図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

本の販売不振を図書館貸出のせいだとする思い込み

 出版界と図書館界の20年論争中に、本の売行きが落ちたのは公立図書館の貸出数が増えたせいだと主張する人たちがいました。いくつか例を挙げてみましょう。

例1

 2000年4月、『新文化』という出版業界紙に、能勢仁(のせ・まさし)氏による「増加一途の図書館貸出冊数:書籍販売の伸びおびやかす一要因」という記事が掲載されました。能勢氏は、書店、出版社、出版取次店で経験を積み、1995年に独立して出版と書店のコンサルタント会社「ノセ事務所」を立ち上げた方です。

 上記の記事に次のようなくだりがあります。

 「書籍販売冊数の減少率はこの三年間で、2.6%~7.1%である。この反対の増加現象が公共図書館の貸出冊数である。」

 「九八年度、全国の公共図書館の貸出冊数は五億〇五三二万冊であった。公共図書館数二五八五館で割ると、一館当り平均二〇万冊弱を貸出したことになる。」(1)

 ここでは、書籍の販売冊数と公共図書館の貸出冊数を3年間だけ比較しています。そして、比較したふたつの統計数値の相関関係については、何も言及されていません。ということは、公共図書館の貸出増と書籍の販売減との関係は、能勢氏にとって説明する必要のない自明の理だったのかも知れません。

例2

 翌2001年、作家の楡周平(にれ・しゅうへい)氏による「図書館栄えて物書き滅ぶ」という記事が『新潮45』に掲載されました。楡氏のばあいは、公立図書館についても調べていて、全体的に好感のもてる表現ではあるものの、やはり、書籍の販売部数と公共図書館の貸出冊数を比較して前者が後者の影響を受けているかのような印象を与えています。

 たとえば、1990年から2000年までの書籍の販売部数と公共図書館の個人貸出数に加えて、図書館の受入冊数や図書館数の推移をグラフで示し、「先頃公表された二〇〇〇年実績で、書籍の販売部数は七億七三六四万冊、それに対して公共図書館での個人貸出数は五億二三五七万冊(受入冊数は一九三四万七〇〇〇冊)。このままの傾向が続けば、そう遠くない将来両者の数字は逆転する可能性が高いことがお分かりいただけるかと思います」(2)としています。

 ここでも、比較したふたつの統計数値の相関関係、影響関係については何も言及されていません。

例3

 以上の2氏による記事から10年以上経った2015年、新潮社の常務取締役だった石井昴(いしい・たかし)氏は、『新潮45』に「図書館の“錦の御旗”が出版社を潰す」という記事で、公立図書館の貸出サービスのせいで出版社がつぶされると訴えました。曰く、

 「公立図書館はこの10年間で423館も増え、全国で3248館になった。また貸出のシステムも簡便化され、スマホで待ち状況を確認し予約ができる。そしてすでに2013年には図書館の個人向け貸出冊数は7億1149万冊になり、書籍販売冊数の6億7738万冊を大きく抜いているのである。これでも図書館の貸出が新刊の売れ行きに影響がないと言えるのだろうか。」(3)

例4

 新潮社の佐藤隆信(さとう・たかのぶ)社長は、2015年11月の「第17 回図書館総合展フォーラム2015」において、次のように主張しました。

 「2010 年に書籍の実売部数と図書館での貸出冊数が、逆転しています。この年を境にして著者の方々からの声が大きくなり始めたんだと思います。もちろん、この売上減少の原因が貸出だけにあるとは言えませんけれど、書籍の実売部数と図書館貸出数のグラフを見る限り、少なくとも何らかの相関関係があると推論せざるを得ない。」(4)

 4氏の記事と発言をごく簡略にまとめますと、公立図書館の貸出サービスのせいで書籍販売が伸び悩み、その結果、作家の暮しが成り立たなくなり、出版社の経営が苦しくなっている、という主張になっています。けれど、このように主張するときは、元になっている統計数値を比較するだけでなく、ふたつの数値の因果関係を説明または証明しなければ何の説得力もない主張になってしまいます。

 ただの仮説にすぎないことを検証抜きで真実であるかのように主張すれば、誠実さを疑われても仕方がありませんね。

 

4氏の主張がただの思い込みだとする根拠

根拠1

 本の販売量と公共図書館の個人貸出冊数とが長期にわたってシンクロしていれば、両者に因果関係があるかも知れないと思うのは、不自然ではないかも知れません。ところが、1968年から2022年までの55年間を調べてみますと、次のような事実に気がつきます。(5)

 1968年から1988年までの21年間、本の販売部数はほぼ一貫して増えました。前年とくらべて減ったのは3年(3回)だけで、減少数はほんのわずかでした。同じ時期、公共図書館の個人貸出は一貫して増えていました。つまり、本の販売量と図書館の貸出量は、ほぼシンクロしていたのです。

 この事実は何を意味するでしょうか?

 4氏の結論とは逆に、この期間中、《公共図書館の貸出冊数が増えたおかげで、本の販売部数も増えた》と言えるのではありませんか?

 ふたつの事象の関連性を考えるとき、わずか3年や10年の統計数値だけで結論を得ようとするのがそもそも間違いだったのです。

 1989年から2009年までの21年間、本の販売部数が前年より増えたのは、6年(6回)で、前年より減ったのは15年(15回)でした。一方、同じ期間に公共図書館の個人貸出は一貫して増えました。

 このばあいは、本の販売量と公共図書館の個人貸出量が同じ傾向を示した年と異なる傾向を示した年がありますから、単純に結論を出すことはできません。

 2010年から2022年までの13年間、書籍の販売部数はすべての年で前年を下回りました。同じ期間中、公共図書館の貸出冊数は前年より増えたのが4年(4回)、減ったのが9年(9回)でした。本の販売量と公共図書館の個人貸出量は、シンクロしていた年が9年(9回)、シンクロしていなかった年が4年(4回)だったことになります。言えるのは、ともに低下した年数が、ともに増加した年数より多かったということです。

 ①②③の事実は何を意味するでしょうか?

 全55年のうち、公共図書館の貸出冊数と本の販売部数とが増減を共にしたのは33年、増減を異にしたのは22年、割合は60%対40%でした。つまり、ふたつの統計を短期間だけ比較するだけでは正しい結論が得られない例だったということになります。

根拠2

 試みに、図書館の本の貸出に濡れ衣を着せた方々がほとんど言及しなかった雑誌と新聞について考えてみましょう。

 雑誌の販売冊数は、1995年がピークで約39.1億冊、以降、2022年の7.7億冊まで減りつづけました。2022年の販売冊数は、1995年の何と20%弱にしかなりません。

 新聞の発行部数は1997年がピークで全国で約5,380万部に達し、以降は2023年までほぼ一貫して減りつづけました。2023年の発行部数およそ2860万部はピークだった1997年の53.2%と、半分に減ってしまいました。

 そして本(書籍)の販売冊数のピークは1988年(販売金額のピークは1996年)でした。

 お気づきでしょうか? 1990年代の中ごろに新聞と雑誌が販売部数のピークをむかえ、本(書籍)が販売金額のピークをむかえ、それ以降は3種の発行物が一貫して減りつづけてきたのですね。おまけに新聞と雑誌の販売は《惨状》と言っても過言でないほどの落ち込みです。

 公立図書館では、雑誌の最新号を館内での閲覧に限ってバックナンバーだけを貸し出し、新聞は前日までの分をコピーで済ませてもらうのが普通です。つまり、図書館の貸出量を問題とするとき、雑誌と新聞はあまり関係がありません。その2種の紙媒体の出版物が、本とほとんど同時期に販売不振におちいり、20年後には《惨状》というほどに落ち込んでしまったのです。

 この事実を冷静に考えれば、1990年から1995年ごろにかけて、公立図書館の本の貸出とは無関係な要因が、代表的な3種の出版物である本・雑誌・新聞の販売不振に大きな影響を与え始めた、と思い至るでしょう。

根拠3

 2010年代に入って、公共図書館の貸出冊数または所蔵冊数と本の販売部数との因果関係について調査・研究した学術的な論文があいついで発表されました。《学術的な論文》と言いますのは、論文の執筆者が大学で教鞭をとる人たちで、計量経済学の手法によって調査研究した結果を紀要や専門誌に発表したからです。おもな論文の結論は、以下のとおりです。

 A. 中瀬大樹「公立図書館における書籍の貸出が売上に与える影響について」(『2011年度知財プログラム論文集』、2012年)

 中瀬氏は2種の調査を行ない、a. 2003年から2007 年の全国47都道府県単位の調査では、公共図書館の貸出が書籍の販売に与える影響は正とも負とも言えない、b. 2005年から2007 年の関東1都 6県の市町村単位の調査では、公共図書館の貸出が書籍の販売に与える影響は「有意に正の値が得られる」と結論づけています。

 《正の影響》とは、図書館の貸出が書籍の販売にプラスの影響をあたえるという意味で、《負の影響》は逆にマイナスの影響をあたえるという意味です。

 B. 浅井澄子「公共図書館の貸出と販売との関係」(InfoCom Review, no. 68, 2017)

浅井氏は貸出冊数が書籍販売(冊数ないし金額)に及ぼす影響について調査し、公共図書館の貸出が書籍の販売に「負の影響を与えるとは結論づけられない」としています。

 C. 貫名(かんめい)貴洋「図書館貸出冊数が書籍販売金額に与える影響の計量分析の一考察」(『マス・コミュニケーション研究』no. 90, 2017)

 貫名氏はこの論文の「まとめ」部分で、「図書館の貸出冊数増加により書籍の販売金額が減少するという仮説に対し、都道府県別のデータによる分析結果から、図書館貸出冊数と書籍販売金額には負の関係が見いだせないという結論を導き出すことができた」としています。

 同じ執筆者による次のD論文も結論部分は同じですけれど、こちらのC論文とは調査の対象とした期間やデータの種類に違いがあります。

 D. 貫名貴洋「都道府県別データを用いた図書館貸出冊数と書籍販売金額の相関分析」(『広島経済大学経済研究論集』v. 40, no. 1, 2017)

 ここでの貫名氏は、図書館貸出冊数と書籍販売金額の相関関係を考察するために、書籍販売金額がピークであった1996年から2014年までの都道府県別データを用いて分析しています。「まとめ」によれば、「図書館の貸出冊数増加により書籍の販売金額が減少するという仮説に対し、都道府県別のデータによる分析結果から、図書館貸出冊数と書籍販売金額には負の関係が見いだせないという結論を導き出すことができた」という結論になっています。

 E. 浅井澄子「公共図書館の貸出の書籍販売への影響」(『書籍市場の経済分析』の第4章、日本評論社、2019年)

 この論文が対象とした時期は、a. 第1期:1960年~1982年、b. 第2期:1984年~2014年で、「小括」に書かれている結論は、「集計データで分析する限り、公共図書館の貸出が、書籍販売に明確な負の影響を与えていることは見いだせなかった」というものです。

 F, 大場博幸「図書館所蔵と貸出の書籍市場への影響─2015年の文芸書ベストセラーをサンプルとして─」(『教育學雑誌:日本大学教育学会紀要』55号, 2019年)

 ここでの大場氏は、対象資料を2015年にベストセラーとなった文芸書の上位300タイトルにしぼり、「それらの2018年4月時点での日本全国の公共図書館の所蔵数および貸出数と、新刊としての売上冊数および古書価格との関係を調べた」としています。

 論文末尾の「考察」では、「全国公共図書館における所蔵数の多寡が、新刊書籍の売上部数に影響することが示された。しかしながら、貸出数のそれへの影響は不確実であった」としています。

 G. Displacement effects of public libraries / by Kyogo Kanazawa and Kohei Kawaguchi(Journal of the Japanese and International Economics, v. 66, Dec. 2022)

 金澤匡剛・川口康平両氏によるこの論考は、公共図書館の特定タイトルの所蔵冊数が本の販売に影響するか否かを調べたもので、図書館の貸出冊数と書店の販売冊数との影響関係を調べたものではないという点がひとつの特徴となっています。

 調査の対象は、2017年2月時点で入手可能だった一般書からランダムに選んだ300タイトルと、2014年から2016年までの各年のベストセラー上位50タイトルの合計150タイトル(50×3)です。

 その結果、次のようなことが分かったとしています。

 a. 上位6分の1のタイトルについては自治体の中での販売が平均で月に0.24冊減り、それ以外のタイトルについては影響が無視できること、b. ベストセラー本については影響がより大きく、販売が平均で月に0.52冊減ること。

 H. 大場博幸「公共図書館の所蔵および貸出は新刊書籍の売上にどの程度影響するか:パネルデータによる分析」(『日本図書館情報学会誌』v. 69, no. 2, 2023)

  この論文は「2019 年4 月~5 月に発行された一般書籍600タイトルのデータセットを用いて,公共図書館の所蔵と貸出による新刊書籍の売上への影響について検証」したもので、冒頭の「抄録」によりますと、「前月の所蔵1 冊の増加につき月平均で0.06 冊の新刊売上部数の減少、前月の貸出1 冊の増加につき月平均で0.08 冊の減少という推計値が得られた。このほか需要の減少や古書供給の増加もまた新刊書籍の売上冊数にマイナスの影響を与えていた。需要の高いタイトルに対する図書館による特別な影響は観察されなかった」という結論になっています。

 以上の8篇の論文の調査は、対象が一様ではありません。このばあいの対象とは、調査した図書館の範囲(全国か一部の地域か)、調査した図書館の実績(蔵書全体の貸出か蔵書の一部の貸出か、貸出か所蔵か)、調査した期間(年数や月数)、本の販売部数か販売金額か、などのことです。

