図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

社長・団体・作家の支離滅裂な非難

 人文・社会系の学術書を出版している未来社社長の西谷能英(にしたに・よしひで)氏は、同社のPR誌『未来』28号(1999.7)で次のように主張しました。

 「どんな本であろうと、市民に要望の多い本を揃えるのは公共図書館の役目であると思っている図書館司書は多いだろう。しかしこうしたベストセラー本が一過的な興味を引きつけるだけで、時間がたてば誰も見向きもしなくなっているという現実を経験している司書は多いのではないだろうか。にもかかわらず、当座の人気と要望に応えるのが図書館の使命だと考えるのだとすれば、やはり役人によくありがちな失点防止主義、ことなかれ主義だと言われても仕方ないだろう。読者はどうしても読みたければ、自腹を切って買って読むのがあたりまえではなかろうか。文句を言って税金で買わせるのが市民の権利だとでも思っているひとにおもねる必要がどこにあるのか。」(1)

 不平たらたらという感じのこれらの文章は、ベストセラー本、司書、地方公務員(役人)、図書館利用者を憂さ晴らしの標的にしています。けれど、一連の文章は、標的にされた人と物にかんする思い込みと曲解で成り立っています。

 市民からの要望が多い本は、公立図書館のウェブサイトにある貸出ランキングやベストリーダー(よく借りられた本や雑誌など)のリストで確認すれば、ほとんどが「どんな本であろうと」と言われる種類の本ではないと分かるでしょう。当ブログの「公立図書館でよく借りられている資料」は、そのささやかな確認作業のひとつです。

 多くの市民が公立図書館から借りて読みたいと思う本の中には、ベストセラーでない本もたくさんあります。ベストセラーほどには売れなかったのに、息長く読み継がれる本です。出版された本のごく一部にすぎないベストセラー本よりも、タイトル数にすればその種の本が圧倒的に多いのは明らかです。

    西谷氏の記事が『未来』誌上に発表された1999年、図書館問題研究会(略称:図問研=ともんけん)が全国34の公立図書館におけるベストセラーの購入状況を調査しました。高浪郁子氏(当時、柏市立図書館新富分館)によるその結果報告(2)によりますと、ベストセラーの中には、大きな公立図書館であっても1冊しか購入しない本や全く購入しない本が含まれています。

 「時間がたてば誰も見向きもしなくなっている」と西谷氏が主張するベストセラー本の多くは、前回の当ブログでご説明したとおり、10年単位の長い時間軸のなかでさまざまな形で再刊・復刊され、読み継がれてきました。たとえば、1946年から1960年までのベストセラーの10位以内にランクインした代表的な著者を年代順にピックアップしますと、次のようになります。(3)

 永井荷風 河上肇 太宰治 谷崎潤一郎 三木清 吉川英治 川端康成 菊田一夫 三島由紀夫  新村出(編) 石原慎太郎 原田康子 山崎豊子 五味川純平 井上靖 清水幾太郎 北杜夫

 それらの著作の多くは近年も複数の出版社から刊行されており、こころみにいくつかの大きな公立図書館の目録を検索しますと、かなりの頻度で貸出中だと分かります。出版社の社長がベストセラー本を目の敵にするあまりその読者の眼力をあなどれば、手厳しいしっぺ返しをくらうのではないでしょうか。

 「失点防止主義、ことなかれ主義」は、日本の小さなコミュニティから大きな組織にいたるまで、ありふれた事象です。とりわけ失点防止という点は、命にかかわる医療や交通の関連機関をはじめとして、あらゆる現場で大切にされています。本や雑誌をつくる出版社においても、内容や表現の誤り、誤植などの《失点》を極力なくすように努めているでしょう。失点防止の努力が「役人によくありがち」というのは、単なる思い込みに過ぎません。

 西谷氏は「どうしても読みたければ、自腹を切って買って読むのがあたりまえ」と書いていますけれど、人がどのようにして望みの本を手にするかは、他人がとやかく口出しする筋合いのものではないはずです。買うもよし、買いたくなければ(あるいは買えなければ)図書館で読むもよし、人から借りるもよし、ということです。特に気に入った本のばあい、人はその感動や喜びを家族、友人、同僚などと共有したくなって「貸してあげるから読んでみては」と、勧めることが珍しくありませんね。

 最近は、公立図書館だけでなく、大学図書館学校図書館でも市民に本を貸し出す例が増えてきているため、世の中に《公立図書館以外の図書館から借りて読むのもあたりまえ》というゆるやかな流れが広まりつつあります。

