、仲麻呂が唐で晁衡(ちょう・こう)とも名乗っていたからです。王維の友情あふれる詩とその序文に対して、仲麻呂も王維と同じ五言排律というかたちで漢詩のお返しをしています。(6)

 また、出航をひかえた船で仲麻呂が詠んだとされる望郷の歌が小倉百人一首に入っています。この歌は『古今和歌集』に収録され、『土佐日記』にも「天の原」をなぜか「あをうなばら」と変えて紹介されていますので、ご存知の方も多いでしょう。この和歌を収載している文献によって漢字の使い方はいろいろですけれど、郷愁をおびた歌は次のとおりです。

 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも

 さて、帰国船4隻のうち3隻は漂流や船の火災などの苦難をのりこえて帰国を果たしましたが、第1船だけが安南(今のベトナム)に漂着してしまいました。なお災難はつづき、現地の人たちの襲撃によって藤原清河や仲麻呂ら数名が生き残る中、乗員のほとんどは亡くなるか行方不明になってしまいます。

 仲麻呂が亡くなったという誤報を受けた詩人の李白は、「晁卿衡(ちょうけいこう)を哭す」と題する七言絶句を書きました。晁衡のあいだにある《卿》は、仲麻呂が秘書監と兼務していた衛尉卿(えいいけい)という官職を指しており、《哭す》は《泣き叫ぶ》という意味です。名月のような輝かしい人だった晁衡君が青い海に沈み、白い雲が愁いの色を帯びて南の空いっぱいに拡がっているという内容の詩で、李白の友情と哀悼を示すものとされています。

 初めに中国の西安市井真成墓誌が発見されたエピソードをご紹介しましたが、その西安市内の興慶公園に「阿倍仲麻呂記念碑」があります。6メートルを越える高さの石塔には、李白の「晁卿衡を哭す」と仲麻呂の「望郷の詩」とが、それぞれ一面を使って刻まれています。「望郷の詩」にある《東の空》《奈良》《三笠山》《明るい月》を意味する語が「天の原」の和歌を思い起こさせるため、この漢詩が先にできたという説と、「天の原」の和歌が先にできたという説とがあります。

 かろうじて唐に戻った清河と仲麻呂は、また唐朝で仕事を与えられ、ともに異国で亡くなりました。河清(か・せい)と改名した清河の没年は不明ですが、仲麻呂の没年は770年(日本の宝亀元年、唐の大歴5年)でした。

 

 このように、阿倍仲麻呂はいまだに歴史の濃い霧の中にいます。本人がほとんど何も書き残していませんし、人生の大半を過ごした唐での暮しは、断片的な情報から推し量ることができるに過ぎないからです。けれど、その乏しい情報からだけでも、彼が、生れ故郷よりはるかに進んだ大国にあって、皇帝、朝廷の要人、文人たちから信頼されつづけたことを確認できます。

 阿倍仲麻呂や藤原清河らが唐朝で重用されていたことは、日唐両国の文化交流と相互理解を推し進め、友好関係を保つのに役立ったという意味で、高く評価されてしかるべきではないか思います。

 

参照文献:

(1)専修大学・西北大学共同プロジェクト編『遣唐使の見た中国と日本:新発見「井真成墓誌」から何がわかるか』(朝日新聞社、2005年)

(2)上野誠著『遣唐使阿倍仲麻呂の夢』(角川学芸出版、2013年)

(3)森公章(きみゆき)著『阿倍仲麻呂』(吉川弘文館、2019年)

(4)王巍著「阿倍仲麻呂玄宗楊貴妃の唐長安」in遣唐使船再現シンポジウム編『遣唐使船の時代:時空を駆けた超人たち』(角川学芸出版、2010年)

(5)杉本直治郎著『阿倍仲麻呂傳研究:手沢補訂本』(勉誠出版、2006年)

 本書は、1940年に育芳社から出版された『阿倍仲麻呂傳研究』に著者自身が手書きの補訂を加え、それを98%に縮小撮影して刊行されたもの。

(6)豊福健二「阿倍仲麻呂唐詩人の交遊詩」{講演録}in『武庫川女子大学生活美学研究所紀要』no, 29, 2019.