 公共図書館の貸出または所蔵が本の販売にプラスの影響を及ぼすかマイナスの影響を及ぼすかについての結論も、次のように一様ではありません。

 A. 中瀬論文=a. 全国調査では、正とも負とも言えない結果、b. 関東一円の調査では、正と言える結果。

 B. 浅井論文=負の影響を与えるとは結論づけられない。

 C. D. 貫名論文=書籍の販売金額に負の影響が見いだせないという結論。

 E. 浅井論文=明確な負の影響を与えていることは見いだせなかった。

 F. 大場論文=図書館の所蔵数の多寡は本の売上げに影響するが、貸出数の影響は不確実。

 G. 金澤・川口論文=ポピュラーな本やベストセラー上位の本の図書館所蔵数は負の影響を及ぼす。

 H. 大場論文=図書館の所蔵数も貸出数も書籍の販売部数に対して弱い負の影響を与える。

 このように、調査手法が同じであっても、調査の対象や時期などの条件が異なれば、結論が異なるのは十分にあり得ることでしょう。また、8篇の論文が真逆の結論と中間的な結論とを含んでいるという事実は、《公立図書館の貸出数または所蔵数と、本の販売部数または販売金額》というわずかふたつの要素の分析・比較だけでは、前者の後者への影響関係を明確に導き出せないことを示唆しています。

根拠4

 本の販売不振にはさまざまな理由があります。ですから、影響する可能性のある多くの要素を脇に置いたままで、《本の販売不振》という現象を《公立図書館の貸出》または《公立図書館の所蔵》という面だけで調査・分析して結論を得ようとするのは、そもそも無理なのです。1990年代以降の本の販売不振に大きな影響を及ぼしてきたものだけでも、次の3点を指摘することができます。

 1. ICT(インターネット、通信技術、情報機器など)の発達と普及

 2. 出版社、出版取次店、書店などの出版界がかかえる課題

 3. 失われた20年とか30年と言われた日本経済の低迷

 これら3点は互いに絡み合って出版物の販売不振の要因を構成してきました。そのほか、人口減少と少子高齢化、子どもから高齢者までの余暇の過ごし方、小学校から大学までの教育のあり方、各種の図書館(とくに学校図書館大学図書館)の動向、図書館や読書にかんする法令の制定、などが本の売行きに影響します。

 より細かいことを挙げれば、本をよく買う人の年齢層、読んだ本について話し合える身近な人の存在、読み終わった本を古書店に売れる可能性、住いの中の書架を増やす余地、インターネットの図書館を自称して1997年に開館した無料の青空文庫、なども本の売行きに影響した可能性があります。要するに、本が売れたり売れなかったりするのは、複合的な要因によるということです。

 

参照文献

(1)能勢仁「増加一途の図書館貸出冊数:書籍販売の伸びおびやかす一要因」(『新文化』2000.4.20)

(2)楡周平「図書館栄えて物書き滅ぶ」(『新潮45』v. 20, no. 10, 2001.10)

(3)石井昂「図書館の“錦の御旗”が出版社を潰す」(『新潮45』v. 34, no. 2, 2015.2)

(4)日本書籍出版協会図書館委員会著・編『2015年「図書館と出版」を考える:新たな協働に向けて』(書協図書館委員会、2016.2)

(5)書籍の販売部数は『出版年報 2023年』、公共図書館による個人への貸出冊数(点数)は『日本の図書館:統計と名簿』の各年版による。

社長・団体・作家の支離滅裂な非難

 人文・社会系の学術書を出版している未来社社長の西谷能英(にしたに・よしひで)氏は、同社のPR誌『未来』28号(1999.7)で次のように主張しました。

 「どんな本であろうと、市民に要望の多い本を揃えるのは公共図書館の役目であると思っている図書館司書は多いだろう。しかしこうしたベストセラー本が一過的な興味を引きつけるだけで、時間がたてば誰も見向きもしなくなっているという現実を経験している司書は多いのではないだろうか。にもかかわらず、当座の人気と要望に応えるのが図書館の使命だと考えるのだとすれば、やはり役人によくありがちな失点防止主義、ことなかれ主義だと言われても仕方ないだろう。読者はどうしても読みたければ、自腹を切って買って読むのがあたりまえではなかろうか。文句を言って税金で買わせるのが市民の権利だとでも思っているひとにおもねる必要がどこにあるのか。」(1)

 不平たらたらという感じのこれらの文章は、ベストセラー本、司書、地方公務員(役人)、図書館利用者を憂さ晴らしの標的にしています。けれど、一連の文章は、標的にされた人と物にかんする思い込みと曲解で成り立っています。

 市民からの要望が多い本は、公立図書館のウェブサイトにある貸出ランキングやベストリーダー(よく借りられた本や雑誌など)のリストで確認すれば、ほとんどが「どんな本であろうと」と言われる種類の本ではないと分かるでしょう。当ブログの「公立図書館でよく借りられている資料」は、そのささやかな確認作業のひとつです。

 多くの市民が公立図書館から借りて読みたいと思う本の中には、ベストセラーでない本もたくさんあります。ベストセラーほどには売れなかったのに、息長く読み継がれる本です。出版された本のごく一部にすぎないベストセラー本よりも、タイトル数にすればその種の本が圧倒的に多いのは明らかです。

    西谷氏の記事が『未来』誌上に発表された1999年、図書館問題研究会(略称:図問研=ともんけん)が全国34の公立図書館におけるベストセラーの購入状況を調査しました。高浪郁子氏(当時、柏市立図書館新富分館)によるその結果報告(2)によりますと、ベストセラーの中には、大きな公立図書館であっても1冊しか購入しない本や全く購入しない本が含まれています。

 「時間がたてば誰も見向きもしなくなっている」と西谷氏が主張するベストセラー本の多くは、前回の当ブログでご説明したとおり、10年単位の長い時間軸のなかでさまざまな形で再刊・復刊され、読み継がれてきました。たとえば、1946年から1960年までのベストセラーの10位以内にランクインした代表的な著者を年代順にピックアップしますと、次のようになります。(3)

 永井荷風 河上肇 太宰治 谷崎潤一郎 三木清 吉川英治 川端康成 菊田一夫 三島由紀夫  新村出(編) 石原慎太郎 原田康子 山崎豊子 五味川純平 井上靖 清水幾太郎 北杜夫

 それらの著作の多くは近年も複数の出版社から刊行されており、こころみにいくつかの大きな公立図書館の目録を検索しますと、かなりの頻度で貸出中だと分かります。出版社の社長がベストセラー本を目の敵にするあまりその読者の眼力をあなどれば、手厳しいしっぺ返しをくらうのではないでしょうか。

 「失点防止主義、ことなかれ主義」は、日本の小さなコミュニティから大きな組織にいたるまで、ありふれた事象です。とりわけ失点防止という点は、命にかかわる医療や交通の関連機関をはじめとして、あらゆる現場で大切にされています。本や雑誌をつくる出版社においても、内容や表現の誤り、誤植などの《失点》を極力なくすように努めているでしょう。失点防止の努力が「役人によくありがち」というのは、単なる思い込みに過ぎません。

 西谷氏は「どうしても読みたければ、自腹を切って買って読むのがあたりまえ」と書いていますけれど、人がどのようにして望みの本を手にするかは、他人がとやかく口出しする筋合いのものではないはずです。買うもよし、買いたくなければ(あるいは買えなければ)図書館で読むもよし、人から借りるもよし、ということです。特に気に入った本のばあい、人はその感動や喜びを家族、友人、同僚などと共有したくなって「貸してあげるから読んでみては」と、勧めることが珍しくありませんね。

 最近は、公立図書館だけでなく、大学図書館学校図書館でも市民に本を貸し出す例が増えてきているため、世の中に《公立図書館以外の図書館から借りて読むのもあたりまえ》というゆるやかな流れが広まりつつあります。

 「文句を言って税金で買わせる」とは、市民の行動がよこしまであるかのような印象を与えたいのかもしれませんけれど、現在の日本では、公立図書館の所蔵していない本を図書館を利用して読みたい住民は、リクエストをすることができるのが普通です。そのときの図書館の対応は、リクエストされた本を購入するか、他の図書館から借りて提供するか、まれに謝絶するか、です。リクエスト制度を設けているのは図書館ですから、その制度を利用する人は図書館に文句を言っているのでも無理強いをしているのでもなく、落ち度のない行為していることになります。外国の公立図書館でも採用されているこの方法を、西谷氏は「文句を言って税金で買わせる」と捻じ曲げています。

 図書館の対応が購入、他館からの借り受けのどちらであっても、図書館は住民に「おもねる」のではありません。「おもねる」とは、「へつらう」「ご機嫌をとる」「追従{ついしょう}する」などの意味だからです。というわけで、図書館が住民におもねるという指摘も曲解の例ということなります。

 

 1935年に創設された日本ペンクラブは、2001年に発表した「著作者の権利への理解を求める声明」(2001.6.15)の中で、次のように公立図書館を非難しました。

 「最近、こうした著作者等の権利を侵害する動きが顕著になっており、日本ペンクラブは深い憂慮の念をいだいている。問題は、新古書店と漫画喫茶の隆盛、公立図書館の貸し出し競争による同一本の大量購入、である。」

 「公立図書館の同一作品の大量購入は、利用者のニーズを理由としているが、実際には貸し出し回数をふやして成績を上げようとしているにすぎない。そのことによって、かぎられた予算が圧迫され、公共図書館に求められる幅広い分野の書籍の提供という目的を阻害しているわけで、出版活動や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない。」

 これはしかるべき団体の声明ですから、複数の関係者が文案を吟味したでしょうに、上記の引用部分は、次のとおりお粗末だと言わざるを得ません。

 ①公立図書館が貸出競争をしているという非難は、非難すべきでないことを非難しているという意味で、間違っています。なぜなら、公立図書館は、来館者と資料の貸出を増やすことによって図書館運営に投じた税金を有効に使おうとしているからです。また、公立図書館の貸出サービスを自治体間の《貸出競争》として非難するのなら、競争をともなう次のような地方自治体の事例も非難しなければならなくなるからです。

 たとえば自治体は、ふるさと納税制度を利用しての寄付金集め、子育て支援、企業誘致活動、経営が苦しくなった私立大学の公立化、観光客の誘致など、さまざまに知恵をしぼって競争をしています。首長や担当者に競争という意識がないとしても、結果として競争をしているということです。

 本を執筆する人たちも、出版とその販売にかかわる人たちも、同業者と競争をしている、あるいは競争せざるを得ない、という現実の渦中にいます。競争には勝敗がつきものですから、圧倒的な勝者(たとえば著書の累積発行部数が2023年4月に1億冊を超えたと伝えられた作家である東野圭吾氏)がいる一方、初版の発行部数が数千部のまま重版のかからない多くの作家がいます。著者の競争相手には、同時期の同じジャンルの著者だけでなく、国内外の古典の著者、近年のロングセラーの著者、他のジャンルや外国の著者がふくまれます。出版社、取次会社、書店も同じことで、莫大な利益をあげる会社、地道に生き抜く会社、経営に行き詰まる会社など、浮沈はさまざまです。

 ②「公立図書館の同一作品の大量購入は、利用者のニーズを理由としているが、実際には貸し出し回数をふやして成績を上げようとしているにすぎない。」

 この文章も事実を曲解している例です。利用者のニーズに対応する努力が成績の向上につながっていると理解すべきなのに、日本ペンクラブの声明のこの部分は、一方通行の道路を逆走しているような感じがします。

 税金で運営される公立図書館は、多くの人の需要・要望に応えることで、投入した費用を活かします。つまり、利用希望の多い本を優先的に購入するのは合理的なのです。

 アメリカのボストンで公共図書館が誕生したとき、市議会は「公共図書館の目的とそれを達成するための最善の方法」を報告するよう図書館の理事会に求めました。1852年7月に提出された報告書は、公共図書館に備えるべき図書について4点の指摘をしていて、その3番目が複本についてでした。曰く、

 「しばしば請求される図書(ときの通俗書のうち評判の高いもの)。これらについては、多くの人が閲読を望んでいるならば、同時におなじ著作を読み得るぐらいの数の複本を用意し、楽しい健全な読物を、それが新しくフレッシュで、関心を引いている時期に、すべての人に提供できるようにする。したがって、このグループに属する図書はどれでも、しきりに要求されるかぎりは、次々に複本を購入し続けるべきである。」(4)

 つづけて、著者の森耕一氏は次のように解説します。

 「新設される公共図書館では、大衆に読まれる通俗書(popular books)を、しかも充分に複本を備えようというのです。この方針は、ボストンはもちろん、その後アメリカのすべての公共図書館で採用されました。実際、要求のある、読まれる本を、そして、タイムリーに要求を満足できるくらい十分に複本を整えるということは、大事なことだと思います。日本の公共図書館では、それから一世紀以上を経た今日においても、依然として複本の購入は例外的なことに属しているようです。反省する必要があると思います。」

 複本の大量購入によって、「かぎられた予算が圧迫され、公共図書館に求められる幅広い分野の書籍の提供という目的を阻害しているわけで、出版活動や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない。」

 この文章は、ふたつのことを主張しています。第1は、複本を大量に買う公立図書館は幅広い分野の本を提供できていないこと、第2は、(「それが理由で」とは言わず、「公立図書館が」とも言わずに)「出版や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない」こと、です。

 この2点の主張が(何の調査もしない)単なる思い込みによる断言であることは、先にご紹介した高浪郁子氏による調査報告と2015年に松本芳樹氏(当時、ふじみ野市立大井図書館)が行なった調査結果(5)によって明らかです。このふたつの調査は、個々の公立図書館が購入したベストセラーの複本数、それに要した費用、ベストセラー購入費が資料費に占める割合などを調べたものでした。

 ベストセラー購入費の資料費に占める比率が最も高かったのは、前者(1999年調査)で目黒区立図書館の0.98%、後者(2015年調査)で豊田市中央図書館(愛知県)の0.87%でした。

 公立図書館の複本の購入にかんする実態調査は2003年7月にも行われました。調査をしたのは日本書籍出版協会日本図書館協会で、全国500の市区町村の図書館を対象とし、427自治体の679館から回答が寄せられました。回答率が85%と高かったのは、公立図書館の複本購入がマスコミにもとりあげられて社会的な関心が高まっていたこと、出版界と図書館界の代表的な団体による共同調査であったこと、個々の図書館名を伏せるという条件で回答をもとめたこと、などが要因だったのではないかと思われます。