 「文句を言って税金で買わせる」とは、市民の行動がよこしまであるかのような印象を与えたいのかもしれませんけれど、現在の日本では、公立図書館の所蔵していない本を図書館を利用して読みたい住民は、リクエストをすることができるのが普通です。そのときの図書館の対応は、リクエストされた本を購入するか、他の図書館から借りて提供するか、まれに謝絶するか、です。リクエスト制度を設けているのは図書館ですから、その制度を利用する人は図書館に文句を言っているのでも無理強いをしているのでもなく、落ち度のない行為していることになります。外国の公立図書館でも採用されているこの方法を、西谷氏は「文句を言って税金で買わせる」と捻じ曲げています。

 図書館の対応が購入、他館からの借り受けのどちらであっても、図書館は住民に「おもねる」のではありません。「おもねる」とは、「へつらう」「ご機嫌をとる」「追従{ついしょう}する」などの意味だからです。というわけで、図書館が住民におもねるという指摘も曲解の例ということなります。

 

 1935年に創設された日本ペンクラブは、2001年に発表した「著作者の権利への理解を求める声明」(2001.6.15)の中で、次のように公立図書館を非難しました。

 「最近、こうした著作者等の権利を侵害する動きが顕著になっており、日本ペンクラブは深い憂慮の念をいだいている。問題は、新古書店と漫画喫茶の隆盛、公立図書館の貸し出し競争による同一本の大量購入、である。」

 「公立図書館の同一作品の大量購入は、利用者のニーズを理由としているが、実際には貸し出し回数をふやして成績を上げようとしているにすぎない。そのことによって、かぎられた予算が圧迫され、公共図書館に求められる幅広い分野の書籍の提供という目的を阻害しているわけで、出版活動や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない。」

 これはしかるべき団体の声明ですから、複数の関係者が文案を吟味したでしょうに、上記の引用部分は、次のとおりお粗末だと言わざるを得ません。

 ①公立図書館が貸出競争をしているという非難は、非難すべきでないことを非難しているという意味で、間違っています。なぜなら、公立図書館は、来館者と資料の貸出を増やすことによって図書館運営に投じた税金を有効に使おうとしているからです。また、公立図書館の貸出サービスを自治体間の《貸出競争》として非難するのなら、競争をともなう次のような地方自治体の事例も非難しなければならなくなるからです。

 たとえば自治体は、ふるさと納税制度を利用しての寄付金集め、子育て支援、企業誘致活動、経営が苦しくなった私立大学の公立化、観光客の誘致など、さまざまに知恵をしぼって競争をしています。首長や担当者に競争という意識がないとしても、結果として競争をしているということです。

 本を執筆する人たちも、出版とその販売にかかわる人たちも、同業者と競争をしている、あるいは競争せざるを得ない、という現実の渦中にいます。競争には勝敗がつきものですから、圧倒的な勝者(たとえば著書の累積発行部数が2023年4月に1億冊を超えたと伝えられた作家である東野圭吾氏)がいる一方、初版の発行部数が数千部のまま重版のかからない多くの作家がいます。著者の競争相手には、同時期の同じジャンルの著者だけでなく、国内外の古典の著者、近年のロングセラーの著者、他のジャンルや外国の著者がふくまれます。出版社、取次会社、書店も同じことで、莫大な利益をあげる会社、地道に生き抜く会社、経営に行き詰まる会社など、浮沈はさまざまです。

 ②「公立図書館の同一作品の大量購入は、利用者のニーズを理由としているが、実際には貸し出し回数をふやして成績を上げようとしているにすぎない。」

 この文章も事実を曲解している例です。利用者のニーズに対応する努力が成績の向上につながっていると理解すべきなのに、日本ペンクラブの声明のこの部分は、一方通行の道路を逆走しているような感じがします。

 税金で運営される公立図書館は、多くの人の需要・要望に応えることで、投入した費用を活かします。つまり、利用希望の多い本を優先的に購入するのは合理的なのです。

 アメリカのボストンで公共図書館が誕生したとき、市議会は「公共図書館の目的とそれを達成するための最善の方法」を報告するよう図書館の理事会に求めました。1852年7月に提出された報告書は、公共図書館に備えるべき図書について4点の指摘をしていて、その3番目が複本についてでした。曰く、

 「しばしば請求される図書(ときの通俗書のうち評判の高いもの)。これらについては、多くの人が閲読を望んでいるならば、同時におなじ著作を読み得るぐらいの数の複本を用意し、楽しい健全な読物を、それが新しくフレッシュで、関心を引いている時期に、すべての人に提供できるようにする。したがって、このグループに属する図書はどれでも、しきりに要求されるかぎりは、次々に複本を購入し続けるべきである。」(4)