 調査内容は、ベストセラーや各種の賞を受賞した著作80点の図書館での所蔵冊数、貸出冊数、調査時点での予約件数でした。結果の集計は、政令指定都市特別区、大規模市(人口30万人以上)、中規模市(人口10万人~30万人未満)、小規模市(人口10万人未満)、町、村ごとに行なわれたため、個々の図書館の数値は分りませんけれど、複本の所蔵冊数についてのまとめは次のようになっています。

 「ベストセラー作品の中でも、『五体不満足』『模倣犯』『ハリー・ポッター』の3タイトルは、図書館においては、別格の所蔵冊数を持つ。この3作品の平均的な一図書館あたり所蔵冊数は、4.78 冊であるが、これを除いた残りの18 タイトルの平均的な一図書館あたり所蔵冊数は、1.55冊となる。」(6)

 その結果、次のようなことが言えるでしょう。

 貸出予約者の増加に応じて複本を10冊、20冊、30冊と増やすことができる公立図書館は、おおむね自治体の人口(サービス対象者数)と資料費予算が多く、幅広い分野の本を提供できる図書館です。これに対して、人口の少ない自治体の図書館は、特定の本の貸出予約者が大きな都市とくらべて少なく、そもそも複本を10冊、20冊と増やしていく必要がありません。

 結論として、複本の購入が予算を圧迫して幅広い本の提供を阻害するとは言えないことになります。つまり、誰に対しての非難なのか明らかでない「出版活動や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない」という主張は、根拠がなく間違っているということです。

 

 芥川賞受賞作家の三田誠広(みた・まさひろ)氏も公立図書館におけるベストセラーの複本をくりかえし非難した作家のひとりです。たとえば、2002年、『論座』の「図書館が侵す作家の権利:複本問題と公共貸与権を考える」(7)で次のように書いています。

 イ. 「図書館では推理小説などのベストセラー本を何冊も購入しているのに、純文学や学術書など人気がなくても価値のある本が揃っていないことがある。」

 ロ. 「地味な純文学や学術書の類が、ベストセラーの複本のために、図書館の棚からしめ出される傾向にあることは、まぎれもない事実だろう。」

 翌2003年には『図書館への私の提言』という立派なタイトルの本の中で、氏は公立図書館の職員と蔵書構成に次のような難癖をつけました。

 ハ. 「図書館で借りることができるのは書店でも買えるベストセラー本ばかりで、純文学や学術書などの蔵書はきわめて貧困です。人気のある本さえ揃えておけば、それで図書館の役目は果たせると決め込んでいる館長や職員が多いのではないでしょうか。」(8)

   イとロは、同じ雑誌記事の中にある文章で、ほぼ同じ内容です。要するに、公立図書館はベストセラーの複本をたくさん買うから、純文学や学術書などの購入にまわすお金が減っていると言っています。

 けれども、先にご紹介したベストセラー購入にかんする高浪・松本両氏の調査報告によりますと、公立図書館のベストセラー購入費が資料費全体に占める割合は、調査対象となったすべての図書館で1パーセントに満たないということでした。年間の資料費予算が3,000万円の図書館なら、ベストセラーの購入費が30万円未満で、残りの2,700万円以上がベストセラー以外の本の購入に充てられていたわけです。三田氏の言は(意図的ではなかったにしろ)結果的に嘘になっています。

 ハの引用にはふたつの文章が含まれています。第1の文章は三田氏の公立図書館にかんする無知を示しています。なぜなら、公立図書館では貴重書や調べものをするための参考図書などをのぞいて、ほとんどすべての本を借りることができるからです。その根拠は、西谷能英氏への反論の⑤においてご説明したリクエスト制度です。

 次に、「純文学や学術書などの蔵書はきわめて貧困」と公立図書館を一律におとしめているのも腑に落ちません。誕生したばかりの図書館や自治体が財政難で苦しんでいるさなかの図書館なら、蔵書構成に偏りが出たりするかも知れませんけど、公立図書館では「純文学や学術書などの蔵書はきわめて貧困」と一般的に言うことはできません。

    ここで三田氏の主張を一歩すすめててみましょう。

 公立図書館で「純文学や学術書などの蔵書がきわめて貧困」であるならば、《公立図書館は純文学や学術的な著作の新刊をほとんど購入しておらず》、したがって《純文学や学術書の新刊の販売不振は公立図書館と無関係だ》ということになります。三田氏の論理は破綻しており、都合のいいように理屈をこじつける牽強付会(けんきょうふかい)の一例になっています。

 先に三田氏の『図書館への私の提言』が立派なタイトルだと書きました。タイトルにある《提言》のひとつをご紹介します。

 「これ{図書館が複本対策に協力してくれるか否か}についても、わたしには試案があります。先にわたしは、公共図書館の設置者が、年間資料購入費の五%程度の補償金を払うということを提案しましたが、ここに複本対策についての報奨制度を盛り込むのです。例えば、推理作家たちを満足させるような複本対策を実施している図書館は、本来五%のところを、〇・五%ほど減免するというかたちで、複本対策に積極的な図書館を支援するのです。

 どうしても複本を置くという図書館には、余分に費用を払っていただく。すべてを金銭で解決するというのは、あまり誉められたことではありませんが、こうでもしないと、図書館は動かないというのが、私の実感です。」(p. 214)

 この《提言》は、複本を置きたい図書館の設置者(=自治体)が年間資料費の5%を補償金として支払い、複本対策に協力する図書館の設置者には0.5%の値引きをするというものです。具体的な数字を示せば、年間資料費が3,000万円の図書館を運営する自治体は、ベストセラーなどの複本を蔵書とするとき、補償金として150万円を出版側に支払うということです。

 「こうでもしないと、図書館は動かないというのが、私の実感です」とありますから、《図書館の複本=著者と出版社の損害》という図式が氏の脳裏にこびりついていて、自分が間違っているかも知れないとは考えなかったのでしょう。なぜなら、この提案があまりにも手前勝手で強欲なものだからです。

 

参照文献

(1)西谷能英「図書館の役割はどう変わるべきか」(『未来』28号、1999.7)

(2)高浪郁子「ベストセラーの購入状況を調べてみました」(『みんなの図書館』275号、 2000.3)

(3)日本著者販促センターの「ベストセラー 年度別」(アクセス20230724)

(4)森耕一『図書館の話』第4版第16刷(至誠堂、1998年)

 引用部分の最後に「日本の公共図書館では、それから一世紀以上を経た今日においても、依然として複本の購入は例外的なことに属しているようです。反省する必要があると思います」とあるが、第4版第16刷が発行された1998年時点では「複本の購入は例外的なこと」ではなく、出版側のごく一部からではあるが非難・攻撃の的となるほど拡がっていた。

(5)松本芳樹「ベストセラーの購入状況を調べてみました:2015」(『みんなの図書館』462号、2015.10)

(6)日本図書館協会日本書籍出版協会『公立図書館貸出実態調査2003 報告書』(日本図書館協会日本書籍出版協会、2004年)

(7)三田誠広「図書館が侵す作家の権利:複本問題と公共貸与権を考える」(『論座』91号、 2002.12)

(8)三田誠広『図書館への私の提言』(勁草書房、2003年)

ショーウィンドーの役割を果たす図書館

 図書館員や元図書館員の皆さんは、職場での経験から「図書館はショーウィンドーの役割を果たしている」と主張しています。著作者や出版社の皆さんの中にもそれぞれの立場から同じように主張する人がいます。たとえば作家の佐藤亜紀氏は、ショーウィンドーという言葉を使ってはいませんけれど、「大蟻食の日記」(2004.6.27)の中で図書館の展示効果、広報効果を具体的に書いています。

 「全国二千幾つだかの図書館のうち、それなりの数が私の新刊を三ヶ月以内に購入し、図書館や自治体の広報で知らせてくれる。大抵は一行広告だが、読者の感想入りで紙面を割いてくれるところもある。図書館ではカバーや本体をショーケースに陳列してくれるところも多い。私鉄各線の車両に吊り広告が出る訳でもなく、書店の平積みとも無縁な作家にとって、これは結構な宣伝だと思うのだが、違うだろうか。」(1)

 2015年10月の全国図書館大会第13分科会の「実用書出版社と図書館」と題する報告の中で、新星出版社の富永靖弘社長は、ショールームという言葉を使って図書館が果たしている役割に言及しました。

 「書店店頭では十分に選ぶことが出来ないことや、ネットの情報だけでは内容が捉えられないものでもある。図書館で分かりやすい、使いやすい本と出会い、その本を所有したいという欲求が生じ書店で購入してもらう。結果として読者の「役に立った」という気持ちを引き出す。図書館をショールーム代わりに使ってもらい、結果として本の購買にも繋がる、といった姿があると非常に嬉しい。」(2)

 新刊書を蔵書に加えた公立図書館のショーウィンドー的な役割について少し補足しますと、おおむね次のようになります。ただし、実施していない項目が複数ある図書館も少なくありません。

 ①新たに入った本を館内の入り口付近に展示する。

 ②広報紙誌によって自治体内に情報を広める。

 ③メルマガなどによって希望者に新着本などの情報を定期的に配信する。

 ④オンライン目録で検索できるようにする。

 ⑤オンライン目録を県レベルで横断検索できるようにする。

 ⑥館内の開架書架に並べる。

 

 人が新刊書を買うきっかけは、次のようにいろいろあります。

 広告、書評、各種メディアが伝える受賞情報、ネット上の感想文、書店の店頭、身近な人(家族・友人・知人・同僚・先生など)との会話や推薦、読んでいる本の著者の推奨、ビブリオバトル、図書館の書棚、など。

 珍しい例としては、数日前(2023.4.13)に発売された村上春樹氏の『街とその不確かな壁』の全国紙5紙への発売当日の大きな広告と、『毎日新聞』を除いて同じ朝刊4紙に掲載された、これまた大きな記事があります。ほとんどの記事に著者近影と新刊の表紙写真が添えられていて、記事の長さと内容は似たり寄ったり。地方紙である『京都新聞』も同様でした。

 著者の村上春樹氏が「新聞社などの共同取材に応じた」と説明を加えた新聞がありましたので、記事が似たり寄ったりになるのは当然なのかも知れません。また、村上春樹氏はノーベル賞受賞を期待されるほどの作家である上に、今回の新著の成り立ちにも話題性があります。

 それにしても、発売当日、全国紙4紙が申し合わせたかのように大きな記事を掲載するとは、何とも異様な感じがしました。その理由は、意図したものでなかったとしても、特定の出版社と複数の新聞社との全国的な宣伝タイアップ作戦のように見えたからです。

 話は少しそれますが、『薔薇の名前』や『フーコーの振り子』で世界的なベストセラー作家となったウンベルト・エーコは、ある対談で本の珍しい売り方についてのエピソードを披露しています。

 「本を読まない人たちに本を買わせるうまい方法を考えたのは、雑誌社の人たちでした。どんな方法でしょうか。これは、フランスではなく、スペインとイタリアでとられた手法です。日刊紙が、ごく低価格で、本やDVDを新聞の付録として付けたんです。こういうやり方は、書店主たちからは非難を浴びましたが、最終的には認められました。私の記憶しているところでは、『ラ・レプブリカ』紙が『薔薇の名前』を付録として無料配布したとき、同紙の二〇〇万部(ちなみに普段は六五万部)、つまり私の本は二〇〇万人の読者のもとに届いたんです。」(3)

 このように、本を買わせようとする手法や個人が本を買う動機がさまざまある中で、図書館の書架を前にして背表紙を眺め、本を拾い読みして、同じ本を買いたいと思うことがあるのは、図書館が本のショーウィンドーの役割をはたしているひとつの証拠です。

 ごく単純で分かりやすい例を挙げれば、画集や詩集があります。書架から持ち出し、閲覧席に坐ってページをめくっていくうちに、借り出して自分の部屋で絵画や詩の世界にゆっくりと浸りたくなることがあるでしょう。さらに一歩すすめば、同じ本を手に入れて何度でも眺めたり読んだりしたくなることもあります。優れた芸術作品には何度でもじっくり鑑賞したいと思わせる力強さがありますから。

 

書店の代替として役立つ図書館

 近年、日本では新刊書店が減っています。そのため、ある新刊書に興味をもった人が内容を確かめようとしても、それを書店で実行できるとは限りません。発行点数があまりにも多いため、中小規模の書店には取次会社から配本されない新刊書が多いだけでなく、運よく配本された書店でも、新刊点数の多さに見合うだけの店舗の広さがないばあいは、売れなかった本がたちまち返本の憂き目を見ることになります。「ぜひともこの本を確かめたい」と思う人以外は、見逃す恐れがあるわけです。

 書店にない本を買いたいとき、書店に注文すればだいたい取次を経由して取り寄せてもらえますが、買いたいとまで思っていない本の内容を確かめたいという理由で書店に取寄せを頼んでも、願いが叶うことはほとんどないでしょう。

 このような状況下にあって、書店の代りにショーウィンドーの役割を果たしてきた公立図書館の存在価値は大きくなっています。利用者の読みたい本を所蔵していない、または貸出中である図書館なら、リクエスト(予約)をすれば、購入するか他の図書館から取り寄せるかしてくれます。すなわち、目当ての本が図書館の書架に並んでいればもちろんのこと、並んでいなくても、利用者は買うべきか否かを確かめることができますし、著者や出版社の側からしても、図書館は文字どおりショーウィンドーの役割を果たしてくれるわけです。

 では、図書館があっても書店がない自治体に住んでいる人は、買いたい本が出てきたときにどうすればいいのでしょうか。ネット書店がありますね。最近のネット書店は送料無料サービスやポイント制を導入するなどして顧客をつかんでいます。ちなみに通販大手のアマゾンのサイトで『街とその不確かな壁』を調べますと、単行本の価格が書店と同じ2,970円、2日後にお届け、ポイントは108ポイント(4%)、無料配送は金額が2,000円以上の商品を購入する場合、とあります。

 

本を吟味できる図書館の貸出サービス

 書店に興味のある本が置いてあるとしても、買う値打ちのある本か否かがすぐに分からないばあいが少なくありません。本は原則として1点1点が異なる商品であり、一見して値打ちのわかる商品ではないからです。自分の好みに合うか、理解できるか、易しすぎないか、資料として価値があるか、調べたいことに役立つかなどを確認し、とくに馴染みのない著者の本を判断するのは短時間では無理なばあいが多く、当り外れのあることを覚悟しなければなりません。

 それが図書館にあれば、館内で閲覧するか借り出して確かめることができます。

 評価が定まっている古典的な作品や既刊本を読んだことがある著者の本などは、さほど時間をかけずに購入の可否を決められます。自分がふだん使っている辞書の改訂版が刊行されたばあいなども同じですね。むずかしいのは、無名の作家の小説やエッセイ、ふだんは読まない分野の本で、購入の可否の決定が容易ではありません。また、文豪・巨匠と言われるほどの作家の本でも、かつて何冊か読んだことのある著者の本であっても、いつも名著であるとは限りません。そのようなとき、自宅でゆっくり吟味するのが賢明な行動というものでしょう。

 参考書や問題集の内容を確かめたいとき、近くに書店があっても立ち読みでは中途半端で心もとない。図書館から借りることができれば、納得するまで吟味できるでしょう。

 家事や趣味のために使う実用書は、たとえ買うつもりであっても、事前に内容のちがう本を図書館から数点借り出してゆっくり比較検討するのが、お金を無駄遣いしない、あるいは上手に使う知恵というものです。

 幼児は、絵本や図鑑の好き嫌いがはっきりしています。嫌いとなれば見向きもしないかわりに、好きになれば「読んで」をくり返します。我が子が好まない本を買いたくない親は、図書館から何冊も借り出して子どもの興味と好き嫌いを確かめます。

 

本を通読しなくてもよい図書館の貸出サービス

 図書館から本を借り出す人は、借りた本を初めから終いまで読み通すとは限りません。何かを調べたり確かめたりするばあい、関連する本を数冊借りて、役に立つか否か、どの本がいちばん役立つかを、自宅で確かめることがあります。役に立たないと分かればご用ずみです。最近は多くの公立図書館が貸出冊数の限度を10冊前後としており、持ち運びの手間と比較検討のために必要な時間を厭わなければ、自宅でゆっくりと比べることができます。

 小説、エッセイ、評論、詩歌などの文学作品であっても、人はそれを通読するとは限りません。自分で買った本、図書館から借りた本、買ってもらった本、人から贈られたり借りたりした本、いずれのばあいでも通読するとは限りません。まれに目次に目を通しただけで本文を読まない例さえあります。

 本を通読しない理由は人によっていろいろあります。面白くない、期待外れ、好みに合わない、難しすぎる、易しすぎる、タイトルに騙された、など。

 とくに図書館から借りたばあいは、誰にも気兼ねをせずに《通読しない自由》を満喫することができます。これが図書館のショーウィンドー効果、《ごくらく》たる所以のひとつです。

 

参照文献

(1)佐藤亜紀『大蟻食の日記』2004.6.27(アクセス2023.4.16)

(2)富永靖弘「実用書出版社と図書館」in『2015年「図書館と出版』を考える:新たな協働に向けて』(日本書籍出版協会図書館委員会編・著・刊行、2016年)

(3)ウンベルト・エーコジャン=クロード・カリエール著、工藤妙子訳『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(阪急コミュニケーションズ、2010年)

無料貸本屋という空疎なレッテル

遅れていた貸出サービス

 1965(昭和40)年10月、東京都日野市に小さな事務室と1台の移動図書館車、蔵書はわずか3,000冊、サービスは貸出だけという、ないないづくしの市立図書館が誕生しました。ところが、この図書館は利用者の急増と貸出サービスの目覚ましい実績によって、日本の図書館関係者を驚嘆させます。ふつうは良い意味に使われる《目覚ましい》という言葉も、古語では「意外で気にくわない」という意味で使われるばあいが多かったと国語辞典にあります。

 ごく一部の人にとって、日野市とそれに追いつこうと努めた市立図書館群の活躍が《意外で気にくわない》ことだったらしく、1970(昭和45)年に出版された『市民の図書館』(日本図書館協会刊)に「貸出しは図書館が無料貸本屋になることではないか、という批判がある」と書かれています。けれども同書の次のページには、当時の日本の公立図書館の貸出冊数がとても少ないのだと、具体的な数字をあげて説明しています。

 「貸出しの量が多いことは質が悪いことだという意見もある。この意見にこたえる前に外国の図書館をみてみよう。英国では公共図書館が年間、人口の8.5倍の貸出しをしている。デンマークが6.3倍、ハンガリーが4.5倍、アメリカは4.4倍である。日本は0.1倍である。」当時の日本の公立図書館の貸出冊数は、イギリスの85分の1、デンマークの63分の1にしか過ぎなかったということです。

 このような実態を知らない人が無料貸本屋という新語を思いついて、貸出サービスを基本とする新しい流れに一石を投じたつもりだったのかも知れません。けれども、ささやかな流れは10年たち20年経つうちに奔流となりました。

 それは、日本の公立図書館が世界の先進的な国々に少しでも追いつこうとして貸出サービスに注力しつづけたからです。結果、21世紀の初めには、国民1人当りの貸出冊(点)数がトップグループ諸国の背中が見えるほどまで近づきました。日本の数値が2004(平成16)年現在で4.8だったのに対して、ほぼ同じ時期のトップグループ諸国は次のとおりです。(1)

フィンランド 20.0  デンマーク14.8

ニュージーランド12.5 オランダ10.7

エストニア10.0  スウェーデン9.2

イギリス8.7  スロヴェニア8.0

アイスランド7.5  アメリカとベルギー7.1

 1965年から現在まで、日本の公立図書館は世界のなかで特別な貸出サービスをしていたわけではありません。個々の図書館の蔵書の数量とその内容、貸出を受ける登録者の割合、個々の利用者が借りられる冊数と期間、貸出にともなう予約サービスなど、さまざまな面で図書館の先進諸国に追いつこうと頑張ってきただけです。

 というわけで、《無料貸本屋》という悪態は、結果として世界中の公立図書館に対する悪態になっています。また、その同じ時期に、貸出サービスが日本より優れていた国々の公立図書館が、出版界からいわれのない罵詈雑言を浴びせられた例は私の知るかぎりありませんでした。

 公立図書館を設置するのは都道府県、市区町村などの自治体(地方公共団体)です。設置と運営に直接かかわるのは、首長、教育委員会、行政の関連部署、議会の議員、図書館員、図書館協議会の委員などです。加えて、図書館に関心をもつ多くの住民(利用者、ボランティア、寄付・寄贈をする篤志家や企業)がいます。図書館に《無料貸本屋》という何の根拠もないレッテルを貼る人たちは、これらの関係者、支持者、支援者、利用者をも愚弄していることになります。たぶん気づいていないのでしょうけれど。

 

無料貸本屋というレッテルの具体例

 出版界と図書館界の20年論争中、公立図書館を非難するために《無料貸本屋》というレッテルを使った多くの例から、ふたつだけご紹介します。まず、このレッテルを出版界でいちばん早く使ったと思われる例です。

 A.「近所に公立図書館がなければ生きていけない人間」を自称する津野海太郎(つの・かいたろう)氏は、「市民図書館という理想のゆくえ」(『図書館雑誌』v. 92, no.5, 1998.5)の中で、「あえて暴言をはくならば」と予防線を張った上で次のように書いています。

 「書棚と貸し出しカウンター以外、なにもない。図書館というよりも親切な無料貸本屋みたい。

 という印象をうけたというのも、また、たしかなことなのだ。」

 氏は東京都杉並区から埼玉県浦和市(現在:さいたま市)に引っ越したとき、歩いて行ける範囲に県立、市立、分館あわせて4つの図書館があることを確認して安心します。けれど、本を読んだりノートをとったりする空間が貧弱すぎるように感じたのでした。

 近くに公立図書館がなければ生きていけないと自覚する人にとって、県立・市立・2分館が歩いて行ける距離にあるのは、これ以上望めないほどの環境でしょう。その意味で移住先の選択はお見事ですけれど、図書館の施設や設備が貧弱で不満なら、納税する住民として図書館に「何とかなりませんか」と相談をもちかけるのがよいのではないかと思います。なぜなら、住民のためのシステムである公立図書館は、住民の頻繁な利用とさまざまな声(要望、提案、忠告、苦情、感謝、激励など)によって育っていくからです。施設の拡充はすぐに対応してもらえないとしても、閲覧席を増やす程度であれば工夫次第で何とかなる可能性があるでしょう。

 つづいて津野氏は、書店がすぐに売れる本しか扱わなくなったことをとり上げ、公立図書館もよく売れる本を最優先に購入・貸出するようになったと嘆きます。施設・設備の次は図書館の蔵書への不満です。この件について氏が図書館員に苦情を言ったところ、議会や行政を納得させるためにも必要だと説明を受けます。けれども、津野氏は納得しません。

 「『失楽園』は十五人待ちです。

 この種の表示をロビーで目にするたびに、正直いって「へっ」と思う。「なにが公共図書館だよ、ただの貸本屋じゃないか」とつい感じてしまう。」

 「こうした図書館「無料貸本屋」化のはじまりには、おそらく、本の保存ではなく利用を正面にうちだした一九六〇年代、七〇年代の市民図書館運動があるのだろう。」

 ごらんのとおり、津野海太郎氏はよく利用した公立図書館について《親切な無料貸本屋みたい》という印象をもち、ベストセラーの予約者数の表示を館内で目にするたびに《ただの貸本屋じゃないか》と感じたのでした。

 ひとつ具体的な例を挙げましょう。

 2021年3月に発行されたカズオ・イシグロ氏の”Klara and the Sun”という小説があります。邦題は『クララとお日さま』となっており、AI(人工頭脳)を搭載したロボット(クララ)とひとりの少女との心あたたまる物語です。この本を日本の住民100万人以上の都市の図書館がどのていど所蔵しているかを調べますと、次のようになりました。

 福岡=17.9万人に1冊  広島=17.1万人に1冊

 札幌=10.9万人に1冊  仙台=10.0万人に1冊

 名古屋=9.3万人に1冊  横浜=8.4万人に1冊

 大阪=8.3万人に1冊  川崎=6.7万人に1冊

 京都=6.3万人に1冊  さいたま=5.3万人に1冊

 神戸=4.8万人に1冊

 この本の現在(2023.3.26)の利用状況はさまざまです。所蔵している『クララとお日さま』がすべて貸出中となっている図書館がある一方、所蔵数の半分ほどが閲覧・貸出可能な状態の図書館もあります。ちょうど2年前に発行された本がいまだに借りられているのです。

 この「よく売れる本」を住民4.8万人当り1冊から17.9万人当り1冊買って貸し出す図書館の貸出サービスのどこかに問題がありますかね? ためしにアメリカの比較的大きな都市(サンフランシスコ、ボストン、シアトル、マイアミ)の図書館がこの本をどのていど所蔵しているか検索してみますと、ほぼ住民1万人に1冊の割合でした。日本の大都市の5倍から18倍の所蔵冊数になります。

 

 B.林望(はやし・のぞむ)氏は「図書館は「無料貸本屋」か」(『文芸春秋』v. 78, no. 15, 2000.12)の中で、公立図書館がベストセラーを貸し出す状況について書いています。分かりやすくまとめますと、次のようになります。

 「ベストセラーのごときを、図書館で借りて読もうというような人は、決して本当の読書家ではない。まして娯楽のための読書であるなら、なおさらのことである。」

 一般論として「本は自分で買って読まなければ身につかない」という趣旨の主張をする人はときどきいます。たとえば哲学者の三木清は「正しく読もうというには先ずその本を自分で所有するようにしなければならぬ。借りた本や図書館の本からひとは何等根本的なものを学ぶことができぬ」と書いています。(2)林望氏のばあいは信念のようで、「図書館で借りた本の知識は、しょせん、「借りもの」の知識でしかない。自分が読みたい本は、原則として買って読み、読んで良かったと感じた本は、座右に備えておくべきだという立場です。」(3)

 けれども、おもに図書館で借りた本を読んで豊かな人間性をはぐくみ、立派な仕事をした人は枚挙にいとまがないほどたくさんいます。日本では初等・中等教育の教科書が無償で給与されますが、欧米の先進諸国では教科書が無償で貸与されています。このような国々の子どもたちは「知識が身につかず」、「借りものの知識」が身につくのでしょうかね? いずれにしろ、「本は自分で買って読まなければ身につかない」と決めつけるのは、視野が狭すぎると言わざるを得ません。

 「図書館は次第に無料貸本屋の様相を呈するようになった。実に情けないことである。

 出版の衰退は、本質的には、不景気よりもこういう構造の中に胚胎されていたとみる方がよろしいのである。」

 ここでも無料貸本屋というレッテルの説明はなく、公立図書館が「無料貸本屋の様相を呈するようになった」から出版が衰退したと断定しています。理屈も何もありませんので、《風が吹けば桶屋がもうかる》を想い起こさせる言い方ですね。

 「歴史的事実を書誌学的に検定したところでは、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」と断言することが可能である。つまり、付和雷同的に読んではみたけれど、それっきりで、再読三読などするものではない。」

 林望氏は、図書館からベストセラーを借りて読む人を「本当の読書家ではない」とけなします。ついで、利用者の予約待ち日数を短くしようとする図書館を無料貸本屋と非難します。あげくのはてに、あやしげな「書誌学的な検定」を持ち出して「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」と決めつけ、ベストセラーを書いた著者と、それを刊行した出版社をあざけります。

 

ベストセラーとなった本は滅びやすいか

 津野海太郎氏は1997(平成9)年にベストセラーとなった渡辺淳一失楽園』(上下、講談社、1997年)が公立図書館での予約待ち人数が15人だという館内表示を見て、図書館を無料貸本屋だと思ったということでした。林望氏は公立図書館からベストセラーを借りて読む人を真の読書家ではないと見下し、ベストセラーの書物ほど滅びやすいと断言しました。