 つづけて、著者の森耕一氏は次のように解説します。

 「新設される公共図書館では、大衆に読まれる通俗書(popular books)を、しかも充分に複本を備えようというのです。この方針は、ボストンはもちろん、その後アメリカのすべての公共図書館で採用されました。実際、要求のある、読まれる本を、そして、タイムリーに要求を満足できるくらい十分に複本を整えるということは、大事なことだと思います。日本の公共図書館では、それから一世紀以上を経た今日においても、依然として複本の購入は例外的なことに属しているようです。反省する必要があると思います。」

 複本の大量購入によって、「かぎられた予算が圧迫され、公共図書館に求められる幅広い分野の書籍の提供という目的を阻害しているわけで、出版活動や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない。」

 この文章は、ふたつのことを主張しています。第1は、複本を大量に買う公立図書館は幅広い分野の本を提供できていないこと、第2は、(「それが理由で」とは言わず、「公立図書館が」とも言わずに)「出版や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない」こと、です。

 この2点の主張が(何の調査もしない)単なる思い込みによる断言であることは、先にご紹介した高浪郁子氏による調査報告と2015年に松本芳樹氏(当時、ふじみ野市立大井図書館)が行なった調査結果(5)によって明らかです。このふたつの調査は、個々の公立図書館が購入したベストセラーの複本数、それに要した費用、ベストセラー購入費が資料費に占める割合などを調べたものでした。

 ベストセラー購入費の資料費に占める比率が最も高かったのは、前者(1999年調査)で目黒区立図書館の0.98%、後者(2015年調査)で豊田市中央図書館(愛知県)の0.87%でした。

 公立図書館の複本の購入にかんする実態調査は2003年7月にも行われました。調査をしたのは日本書籍出版協会日本図書館協会で、全国500の市区町村の図書館を対象とし、427自治体の679館から回答が寄せられました。回答率が85%と高かったのは、公立図書館の複本購入がマスコミにもとりあげられて社会的な関心が高まっていたこと、出版界と図書館界の代表的な団体による共同調査であったこと、個々の図書館名を伏せるという条件で回答をもとめたこと、などが要因だったのではないかと思われます。

 調査内容は、ベストセラーや各種の賞を受賞した著作80点の図書館での所蔵冊数、貸出冊数、調査時点での予約件数でした。結果の集計は、政令指定都市特別区、大規模市(人口30万人以上)、中規模市(人口10万人~30万人未満)、小規模市(人口10万人未満)、町、村ごとに行なわれたため、個々の図書館の数値は分りませんけれど、複本の所蔵冊数についてのまとめは次のようになっています。

 「ベストセラー作品の中でも、『五体不満足』『模倣犯』『ハリー・ポッター』の3タイトルは、図書館においては、別格の所蔵冊数を持つ。この3作品の平均的な一図書館あたり所蔵冊数は、4.78 冊であるが、これを除いた残りの18 タイトルの平均的な一図書館あたり所蔵冊数は、1.55冊となる。」(6)

 その結果、次のようなことが言えるでしょう。

 貸出予約者の増加に応じて複本を10冊、20冊、30冊と増やすことができる公立図書館は、おおむね自治体の人口(サービス対象者数)と資料費予算が多く、幅広い分野の本を提供できる図書館です。これに対して、人口の少ない自治体の図書館は、特定の本の貸出予約者が大きな都市とくらべて少なく、そもそも複本を10冊、20冊と増やしていく必要がありません。

 結論として、複本の購入が予算を圧迫して幅広い本の提供を阻害するとは言えないことになります。つまり、誰に対しての非難なのか明らかでない「出版活動や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない」という主張は、根拠がなく間違っているということです。

 

 芥川賞受賞作家の三田誠広(みた・まさひろ)氏も公立図書館におけるベストセラーの複本をくりかえし非難した作家のひとりです。たとえば、2002年、『論座』の「図書館が侵す作家の権利:複本問題と公共貸与権を考える」(7)で次のように書いています。

 イ. 「図書館では推理小説などのベストセラー本を何冊も購入しているのに、純文学や学術書など人気がなくても価値のある本が揃っていないことがある。」

 ロ. 「地味な純文学や学術書の類が、ベストセラーの複本のために、図書館の棚からしめ出される傾向にあることは、まぎれもない事実だろう。」

 翌2003年には『図書館への私の提言』という立派なタイトルの本の中で、氏は公立図書館の職員と蔵書構成に次のような難癖をつけました。

 ハ. 「図書館で借りることができるのは書店でも買えるベストセラー本ばかりで、純文学や学術書などの蔵書はきわめて貧困です。人気のある本さえ揃えておけば、それで図書館の役目は果たせると決め込んでいる館長や職員が多いのではないでしょうか。」(8)