 本のばあい、ふつうは限られた期間によく売れた著作をベストセラーと言います。ただ、よく売れた期間と部数、その集計方法などが決められているわけではありません。たとえば、明治以降のベストセラーについて縦横に論じた澤村修治氏の『ベストセラー全史』(近代篇・現代篇の2冊)にある時代ごとの「歴代ベストセラーリスト」と、日本著者販促センターのウェブサイトにある明治以降の年度別ベストセラーリストとは、内容に違いがあります。(4)

 両者に共通して挙げられているデータをもとに、国立国会図書館の所蔵資料検索システム(NDL Online)と神奈川県の公共図書館等横断検索で調べてみた結果、「書誌学的に検討」したわけではなかったせいか、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」とは言えないことがわかりました。調査は、「書物が滅びる」という意味不明の言葉を「書物が発行されなくなる」または「書物が読まれなくなる/使われなくなる」と広く解釈し、明治・大正期のベストセラーが1945(昭和20)年から2023(令和5)年までに新たに発行されたか否かを調べたものです。その結果は次のとおりです。なお、外国人の著書の翻訳ものは無視しています。

 ①明治・大正期のベストセラーの大半が、昭和から令和にかけても再刊・復刊されています。出版のかたちは単行本、個人の全集や作品集、日本文学全集のたぐいへの収録、文庫化などさまざまです。加えて、現代語訳の出版、朗読によるオーディオブック出版、拡大文字による出版、視覚障碍者のためのDAISY(5)、漫画や紙芝居にしての出版、参考図書(調べものに使う図書)の改訂版発行など、時代の移り変わりを感じさせるかたちでの再生産があります。

 1945(昭和20)年以降に出版されなかったのは、村上浪六『当世五人男』『八軒長屋』、小栗風葉金色夜叉終篇』、三宅雄二郎(雪嶺)『世の中』、そのほか数点にすぎません。

 このように、ベストセラーの大多数が繰り返し出版されてきたということは、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」とは言えないひとつの証拠です。そして滅びへの歯止めとしての出版が国文学研究資料館国立国会図書館などの公的機関よりも、むしろ利潤を追求しなければならない民間の出版社によって担われているという事実は、50年前、100年前のベストセラーを読む読者がそれなりに存在しているあかしであり、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」とは言えないもうひとつの論拠だと言ってもよいでしょう。

 ②文豪と称された森鷗外、好きな作家のアンケートでしばしば上位にランクインする芥川龍之介、昭和以降に活躍したノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎などは、意外にも今回調べたベストセラーのリストに登場していません。

 明治・大正期に著作が1点だけベストセラーになった代表的な人は次のとおりです。

 石川啄木泉鏡花河上肇幸田露伴坪内逍遥中江兆民西田幾多郎中里介山二葉亭四迷

 一方、ベストセラーが4点以上ある著者には次のような人がいます。

有島武郎島崎藤村谷崎潤一郎徳富蘆花(健次郎)、夏目漱石福沢諭吉

 以上は、ベストセラーの有無やベストセラーになった点数とは無関係に、これからも読み継がれていくと思われる著者たちです。

 ③これらの事実から、次のように結論づけることができるでしょう。

 消滅せずにロングセラーとして読み継がれる著作は、ベストセラーになる、ならないにかかわらず、著作の内容の魅力や有用性、出版関係者と読者がもつ真贋をみきわめる力によって、生きながらえるということです。

 

 最後に、長く出版界で活躍された宮田昇ペンネーム内田庶=うちだ・ちかし)氏の公立図書館擁護論をご紹介しておきます。

 「図書館予算が削られていく状況を救うのは、公立無料貸本屋として非難を浴びようと、著作者や出版社側からの抵抗があろうと、図書館利用者による貸出しが増えることである。その市民の要求が自治体を動かし、図書館の充実が図られる。それは図書館の本来の役割として、著作者、出版社に望まれることではないだろうか。」

 「書籍の売上げ低下は、図書館のせいにしてはならない。図書館は「公立無料貸本屋」であってよいばかりか、いま、いっそうの充実を求められているインフラでもある。」

 「図書館は十分、読書の普及、著作のパブリシティの点で出版社、著作者の利益にかなっていると思う。その点を出版社も著作者も、見忘れてはならない。」(6)

 

参照文献・注

(1)ヨーロッパ各国の国民1人当り年間貸出冊数はLibEcon2000のウェブサイトにより、それ以外は各国の図書館協会のウェブサイトによった。

(2)三木清著『読書と人生』(新潮文庫、1979年)

(3)林望著『役に立たない読書』(集英社インターナショナル、2017年)

(4)澤村修治著『ベストセラー全史』(近代篇・現代篇、筑摩書房、2019年)には、時代別・年別の「歴代ベストセラーリスト」があり、解説や索引も充実している。

 日本著者販促センターというウェブサイト(有限会社eパートナー運営)に「ベストセラー 年度別」というリストがあり、そこには1866(慶応2)年から2022(令和4)年までの150年以上のベストセラーがリストアップされている。

(5)DAISY(デイジー)とは、Digital Accessible Information Systemの略で、おもに視覚障碍者が利用できる録音資料作成システムであると同時に、そのシステムでつくられた録音資料をも指す。

(6)宮田昇著『図書館に通う』(みすず書房、2013年)

すれ違いの論争

きっかけは出版物の販売不振

 太平洋戦争終結後、順調に復活・成長してきた日本の出版業界は、1996(平成8)年をピークとして本と雑誌の売上げ(販売額)を減らし始めました。不況知らずだったはずの出版業界がその原因探しをする中で、一部の人たちが「公立図書館による大量の貸出と、店舗を急速に増やしてきた新古書店の営業が、本の売れない原因だ」と思いつきます。新刊書店での本の売れ行きが落ちてきたのは、公立図書館が同じ本を大量に買って貸出サービスに力を入れた結果、本を買って読んでいた多くの顧客が本を買わなくなった、というわけです。

 《同じ本を大量に買い込む》とは、ひとつの自治体の図書館が、貸出予約の集中する本を数十冊、大都市の図書館ではそれ以上も買うことがあるという意味です。図書館では、同じ本(著者、著作、出版社、版が同じ本)を複数冊所蔵するとき、それを《複本》と言います。

 複本をそろえるのは公立図書館だけではありません。学校図書館では修学旅行の事前学習用などの目的で大量の複本をそろえる例が少なくなく、大学図書館でも、教師が授業の進行にあわせて受講生に少しずつ読ませる指定図書という複本制度があります。

 図書館界はとうぜん反論します。すると、公立図書館を批判・非難する言葉遣いが乱暴になる人、図書館の利用者を悪口の標的にする人、ベストセラーとなった本には価値がないかのような物言いをする人、などが現われます。

 このばあい、公立図書館を批判・非難した出版界の人たちは、著者、出版社・取次会社の社長や重役、書店経営者が中心で、個人だけでなく、日本ペンクラブのような著作者の団体などは声明を発したりシンポジウムを開催したりしました。それらに反論した図書館界の人たちは、現役および退職した図書館員、大学に勤務する学者・研究者たちが中心でした。その間、著者を含む出版界に「公立図書館の貸出を非難するのは間違いだ」とする人がいた一方、図書館界にも出版界の主張に理解を示す人がいました。出版界からの公立図書館非難にはこれといった根拠がなく、《論》に値しないものが多いのに対して、図書館界からの反論はおおむね客観的な根拠を挙げて冷静に非難者を説得しようとしたものでした。タイトルを「すれ違いの論争」としたのは、以上のようないきさつによります。

 この論争は1998(平成10)年から(数度の無風状態の期間をはさみながら)2018(平成30)年までつづきました。ここ数年、公立図書館とその利用者への非難は鳴りを潜めているようですけど、今後また蒸し返しがあるかも知れません。

 

社会的事象の因果関係

 社会的な事象の因果関係は、関連する要素が多ければ多いほど複雑であり、「Aという事象はBという事象に起因する」と単純に結論づけられる例は稀ではないかと思います。何かの原因・理由となる事象は、BのほかにC、D、Eなど、複数あるのが普通だからです。分かりやすい例は平均寿命が延びたり縮んだりする現象でしょう。戦争やパンデミック、長引く飢餓や大規模な自然災害、医学の発達、医療保険や福祉制度、人びとの食生活や健康志向など、大きな要素だけでもたくさんあります。

 では、本が売れないという事象に関係する要素には、どんなものがあるでしょうか。

まず20年論争中の日本に限定して、書籍販売不振と無関係だった要素として、次のようなものがあります。

識字率と高等教育の普及

 日本は江戸時代から寺子屋の普及によって識字率の高い国で、その傾向は明治以降、現在に至るまでつづいています。

 現在、高等学校への進学率は95パーセントを越えています。一方、大学への進学率はゆるやかに増加しつづけてはいますけれど、OECD諸国とくらべれば高いとは言えません。

②学術の水準

 学問・芸術の水準の高低は、おおむね出版の盛衰と関係があると言ってよいでしょう。なかでも、娯楽としての読書の多くの部分は文学作品によって支えられてきました。とくに江戸時代以降、庶民も貸本屋を頼りにして読み物を楽しみました。それが現代では図書館を頼りにして小説やエッセイが広く読まれています。小説などが広く読まれるから作家をこころざす人が増えるわけで、好循環現象がつづいています。

③社会の安定度

 他国と戦争状態にあったり、国内が内乱状態に陥ったりすれば、その国の出版活動は停滞しがちになります。分かりやすい例は太平洋戦争でしょう。日本は多くの人命と住い、物資を失い、敗色が濃くなるにつれて教育機関がほとんど機能しなくなりました。本や雑誌を発行するために不可欠な紙がいちじるしく不足し、出版物が売れるか売れないかより、そもそも出版することすらおぼつかなくなったのでした。

④検閲

 本の検閲とは、公権力が本の内容を調べて、不適当だと判断したばあいに発行や発売を禁止することで、読書の歴史は検閲の歴史でもあると言われるほど、いつの時代にも世界のあちこちで行なわれていたのでした。

 たとえば、日本文庫協会(のちの日本図書館協会)は1924(大正13)年、文部大臣の諮問「国民思想の善導に関して図書館の採るべき方策」に対して、次のような答申を行ないました。「国民必読の書を選定し、全国の図書館でその普及に努めること」が必要であり、その実現のために「わが国の出版物の検閲取締法を望む。内務省と協力して徹底的な取締法を講ずることを望む」というものです。

 近年の検閲は、出版物のほかにも映画や放送、演説など幅広い表現行為に及んでいましたけれど、さいわい、現在は日本国憲法第21条に「検閲の禁止」が含まれています。

⑤タブーとしての読書

 日本国憲法は、国民の基本的人権法の下の平等、思想と良心の自由、信教の自由、言論・出版などの表現の自由職業選択の自由、学問の自由、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、教育を受ける権利と受けさせる義務、などを保障し定めています。

 家族などのごく小さなコミュニティでは、いまだに女性の読書をタブー視する例が皆無だとは言えませんけれど、その偏見や差別が(個々人の心の中に残ってはいても)社会的現象として表面化することはほとんどなくなりました。というわけで、日本は読書をタブー視する風潮が消えていると言ってもよいでしょう。

⑥出版マーケットの基盤としての人口

 日本の人口は2008(平成20)年がピークで、それ以降はほぼ一貫して減りつづけています。けれども、1998年から2018年までの出版界・図書館界の論争時点では、(読書人口の増減はあったとしても)出版市場の根幹をゆるがすほどの人口増減があったわけではありません。

 日本の人口が世界で10番目に多いという事実は、出版マーケットが規模的にしっかりしていることを意味します。人口が数百万や数千万の国とくらべれば、著者や出版社、書店にとって条件がはるかに有利だということです。

 

出版物の販売不振と関係のあった要素

 20年論争中の日本で、本の販売不振と関係があった要素には次のようなものがあります。出版界がかかえている課題は次回以降に考えますので、以下の①~⑥には出版社、取次店、新刊書店などが直接的にかかわっている事項を省いています。

①景気の悪化(不況)

 景気の良し悪しは雇用のありようや賃金に影響し、本の売れ行きだけでなく、ほとんどすべての商品の売れ行きに影響します。20年論争中の日本はおおむね景気が悪く、人びとの財布の紐はかたくなっていきました。

②老後の生活不安

 中年以上の年代の人にとって、老後の生活設計を考えておくことは大切です。少子高齢化核家族化がすすみ、子どもに頼れない、または頼りたくない人が増えてくれば、老後の備えとしての貯蓄は大切です。また、平均寿命が確実に延びつづけている状況を加味すれば、老後のために少しでも多くお金を残そうとするのは、これといった資産のない人にとって賢明かつ自然の成り行きでしょう。

 加えて、かつて銀行などの預金金利は5%から6.0%ほどありましたのに、20年論争の始まった1998年には0.5%を下回り、以降、超低金利と言われるほどになってしまいました。この事実も、庶民の消費マインドを冷えさせる要因のひとつとなっています。

③教育の内容

 効果があるとされて多くの学校で実施されている朝読書、図書館の本と司書などの職員を活用する授業、学校図書館と公立図書館との連携などが、子ども向けの本の売れ行きと関係します。

 大学教育については、1991(平成3)年に「大学設置基準の一部を改正する省令」が公布・施行され、これをきっかけに教養部を廃止する大学が増えて行きました。学生に多くの分野の本を読むチャンスを与える教養部の廃止は、読書へのいざないを弱めるマイナス効果をもたらした可能性があります。

④インターネットと新しい情報機器の普及

 インターネットは1990年代に広く普及し始め、通信の高速化を実現しながら、信頼できるウェブサイトとコンテンツを増やしていきました。社会が情報社会に突入するにあたって、先行したコンピュータと並んで最も重要なファクターとなったのがインターネットと、手ばなすことが難しくなっていった携帯電話、その発展形であるスマートフォンスマホ)の普及です。

 身近で確実な情報源だったラジオとテレビ、新聞・雑誌・本、これらが伝えていたかなりの部分をスマホ、パソコン、アイパッドiPad)などの情報機器が代行するようになりました。それが本や雑誌の売れ行きに大きな影響を与えています。

 インターネットのさまざまなコンテンツとサービスは、ほぼすべての世代の多くの人びとを魅了するようになりました。人びとの自由に使える時間=余暇は、ますますインターネットのコンテンツとサービスに消費されるようになっています。

⑤新刊書の宣伝・広告

 1998年から2018年までの論争期間中、新聞(一般紙)の発行部数が減りつづけました。その傾向はなお進行中であり、発行部数が減れば、新刊書の宣伝・広告が読者の目につく頻度も減ることになります。

 一般紙は土曜日か日曜日に読書欄を設けて、書評を掲載しています。書評はプラス評価の新刊書を採り上げるのが常ですから、自社の新刊書が書評の対象となることを期待する出版社は、新聞社の学芸部や文化部に刊行直後の新刊書を贈ります。新聞の発行部数減少は、その点でも出版社にとって痛手となっているのです。

⑥公立図書館の貸出サービス

 公立図書館を非難した人たちは、非難と注文を少しずつ変化させましたけど、次の点だけは終始一貫、変えませんでした。ごく簡単に要約しますと、

 「公立図書館は、ヒットしつつある文学作品を大量に買い込んで貸し出しており、その分、本が売れなくなる。それはとりもなおさず著者と出版社、取次店、書店などに経済的な損失を与えていることになる。けしからん」というわけです。

 一方、それに反論した人たちは、「図書館のおかげで本を読む人が増えた」「図書館はショー・ウィンドーの役割を果たしている」などと主張しました。

 この⑥を「出版物の販売不振と関係のあった要素」に入れてはいますけれど、《出版側の主張を鵜吞みにすれば》という条件つきの話です。私見は、「公立図書館の貸出サービスは出版物の販売不振とほぼ無関係で、要因は別にある」というものです。

 

 2018年以降、出版側から非難や注文が出なくなったように思われます。その理由は分かりませんけれど、次回から次の点について考えていく予定です。

 ①公立図書館への批判・非難とは具体的に何だったのか。

 ②本と雑誌の販売不振の要因(おもな原因)は何だったのか。

 ③出版界のかかえる問題とは何か。

 ④公共貸与権(公貸権)に代わるひとつの解決策として、出版界・図書館界が協力して投げ銭システムを構築・運用することは可能か。

 注:公共貸与権(Public lending right)は33か国(うち29か国がヨーロッパの国)で実施されている著者・出版社等への補償制度で、公共図書館の特定の本の貸出数または蔵書数に応じて補償金が支払われるものです。その実態があまりにもばらばらなので、くわしく説明しようとしますと論文になってしまいます。日本でも20年論争中に出版側がその必要性を主張しましたけれど、実現にはいたっていません。

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Leibniz, Gottfried Wilhelm, 1646-1716)

 ライプニッツは、17世紀の後半から18世紀の初めにかけて、哲学と数学の分野で歴史にのこる業績をあげた人です。それだけでなく、彼は、とりたててくれた領主の命による仕事でも、みずから関心をよせて努力した仕事でも、活動の幅がとても広い人でした。そのひとつが40年にわたる図書館員としての仕事でした。

 彼はライプツィヒ大学教授フリードリヒ・ライプニッツの息子としてライプツィヒで生まれました。彼が生まれたとき、異母兄と異母姉がひとりずついて、2年後に妹が生まれましたけれど、父親はライプニッツが6歳のときに4人の子どもを残して病死してしまいます。

 少年ライプニッツは学校へ通うかたわら、家では父親の残したギリシア語やラテン語の蔵書に親しみました。哲学、法学、自然科学関係の本などを興味のおもむくままに読み進めたということです。

 およそ8年にわたってニコライ学院という学校に通ったライプニッツは、1661年、法律を学ぶために15歳でライプツィヒ大学に入学し、順調に学士、修士の学位を得ました。ところが博士号のために書いた論文が、その内容によってではなく、彼の年齢が若すぎるという口実によって、受理されませんでした。憤慨したかどうか定かではありませんが、彼はニュルンベルク近くのアルトドルフ大学に転学し、そこで博士号を授与されます。1667年2月、弱冠20歳でした。そのときライプニッツは、当地の文部大臣から教授職への就任を打診され、辞退しています。就職先とされた大学がライプツィヒ大学のような伝統校でなかったからではなく、(その後の彼の生きざまからして、)そもそも大学教授職に興味がなかったからだと思われます。

 

 仕官を目指していたライプニッツは、1667年、ニュルンベルクで幸運な出会いに恵まれます。相手は、マインツ選帝侯国の宰相を経験した40代半ばの政治家、ヨハン・クリスティアン・フォン・ボイネブルクでした。ライプニッツにとって幸運な出会いだったという理由は、次のような事実によります。

 ①ボイネブルクがすでに有力な政治家だったこと。ために、20歳そこそこのライプニッツマインツ選帝侯ヨハン・フィリップ・フォン・シェーンボルンに推挙してくれ、若者の宮廷への仕官という望みがかないました。

 ②ボイネブルクが自分の蔵書の管理を任せてくれたこと。そのときの経験が、のちの宮廷図書館への任官と実務に役立ったのでした。

 ライプニッツが手がけた仕事はとても多岐にわたりました。その全貌は簡単には分かりません。領邦の顧問官という職掌は君主へのさまざまな献策を含んでおり、ライプニッツはそれらの提案の実現に主体的に関与しています。あるときは法律家として、あるときは外交官として、ときには技術者や歴史家として、長期にわたって図書館員として、というぐあいです。

 それらの中から主なものを簡単にご紹介しますと、次のようになるでしょう。

エジプト計画

 1672年3月、ライプニッツは、マインツ選帝侯国の宰相に復帰したボイネブルクの代理としてパリへ行き、フランス王ルイ14世がトルコとエジプトに対して戦いを起こすべく献策します。ボイネブルクは、何度フランスに請求しても支払ってもらえなかった債権を片づけるという重要な用件を、あわせてライプニッツに託したのでした。

 フランス王の目をヨーロッパの外へ向けることでドイツの安全を図ろうとした虫のいい提案が「エジプト計画」と呼ばれているもので、フランスからはとうぜん相手にされませんでした。なにしろ交渉の当事者は大国の重臣や国王です、ほろ苦い外交デビューはやむを得ませんね。20代半ばの若者にとっては荷が重すぎたのでしょう。

 

パリ滞在中の成果と挫折

 1672年12月と翌年2月に、ライプニッツのよき理解者だった宰相のボイネブルクとマインツ選帝侯があいついで亡くなります。当時のドイツでは雇用主である君主が亡くなれば、その後継者がひきつづき雇用してくれる保証はありませんでした。

 若いライプニッツは、学問的刺激に満ちたパリにとどまります。中でも彼に大きな影響を与えたのは、1672年にパリで知りあったオランダ人のクリスティアンホイヘンスという科学者でした。彼は数学、物理学、天文学に通じ、フランスの科学アカデミーが1666年に創立されたとき、22名の会員にただひとり外国人会員として選ばれたほどの人でした。新しい数学をほとんど学んでいなかったライプニッツが、アイザック・ニュートンと優先権争いをすることになる微積分法を1675年に確立できたのは、すでに求積法にかんする論文を書いていたホイヘンスとの交流のおかげだと言ってもよいようです。

 4年半に及んだパリ滞在中、ライプニッツは四則演算(加減乗除)のできる計算機を作ることに成功し、1675年、フランスの財務相コルベールが、王と王立天文台財務省のために3台の高価な計算機をライプニッツに注文してくれました。

 ライプニッツがパリに長く滞在した理由のひとつは、フランスの科学アカデミーの外国人会員になりたかったことでした。彼は1673年、イギリスの科学者の団体である王立協会に会員として迎えられていましたから、あながち無謀な望みではありません。さらに、自分に最新の数学の手ほどきをしてくれたホイヘンスという理解者は、フランスの科学アカデミー設立に際して、外国人でありながら真っ先に相談をもちかけられた人物のひとりでしたし、計算機を3台も買ってくれたコルベールは科学アカデミー創設の発案者でもあったからです。

 けれど、その望みがかなえられることはありませんでした。

ハノーファー公爵国での仕事の始まり

 パリで学究生活に励んでいたライプニッツを図書館員兼顧問官として招こうとした君主がいました。ハノーファーの君主ヨハン・フリードリヒ公爵でした。気の進まなかったライプニッツも、熱心な招請に根負けして1675年初めに承諾し、なおぐずぐずした末に1676年の暮れに着任します。

 以後、ライプニッツは北ドイツの公爵国で3代の君主に40年間にわたって仕えます。最初の君主はヨハン・フリードリヒ、その次が実弟のエルンスト・アウグスト、最後にその息子のゲオルク・ルートヴィヒでした。

 ヨハン・フリードリヒはライプニッツに宮廷図書館を任せたかったため、新任図書館長の着任と同時に図書館内に彼の住居をあてがいました。ライプニッツの方は図書館長だけでは不満で、枢密顧問官の職務を希望し、その望みがかなえられた1677年末以降は、君主に対してさまざまな献策を行ないます。そのひとつがハルツ鉱山の排水計画でした。

ハルツ鉱山の排水計画

 ハノーファーには鉄、錫、亜鉛、銀などを産出するハルツ鉱山がありました。領邦の経済をうるおす宝の山というわけですね。年間を通じて鉱石の産出量を安定させるために、従来の水流を動力源とする装置に加えて、風力を使って地下水を排水するのが得策だとライプニッツは考えました。鉱山を管轄する部署の根強い懸念や反対はありましたけれど、君主ヨハン・フリードリヒの了解をとりつけた彼は、1679年から1685年まで風車の試作と試運転をつづけ、結局、思わしい結果が得られないため、代替りした君主によって中止を命じられたのでした。

 その間、ライプニッツは自分の提案した企画に自信があったのでしょうか、君主と鉱山当局とともに、自分もかなりの費用を負担しました。ただし、その見返りとして、成功したあかつきに多額の年金が支給されるよう要望しています。ライプニッツの名誉のために申し添えますと、彼がお金を欲しがったのは贅沢な暮しをするためではなく、社会に役立つと思っていた多くの事業を推進する資金を得たかったからなのでした。

科学アカデミーの創設

 ライプニッツは若いころに思いついてみずから《素晴らしいアイディア》と呼んだ普遍的な言語の実現をつねに望み続けていました。「発音ではなく概念のもとになる要素を表現する特別な「アルファベット」を探し出そう。そんなアルファベットに基づく言語があれば、表現されたそれぞれの文が正しいかどうか、文と文とのあいだにどんな論理関係があるか、記号に対する計算操作によって決定できるのではないか。アリストテレスに魅せられたライプニッツは、このヴィジョンを終生にわたって堅持し続けた」(1)のでした。特別なアルファベットとは要するに記号のことで、その関連で、たとえば漢字や古代エジプトヒエログリフのような表意文字にも、彼は興味をもったのでした。

 そのような大掛りな構想は、天才といえどもひとりではとうてい実現できません。多くの賛同者・協力者が不可欠なことは、しばしば楽観的過ぎると言われたライプニッツも承知していました。彼がヨーロッパの国王や領邦の君主に科学アカデミーの創設を勧めたのは、たんに学術の振興を図るだけでなく、協賛者や協賛機関を増やそうという動機もあったからだと思われます。

 ライプニッツが科学アカデミー創設の候補地として王侯に働きかけたのは、ドレスデン、ウィーン、ベルリン、ペテルブルクなどで、その中でベルリンが彼の存命中の1700年に科学協会を誕生させ、ライプニッツが初代の会長になりました。これは、数学や哲学などの学問的な業績以外で、彼がまがりなりにも成し遂げた数少ない社会的な業績と言ってもよいでしょう。

カトリックプロテスタントの教会統合

 ライプニッツは、20代の前半から晩年まで、キリスト教の新旧両派に分かれた教会が統合されるべきだと考えていました。単に考えているだけでなく、行動を起こすのがライプニッツです。

 彼自身は新教徒でしたけれど、彼を見出して初めて重用してくれたボイネブルク男爵は旧教徒でした。このように、新教徒であることは実生活上ほとんど障害にならず、また聖職者でもないのに、なぜライプニッツは新旧両派の教会の再統合にこだわったのでしょうか。

 ライプニッツが生まれた1646年、ドイツは30年戦争(1618年-1648年)の舞台となって疲弊しきっていました。その戦争のきっかけは、ドイツ国内のひとつの領邦でのキリスト教新旧両派の争いでした。古来、内戦は外国の軍事介入の呼び水になってきました。このばあいもご多聞に漏れず、途中からヨーロッパのいくつかの国が陰に陽に介入して、複雑な利害のからむ国際戦争になってしまったのでした。

 内戦をしている国は国力と軍事力がおとろえ、外国はどちらか一方を助けるという名目を立てやすく、本音を隠して漁夫の利を得た例が多いのですね。30年戦争では、ヨーロッパのキリスト教国の多くが直接間接にかかわったため、ライプニッツ誕生の2年後の1648年にようやくヴェストファーレン条約ウェストファリア条約)が締結された講和会議には、神聖ローマ帝国(ドイツ)とその70近くの領邦からの代表、直接の交戦国だったデンマークスウェーデン、スペイン、オランダ、フランスの代表などのほか、交戦国でなかった多くの国の代表も出席しました。

 30年にわたって戦場となったドイツは、人口が大幅に減り、国土をかすめ取られ、経済が壊滅的な打撃をうけ、人心が荒廃し、社会が混乱し、復興には長い年月が必要でした。ライプニッツが人びとの対立の種となったキリスト教会の分裂に心を痛め、社会を《予定調和》にふさわしい状態にすべく粘り強く行動したのは、このような時代背景があったからだと思われます。彼の行動はおもに、身近にいる有力者(ボイネブルクやヨハン・フリードリヒなど)に行動を起こすよう依頼すること、神学者や司教などと手紙のやりとりをしたり直接会ったりして自説を理解してもらうこと、でした。