   イとロは、同じ雑誌記事の中にある文章で、ほぼ同じ内容です。要するに、公立図書館はベストセラーの複本をたくさん買うから、純文学や学術書などの購入にまわすお金が減っていると言っています。

 けれども、先にご紹介したベストセラー購入にかんする高浪・松本両氏の調査報告によりますと、公立図書館のベストセラー購入費が資料費全体に占める割合は、調査対象となったすべての図書館で1パーセントに満たないということでした。年間の資料費予算が3,000万円の図書館なら、ベストセラーの購入費が30万円未満で、残りの2,700万円以上がベストセラー以外の本の購入に充てられていたわけです。三田氏の言は(意図的ではなかったにしろ)結果的に嘘になっています。

 ハの引用にはふたつの文章が含まれています。第1の文章は三田氏の公立図書館にかんする無知を示しています。なぜなら、公立図書館では貴重書や調べものをするための参考図書などをのぞいて、ほとんどすべての本を借りることができるからです。その根拠は、西谷能英氏への反論の⑤においてご説明したリクエスト制度です。

 次に、「純文学や学術書などの蔵書はきわめて貧困」と公立図書館を一律におとしめているのも腑に落ちません。誕生したばかりの図書館や自治体が財政難で苦しんでいるさなかの図書館なら、蔵書構成に偏りが出たりするかも知れませんけど、公立図書館では「純文学や学術書などの蔵書はきわめて貧困」と一般的に言うことはできません。

    ここで三田氏の主張を一歩すすめててみましょう。

 公立図書館で「純文学や学術書などの蔵書がきわめて貧困」であるならば、《公立図書館は純文学や学術的な著作の新刊をほとんど購入しておらず》、したがって《純文学や学術書の新刊の販売不振は公立図書館と無関係だ》ということになります。三田氏の論理は破綻しており、都合のいいように理屈をこじつける牽強付会(けんきょうふかい)の一例になっています。

 先に三田氏の『図書館への私の提言』が立派なタイトルだと書きました。タイトルにある《提言》のひとつをご紹介します。

 「これ{図書館が複本対策に協力してくれるか否か}についても、わたしには試案があります。先にわたしは、公共図書館の設置者が、年間資料購入費の五%程度の補償金を払うということを提案しましたが、ここに複本対策についての報奨制度を盛り込むのです。例えば、推理作家たちを満足させるような複本対策を実施している図書館は、本来五%のところを、〇・五%ほど減免するというかたちで、複本対策に積極的な図書館を支援するのです。

 どうしても複本を置くという図書館には、余分に費用を払っていただく。すべてを金銭で解決するというのは、あまり誉められたことではありませんが、こうでもしないと、図書館は動かないというのが、私の実感です。」(p. 214)

 この《提言》は、複本を置きたい図書館の設置者(=自治体)が年間資料費の5%を補償金として支払い、複本対策に協力する図書館の設置者には0.5%の値引きをするというものです。具体的な数字を示せば、年間資料費が3,000万円の図書館を運営する自治体は、ベストセラーなどの複本を蔵書とするとき、補償金として150万円を出版側に支払うということです。

 「こうでもしないと、図書館は動かないというのが、私の実感です」とありますから、《図書館の複本=著者と出版社の損害》という図式が氏の脳裏にこびりついていて、自分が間違っているかも知れないとは考えなかったのでしょう。なぜなら、この提案があまりにも手前勝手で強欲なものだからです。

 

参照文献

(1)西谷能英「図書館の役割はどう変わるべきか」(『未来』28号、1999.7)

(2)高浪郁子「ベストセラーの購入状況を調べてみました」(『みんなの図書館』275号、 2000.3)

(3)日本著者販促センターの「ベストセラー 年度別」(アクセス20230724)

(4)森耕一『図書館の話』第4版第16刷(至誠堂、1998年)

 引用部分の最後に「日本の公共図書館では、それから一世紀以上を経た今日においても、依然として複本の購入は例外的なことに属しているようです。反省する必要があると思います」とあるが、第4版第16刷が発行された1998年時点では「複本の購入は例外的なこと」ではなく、出版側のごく一部からではあるが非難・攻撃の的となるほど拡がっていた。

(5)松本芳樹「ベストセラーの購入状況を調べてみました:2015」(『みんなの図書館』462号、2015.10)

(6)日本図書館協会日本書籍出版協会『公立図書館貸出実態調査2003 報告書』(日本図書館協会日本書籍出版協会、2004年)

(7)三田誠広「図書館が侵す作家の権利:複本問題と公共貸与権を考える」(『論座』91号、 2002.12)

(8)三田誠広『図書館への私の提言』(勁草書房、2003年)