 けれど、この問題は長期間にわたって両派が入り乱れて憎み合い殺し合った根深いものだけに、彼の努力は徒労に終わりました。

ヴェルフェン家史の調査と執筆

 多額の資金をつぎこんだハルツ鉱山の排水装置改良計画が中止に追い込まれた1685年、ライプニッツは君主エルンスト・アウグストが喜びそうな企画を提案します。君主の家系調査です。過去にさかのぼれば、君主のヴェルフェン家は神聖ローマ帝国の名門エステ家にたどりつく可能性があるから調査をやらせてほしい、というわけです。

 さいわい、ライプニッツは心置きなく調査に専念できるようになりました。「君主は一六八五年八月一〇日に正式文書をもってこの提案を承認した。この新たな任務を受諾することになった結果、彼は宮廷官房の通常の任務を免じられるとともに、終身枢密顧問官の地位と称号を得て、旅費と専属の秘書とを与えられることになった」からです。(2)

 ライプニッツの調査旅行は2年半余りにおよび、彼はドイツとイタリアにある王侯貴族や修道院の図書館をめぐりました。その結果、最終的にはドイツとイタリアでエステ家と(ブラウンシュヴァイクリューネブルク一門に属する)ヴェルフェン家とが血縁関係にあった確かな証拠を発見することができました。

 ただし、ライプニッツはその調査結果を編年史体で書物化する許可を君主から得ていましたのに、諸事にまぎれて存命中に第1巻しか出版できませんでした。原稿は、「一八三四年ハノーファー王立図書館司書G・H・ペルツによって出版されるまで、ライプニッツの遺稿中に埋もれていた」(3)ということです。

ライプニッツと図書館

 博士号を取得したばかりのライプニッツは、マインツ選帝侯の前首相だったクリスチアン・フォン・ボイネブルク男爵と知り合って、彼の招きに応じて男爵邸で蔵書の管理をすることになりました。1667年春、20歳でした。

 ボイネブルクの蔵書は1万冊近くあったため、必要な書物を手際よく探し出せるように、ライプニッツはそれらを15の項目に分類するとともに、主題で検索できる目録(現在の図書館用語で件名目録と言われるもの)を整備しました。そのときに参考にしたのが、かつてドイツの書誌学者ゲオルク・ドラウドが使っていた区分法だったということです。ただし、ライプニッツがボイネブルク男爵の命にしたがってパリに行っているあいだに男爵が亡くなりましたので、目録は完成しませんでした。(4)

 ほぼ4年間のパリ滞在中、ライプニッツは、ハノーファー君主のヨハン・フリードリヒ公爵から自分の宮廷で仕事をしてほしいと熱心に招聘されていました。パリの科学アカデミーに未練のあったライプニッツは、さんざん迷ったあげく、「一切の雑用から免除される自由な研究職であること、君主に仕えるのではなく、君主が彼の研究を喜び、それを実現してくれることを要望し」て、提示された「顧問官の称号、図書館司書の地位、400ターラーの年俸」という条件をを受け入れます。(3)

 1676年、30歳で着任したライプニッツは、亡くなる1716年までの40年間、ハノーファーの顧問官と図書館長を兼任しつづけました。「ライプニッツは{ハノーファーの}ヘレンハウゼン宮殿の中の図書館に住むことになった。」「その後も図書館が移転するたびに、一緒に動いているところからすると、かなり気に入っていたのかもしれない。最高の職住接近であるが、やや公私混同の感も否めない」(5)ということです。

 上司がヨハン・フリードリヒ公のときは図書費も潤沢で、重要な分野の書物は広く集めなければならないという考えのもとに、ライプニッツは有名な個人蔵書が売りに出されるという情報を得れば、みずから買い付けに出向いたこともありました。

 けれども、ヨハン・フリードリヒ公が1679年に亡くなりますと、あとを継いだエルンスト・アウグスト公は図書館にあまり興味を示さなかったため、図書費が一気に減額されます。代わりに新君主はライプニッツの提案を受けて、ヴェルフェン家の家系調査に必要な資金をふんだんに出したほか、ライプニッツを終身枢密顧問官にしてくれたのでした。

 また、エルンスト・アウグスト公は、ライプニッツの家系調査に役立ちそうだということで、彼をヴォルフェンビュッテル図書館へ連れてゆき、1691年、彼がそこの館長をも兼任することを認めました。というわけで、1691年から死去する1716年まで、ライプニッツはふたつの図書館の館長だったということになります。

 「かれは、{ヴォルフェンビュッテル}図書館の蔵書の体系的な配列のために一〇の主要グループに分かれた実際的な分類図を作成し、カード目録で実験した。図書館を「あらゆる時代・民族の最も偉大な精神の集大成」とよんだライプニッツも、図書館で、蔵書を利用したばかりでなく、利用条件の改善にも目を向けながら、偉大な精神の持ち主として働いた」のでした。(6)

 

 生涯にわたって仕事に明け暮れたライプニッツは、絶えず複数の仕事と研究テーマを同時に進行させていたように思われます。実務面で多くの企画が挫折したのは、構想が大きすぎたことに加えて、範囲を広げ過ぎたことも一因だったのでしょう。

  彼は結婚しませんでしたので、成人してからは家族との団欒などがなく、親しい友人と言えば、君主エルンスト・アウグストの妻だったゾフィと、その娘のゾフィ・シャルロッテくらいしかいませんでした。

 君主の家系を調べるためにヨーロッパ大陸の各地を巡ったときには、まれに城郭見物なども楽しんだようですけれど、かなり詳しい彼の伝記にも、趣味、息抜き、憂さ晴らしのたぐいがまったく記述されていません。

 とくに晩年は、約束した金を払ってくれない君主(ゲオルク・ルートヴィヒ選帝侯)と、行く先を秘密にして許可なく旅行したりするライプニッツとの関係は相互不信の頂点に達してしまいます。1716年、孤立無援のうちに亡くなったライプニッツの葬儀には、「宮廷からひとりの参列者もなかった」ということです。(7)

 ただし、次の事実は、寂しく世を去りながら、後世《万能の天才》と謳われたライプニッツの真価を示すのではないでしょうか。

 (1)新しいライプニッツ研究が1900年にドイツの国家的事業として始められた。

 (2)「ハノーファーミュンスターポツダム、ベルリンの四箇所に設置された編集所で、各分野を分担し、編集、刊行が鋭意進められている。」

 (3)その結果はアカデミー版の全集として編集・刊行されている。

 (4)「一巻を上梓するのに平均四年を費やし、予定の一〇二巻が完結するのは二二世紀になるかもしれない。」(3)

 

参照文献

(1)マーティン・デイヴィス著、沼田寛訳『万能コンピュータ:ライプニッツからチューリングへの道すじ』(近代科学社、2016年)

(2)E. J. エイトン著、渡辺正雄・原純夫・佐柳文男訳『ライプニッツの普遍計画:バロックの天才の生涯』(工作舎、1990年)

(3)酒井潔著『ライプニッツ』(清水書院、2008年)

(4)World Encyclopedia of Library and Information Services, 3rd ed. (Chicago, American Library Association, 1993)

(5)佐々木能章著『ライプニッツ術:モナドは世界を編集する』(工作舎、2002年)

(6)ゴットフリート・ロスト著、石丸昭二訳『司書:宝番か餌番か』(白水社、2005年)

(7)下村寅太郎著『ライプニッツ』(みすず書房、1983年)

公立図書館の団体貸出(2)学校への団体貸出

公立図書館は自治体内の学校をさまざまに支援しています。そのひとつが資料面の支援で、団体貸出による支援です。ただし、市区町村立図書館のウェブサイトを調べますと、かなりの図書館が学校への団体貸出を「利用案内」の中に含めておらず、「学校支援」「園・学校の先生方へ」「先生・学校関係者向け」「読書支援」などの括りの中に含めています。

その理由は、公立図書館の学校へのサービスには、団体貸出以外のさまざまなサービスがあって、それらを一括するほうが学校に伝わりやすいからだろうと思われます。さまざまなサービスや支援には、調べ学習をする児童・生徒の受入れ、図書館職員が学校へ出向いての授業やブックトーク学校図書館の運営相談などがあります。

 

1)団体貸出の対象とされる学校

じっさいに貸出の対象とされているのは、大きな単位としての学校だけではありません。その構成要素である学年、学級、学校図書館(図書室)、教職員などが貸出を受けています。列挙しますと、次のようになります。

団体貸出の具体的な対象

①学校(小学校・中学校・中等教育学校義務教育学校・高等学校・特別支援学校)

学校図書館(図書室)

③学年

④学級(特別支援学級・適応支援教室を含む)

⑤教科

⑥教諭(学級担任・教科担当など)

⑦職員(学校司書など)

 これらは、公立図書館から団体貸出用の利用カードを発行してもらう登録単位・登録者でもあり、公立図書館は、この7種類の中から1~4種類の対象に利用カードを発行しています。たとえば、

1校に1枚だけ発行する例

新潟市立図書館と三島市立図書館(静岡県)は各校に1枚の貸出カードを発行し、後者のばあい、その使用を教諭か学校図書館司書に限定しています。

市立小諸図書館(長野県)は、学校への団体貸出は学校図書館を通して行ない、団体貸出をした本は、学校図書館を通して児童・生徒・先生への貸出が可能、としています。

学級(クラス)に発行する例

学級(クラス)単位で利用カードを発行する図書館はたくさんあります。栗原市立図書館・東松島市図書館(宮城県)・つくばみらい市立図書館(茨城県)などは、小学校・中学校の担任教諭ごとに団体利用カードを発行し、三芳町立図書館(埼玉県)も、小学校・中学校の1学級単位で貸出券を発行します。

学校・学年・学級に発行する例

恵庭市立図書館(北海道)・日野市立図書館(東京都)・南足柄市立図書館(神奈川県)・野洲図書館(滋賀県)・大阪市立図書館・泉佐野市立図書館(大阪府)・大分市民図書館などは、標記の対象に利用カードを発行しています。

教科と教科担当教諭にも発行する例

 習志野市立図書館(滋賀県)の団体貸出は、小学校・中学校ともクラス単位および教科単位で、クラス担任か音楽などの教科担当教員が登録します。

 東久留米市立図書館・東大和市立図書館(東京都)では、学年・学級・教科などの単位で団体貸出を利用することができます。

学校・学級に発行する例

中標津町図書館(北海道)・筑西市立図書館(茨城県)・土佐清水市立市民図書館(高知県)などは、学校と学級に利用カードを発行します。

学校図書館(室)やその職員にも発行する例

 苫小牧市立図書館(北海道)の「図書資料の団体貸出について」に示されている学校関係の団体区分は「学校」と「学級担任・学校図書室」の2種類で、担任教諭と図書室の貸出冊数や貸出期間が同じになっています。

 神栖市立図書館(茨城県)の「学校等への団体貸出」によれば、同館では、「 学校・学年・クラス・図書室など「利用範囲区分」ごとに、団体貸出登録することができます」。

 浜松市立図書館静岡県)は小学校・中学校・高等学校の授業で使う資料の貸出用に「授業支援カード」を発行し、クラス担任、教科担当教員、学校図書館補助員が登録・利用できます。

大津市立図書館(滋賀県)の学校への団体貸出は、小学校が学校図書館とクラス単位で、中学校が学校図書館単位で、団体カードを作ることになっています。

 広島市立図書館では、①「調べ学習」や「総合的な学習」のために学年ごとに1枚の利用券を発行、②「教科活動」のために各教科に1枚の利用券を発行、③学校図書館運営のために各学校の図書館に1枚の利用券を発行、となっています。

 鹿児島市立図書館の「学校図書館支援図書の貸出」には次の2種類があります。①市立図書館の個人用の「利用者カードを所持しており、かつ市内の学校に勤務する教諭・学校図書館司書の方等」が、ふつうの個人貸出の2倍の冊数と期間(20冊、1か月)、図書を借りることができるというもの。②市内の小中学校、特別支援学校が団体(学校)カードを作れば、学校支援図書40冊と授業用資料20冊を1か月間、借りることができるというもの。

 このように見てきますと、じつに多様な団体利用カードの発行法のあることが分かります。

 

2)団体貸出の対象資料と貸出方法

 さまざまな方法で行なわれている学校への団体貸出の中で、公立図書館のウェブサイトでよく目にするのは、貸し出す図書をあらかじめセットやパッケージにまとめておく方法で、理由は次のとおりだと思われます。

学校やクラスが授業の中で必要とする副読本や参考図書などは、授業の進行につれて変化します。公立図書館が小中学校の学年、学級の単元やテーマで要望をうけるたびに図書をそろえるのは、担当教諭と学校図書館(室)、公立図書館がまじめに取り組めば取り組むほど、全体の作業量が膨らみます。そのような事態を避けるため、あらかじめ準備しておくのがセット貸出やパッケージ貸出というわけです。分かりやすい例を挙げますと、修学旅行の事前学習用の図書があります。

学級文庫に補充して児童・生徒の意欲にこたえる読み物のばあいでも、校内のクラス間でセットを一巡させれば、関係者の手間と時間の節約につながるでしょう。

《多様なやり方》と《セット貸出》の例をご紹介します。

. 市立小樽図書館(北海道)は「スクールライブラリー便」と名づけた方法で市内の小学校・中学校に図書を配送しています。内容は次の3種です。

①短期便=「学校図書館の活性化を目的とした本」を学期ごとに受付・配送。

②長期便=「学級文庫での活用を目的とした本(読み物中心)」を小学校の低・中・高学年用と中学生用。期間は5月からの10か月間と9月からの6か月間。学級数特別支援学級を含む)×30冊。

 ③リクエスト便=「調べ学習や並行読書、または資料展示など」を目的とした本を、30冊まで1か月。学校側が単元名やテーマを知らせると図書館が選書して配送。申込みは随時。

B. 五所川原市立図書館青森県

①授業等用=図書300冊まで(大型絵本・大型紙芝居は5冊まで15日間)原則2か月以内。図書館による配本も可。

学級文庫等用=125冊をベースに希望数を貸出。貸出期間は年度末まで、または秋に1回の入れ替えなどの対応可。

③ポプラディアセット貸出=総合百科事典ポプラディア3種類、ポプラディア情報館とポプラディアプラス1種類。原則2か月。

④「科学道1002021」セット貸出=原則2か月以内。理化学研究所と編集工学研究所による組織「科学道100冊委員会」から寄贈を受けた図書のセット。

C. 仙台市図書館宮城県)も興味深い学校への貸出をしています。

 ①パッケージ貸出には、9種類の小学校朝読書用パッケージと、小学校・中学校・中等教育学校が対象のテーマ別パッケージがあります。

②授業用図書貸出=小学校・中学校・中等教育学校・高等学校・高等専門学校が対象。

 「教科指導で活用できる本、総合的な学習の時間で活用できる本、学校行事・読み聞かせ・ブックトーク等に活用できる本などを学校の希望に合わせて個別に選書し、貸出」。種類は「絵本、紙芝居、知識の本、読み物、一般書など」で、150冊まで1か月。

 ③特別支援学校・特別支援学級貸出

 貸し出す資料は、「点字絵本・さわる絵本/しかけ絵本/音の出る絵本/布絵本/厚紙絵本/絵本/あそびの本/知識の本/その他の本/大型絵本/大型紙芝居/LLブック/大活字本/パネルシアター/エプロンシアター/ペープサート/マルチメディアデイジー/紙芝居」などで、150冊まで、1か月。

 この図書館で珍しいのは、授業用図書の貸出対象学校に高等専門学校が入っていること、特別支援学校(学級)への貸出資料が幅広いこと、です。

D. いわき市立図書館福島県

 ウェブサイトでは、「利用案内」ではなく「こどものページ」の中の「大人の方へ」⇨「市内小中学校の先生方へ」に、団体貸出の説明があります。

 ①「この本よんだ?」と名づけた団体貸出用セットは、幼児用・小学校の低学年・中学年・高学年用、中学生用と年齢・学年で5段階に分けられていて、それぞれの段階に6種類のパックが用意されています。ほかに、

②「テーマ別調べ学習支援パック」4種類。

③「調べ学習支援 外国語絵本パック」8種類

が用意されています。珍しいのは外国語絵本の8種類目で、そこにはエリック・カールの『はらぺこあおむし』が日・英・中・韓・独・仏・露の7か国語で揃っています。

E. ひたちなか市立図書館茨城県

 この図書館の特徴は、小学校・中学校へ貸し出す図書パックの種類の多さです。ここでは、テーマごとに選んだ30冊から50冊ほどの図書をコンテナに箱詰めして1パックとしています。

 ①学習支援図書パック(国際理解、戦争・平和、福祉、茨城・郷土、環境問題、すがたをかえる食べもの、などのセット)

 ②小学校の国語の教科書で紹介されている本のパック

③読み聞かせ用絵本パック

④作家別図書パック

⑤図鑑パック

⑥修学旅行事前学習パック

茨城県みんなにすすめたい1冊の本

⑧リクエストパック(学校のリクエストに応じて図書館職員が選書し作成するパック)

F. 八王子市図書館(東京都)

 この図書館の「学校図書館支援」の中に次の文章があります。

「八王子市図書館では、学校図書館サポートセンター(学校教育部指導課)と連携し、学校図書館(図書室)を支援する目的で資料の貸出を行っています。資料には「授業補助用」と「学級文庫用」の二種類があり、調べ学習で活用したり、教室に常置して利用しています。」

 また、「よくある質問」には次の回答があります。

 「授業単元に合わせた授業補助用セット(1セット20冊)は165種類、学年に応じて図書館員が選んだ学級文庫セット(1セット30冊)は255種類あり、貸出と返却には、図書館と学校を結ぶ配送便を利用することができます。」

 この図書館の特徴は、授業補助用セットと学級文庫セットの豊富さです。

G. 岐阜市立図書館

 岐阜市立中央図書館の事務室横に「学校連携室」があり、ここが学校への資料の貸出、レファレンス・サービス、学校図書館運営についての相談を受けつけています。

 学校への図書の貸出は、教員などが利用するための教育支援資料の貸出と、児童・生徒が利用するための団体貸出の2本立てとなっています。いずれも学校名での貸出です。

 ①教育支援資料の貸出

 これについては、「(4)その他の話題」の最後にある「E. 教職員のための貸出」で触れます。

 ②団体貸出

 一般利用者が利用する資料の貸出のほかに、授業や学級活動などで児童・生徒が利用する「セットで貸出する専用資料(セット文庫)」を用意しています。セット文庫は、調べ学習セット(48セット)、学級文庫セット(21セット)、教科書セット(23セット)で構成され、最後の教科書セットは「国語の教科書で起用されている作者の図書など」ということで、教科書そのものではありません。

H. 神戸市立図書館兵庫県)は市内の学校に対して資料面で次の4種類のサービスをしています。

 ①「総合的な学習の時間」のためのネットワーク貸出(市立小学校向け)」

 学校貸出用の図書を「災害・防災」「バリアフリー」「国際理解」など11テーマ、26セットにして貸し出しています。各セットの冊数はほとんどが50冊です。

 ②団体貸出

 市立小学校・中学校向けの団体貸出の利用カードは1校に1枚。1校当たり150冊まで、1か月を借りることができます。この150冊には次の③の冊数を含んでいます。

 ③「テーマ本集めサービス」

 市立・私立小学校と市立中学校向け。1テーマあたりの依頼冊数は上限40冊、同じ本の用意は2冊まで。期間は1か月。目的は調べ学習などに活用。原則として図書館が選書しますが、学校側が出向いての選書も可能とのことです。

 ④授業での「神戸市電子図書館」の利用

 これは、神戸市の教員が個人に対して発行された市立図書館のカードをもっていれば、「神戸市電子図書館」のコンテンツを授業で利用できる、というサービスです。ただし、

電子図書館でお借りになった本を授業でお使いになるには、著作権法上の許諾が必要ですので、なるべく早く、少なくとも授業日の1週間前までに中央図書館までメールにてお知らせください。図書館から電子図書館の運営会社に申請します。なお、許諾が得られない場合もございますので、ご了承ください」ということです。

新潟市立図書館も、「新潟市立学校の教職員は、個人の貸出カードで借りている電子書籍を、学校の教育活動で利用することができ」るとしています。例示されている利用法は、①電子書籍の読み聞かせ、②調べ学習で「電子書籍の一場面をクラス全員の iPad に映す」など、です。

 

3)貸出の冊数と期間

 学校への団体貸出は、ほとんどが学校とその構成部分への貸出なので、個人への貸出とくらべて冊数が多く期間が長くなっています。また、①学校への貸出と学級などへの貸出、②貸し出す資料の種類や用途、などによって貸出条件(冊数・期間など)を変える例が少なくありません。

 そこで、学校への図書・雑誌の貸出に限って冊数と期間を調べますと、次のような結果になりました。

 貸出冊数の上限を100冊とする図書館が最も多く、把握できた図書館全体の35.8%、つづいて上限50冊が18.6%、上限200冊が16.7%でした。

 上限冊数1,000冊(福岡市総合図書館・佐賀市立図書館など)や無制限(千葉県の山武市立図書館・滋賀県の日野町立図書館など)の図書館は9館ありました。

 冊数と同じように、貸出期間も資料の用途によって長短が決められているようです。調べ学習のテーマによって必要な図書が変わるようなばあいは貸出期間が短く、学級文庫にそなえて児童・生徒の読書意欲にこたえる図書のばあいは貸出期間が長く設定されています。東京都の市立図書館を例示しますと次のようになりますが、他の地域でも傾向は似ています。

 小金井市立図書館=学級文庫が学期末まで、その他は2か月。

 小平市立図書館=学級文庫を学期単位で貸出、その他は2週間。

 狛江市立図書館=学級文庫用は年度末まで、その他の団体貸出は2か月。

 立川市立図書館=学級文庫用が3か月、授業用は2週間から1か月。

 日野市立図書館=学級文庫は学期ごと、調べ学習用などは4週間。

 貸出期間を全国的に見ますと、1か月(4週間、30日、31日を含む)以内とする図書館が67.9%、ついで2か月以内が15.9%、3か月以内が8.1%で、これらの3種類で90%を超えることになります。

 

4)その他の話題

A. 他の自治体の学校へも団体貸出をする図書館

 北海道には西いぶり広域図書館情報システムという名前の公立図書館協力システムがあり、室蘭・登別・伊達3市の住民が共通の利用カードで3市の図書館で貸出を受けることができます。このうちの登別市立図書館が室蘭市伊達市の(学校を含む)団体にも貸出をする、としています。

 あきる野市図書館(東京都)は「市内及び西多摩地域の団体(学校、幼稚園、保育園、地域文庫、町内会、自治会など)に16ミリフィルム、映写機等の貸出」をしています。

 中野市立図書館(長野県)では「市内所在の団体と下高井地区の小中学校は図書館カードをつくることができます。」下高井郡には、山ノ内町木島平村野沢温泉村があります。

 そのほか、

 大阪市立図書館=八尾市内の(学校を含む)団体にも貸出。

 里庄町立図書館(岡山県)=浅口市内の学校も団体貸出の利用者として登録可能。

 佐賀市立図書館=佐賀中部広域連合(佐賀市多久市小城市神埼市吉野ヶ里町)の学校を含む団体に資料を貸し出します。(「佐賀市立図書館条例施行規則」)

B. 児童・生徒の利用

 多くの図書館は、団体貸出を受けた学校が資料の管理に責任をもつよう呼びかけています。芦別市立図書館(北海道)、筑西市立図書館(茨城県)、文京区立図書館(東京都)などはより具体的に、児童・生徒がそれらを自宅に持ち帰らないよう注意しています。

一方、珍しい例としては、燕市立図書館(新潟県)が、貸し出した学級文庫パックの図書を児童・生徒へ貸し出してもよい、としています。

 市立小諸図書館(長野県)では、学校への団体貸出を学校図書館を通して行なうため、団体貸出をした本は、「学校図書館を通して児童・生徒・先生への貸出しが可能」としています。

 団体貸出資料の児童・生徒による有効利用と、教員の過重労働が全国的にくりかえし問題になる状況とを考えますと、この図書館のやり方は参考になるのではないかと思います。

C. 図書館による配送サービス

 学校への団体貸出資料の配送と回収をする図書館は、さほど数は多くありませんけれど、北海道から沖縄県までの各地にあります。

 配送・回収の手段は、移動図書館車、専用配送車、定期配送便、市の公用車などのほか、図書館の費用負担による委託業者や宅配便の利用もあります。

 横芝光町立図書館(千葉県)では、小学校と中学校を対象として、「学校のすべてのクラスに月1回配本しています。調べ学習など授業で使用する本もまとめて配本しています」ということです。「すべてのクラス」は「申込みのあったすべてのクラス」という意味だと思われます。

 吹田市立図書館(大阪府)では、「月に1回、連絡便が市内小・中学校に定期的に運行」して団体貸出の図書を届けています。

D. 米子市立図書館(鳥取県)の《米子方式》

 米子市立図書館のウェブサイトに「学校図書館支援について」というページがあります。その記述に沿って市立図書館と学校との連携をかいつまんでご説明します。

 ①1997年から2000年にかけて、米子市のすべての小・中・養護学校に専任の図書職員が配置され、20024月には米子市立のすべての小・中・養護学校へ司書教諭が発令されました。

 これは、学校図書館がしっかりと役割を果たせるように、米子市とその教育委員会が前提としての体制づくりをしたことになるでしょう。

 ②2001年、市の公用車が市立図書館と学校とのあいだの配本・回収を担うようになり、2004年からは、市立図書館を中継して学校間のリクエストをも担うようになりました。配本・回収の担当は市役所の総務管財課車両係、頻度は週に4日、午前に2台と午後に1台が3つのルートを分担して運行します。

 ③学校図書館へのリクエスト貸出と長期貸出

 リクエスト貸出(通常)は、学校からのテーマまたは書名でのリクエストに応えるもので、テーマによるリクエストのばあいは図書館が選書して配送します。学校に届いた図書は学校図書館を通じて、授業や個人学習、読書に活用」されます。冊数制限はなく、期間は4週間。

 長期貸出(学期単位)は、学期ごとまたは学期末に配本・回収する貸出で、「コンテナ1箱40冊単位でセット貸出」。「学期単位の長期貸出は、小学校に対し、児童数を目安に、学期または1年間貸出をし、」「学級文庫として主に朝の読書活動に利用」されます。

 この長期貸出の配本・回収は教育委員会の教育総務課・生涯学習課が担当しているとのことです。

 見出しの《米子方式》という敬意をこめた言い方は、おもに上記の②と③を指しています。同館ウェブサイトの「学校図書館支援について」というページには、ほかにも市内の学校図書館目録のデータベース化などの情報も載っていますけれど、ここでは省略します。

E. 教職員のための貸出

 横浜市立図書館(神奈川県)のウェブサイトにある「学校向けサービス」⇨「教職員向け貸出」によりますと、同館は横浜市立の小・中・義務教育・特別支援・高等学校の教職員を対象に、1度に40冊まで、30日間借りることができるサービスをしています。目的は「教職員自身の教科・教材研究」「授業における調べ学習や読書活動」「学校図書館の資料選定の参考」とされています。

 すでに触れました岐阜市立図書館の「教育支援資料の貸出」は、「教員等、学校教育に携わる人が学校運営、学級運営、教材研究などに利用することを目的とした専用の教育支援資料」を100冊まで、期間30日以内で」学校名での貸出をするということです。

 白山市立図書館(石川県)には館内に「学校図書館支援センター」(職員2名)があり、ここが中心となって学校へのサービスを行なっていて、調べ学習用の図書や絵本・読み物のほかに「先生文庫」と称する貸出もしています。これは、支援センターが選書した30冊を職員室に設置して教職員が利用するものです。

 豊中市立図書館(大阪府)は2011年から、市立小中学校を対象とした学校図書館支援ライブラリーと称するサービスをつづけています。その活動のひとつが教員支援用資料の貸出で、蛍池図書館に集約してある「先生の授業づくりや教材づくりに活用していただけるコレクション」を「物流便で学校図書館まで届けることもできます」ということです。