図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

前川恒雄さんのこと

前川恒雄著述リスト

前川恒雄著述リスト このリストでは、前川恒雄さんの書いたものと述べたものをできるだけ網羅的に列挙しましたが、次の資料は省略しています。①新聞、②点字資料、③視聴覚資料(録音資料)。 項目の配列 図書、雑誌、パンフレットなどの刊行年月の昇順。 表記…

前川恒雄さんの仕事(5)甲南大学教授と大阪商業大学図書館相談役

◎1991(平成3)年3月に滋賀県立図書館を定年退職した恒雄さんは、翌4月から甲南大学文学部の教授になりました。司書課程の担当です。前年の秋に甲南大学の教授や旧知の森耕一氏など3人が会いに来て勧誘されたときは、特任教授という条件で承諾していました…

前川恒雄さんの仕事(4の3)図書館県・滋賀の誕生

◎1980年代の後半からでしょうか、滋賀県は「図書館県」「図書館先進県」「図書館立県」「図書館王国」「図書館見学のメッカ」などと言われ始めました。そして滋賀県の公共図書館協議会も、2019年4月につくったポスターの中で「としょかん県 しが」と自称して…

前川恒雄さんの仕事(4の2)滋賀県立図書館の再生(2)

◎恒雄さんは1980(昭和55)年7月1日に滋賀県立図書館長に就任しました。あと数か月で50歳、図書館関係のほかに市役所の中枢でも経験と実績を積み、さまざまな機会に新たな知友を得ることができました。日野市の元市長だった古谷太郎氏に別れの挨拶に行きます…

前川恒雄さんの仕事(4の1)滋賀県立図書館の再生(1)

◎日野市の二つ目の部長職にあった1980(昭和55)年、恒雄さんが49歳のとき、滋賀県立図書館長になってほしいという話が舞い込んできました。最初に恒雄さんにアプローチした教育委員会の上原恵美文化振興課長によりますと、 「私が昭和54年に課長の辞令をも…

前川恒雄さんの仕事(3の5)日野市の助役と部長

◎1973(昭和48)年4月に中央館を開館した日野市立図書館は、あいかわらず順調な伸びを示していた貸出にくわえて、それまで等閑に付してきたサービスを少しずつ始めていました。 ところが、その3か月後の市長選挙で、図書館に理解のあった古谷栄市長が落選し…

前川恒雄さんの仕事(3の4)『市民の図書館』への貢献

◎15年ほど前になりますか、ある大学で非常勤講師をしている現職の図書館員をたずねたことがありました。授業を終えたその人が持っていた数冊の本の中の1冊が『市民の図書館』で、驚いたのは、使いこんだ証しを示すその本の傷と汚れでした。 『市民の図書館』…

前川恒雄さんの仕事(3の3)東京都の公立図書館の振興

◎1967(昭和42)年4月、美濃部亮吉(みのべ・りょうきち)氏が東京都知事選挙で勝利し、知事に就任しました。その後、氏は3期12年にわたって知事職をつとめますが、初めは「敵陣に落下傘で降り立つ」覚悟だったということです。と言いますのは、東京都で初め…

前川恒雄さんの仕事(3の2の2)日野市立図書館の新機軸

日野市立図書館の出現が日本の図書館界を驚かせたのは、図書館という施設がなかったのに、当時の水準をはるかに超える資料費を得て、移動図書館1台による貸出だけのサービスによって、だれも予想しなかった利用者数と貸出冊数の多さを実現したからでした。し…

前川恒雄さんの仕事(3の2の1)日野市立図書館の躍進

◎日野市立図書館は、1965(昭和40)年9月21日、移動図書館ひまわり号で貸出サービスを始めました。図書館と称する建物がなく、事務所(市役所の七生支所2階)と移動図書館車に蔵書が合わせて約3,000冊、職員は6人、サービスは本の貸出だけ、というささやか…

前川恒雄さんの仕事(3の1)日野市立図書館の開館まで

◎日本図書館協会の有山崧(ありやま・たかし)事務局長が出身地の東京都日野市で社会教育委員会議長を委嘱されたのは、1964(昭和39)年の秋のことでした。氏はさっそく社会教育委員会の中に、公民館と図書館の設置にかんする特別委員会を設けます。 特別委…

前川恒雄さんの仕事(2の3)イギリスでの研修

◎日本図書館協会の有山事務局長は、1962(昭和37)年秋にヨーロッパへ出張した際、イギリスの図書館協会およびブリティッシュ・カウンシル(英国文化振興会)と交渉し、日本の若い図書館員を留学させることで大まかな合意をとりつけていました。これが具体化…

前川恒雄さんの仕事(2の2)8人目の侍(中小公共図書館運営基準委員会)

◎敗戦後15年が経っても、日本の公共図書館はまだ低迷したままでした。図書館を設置していた市町村は日本全体のおよそ20パーセント、貸出登録者は全国の人口の1パーセント未満、国民1人当りの年間貸出冊数は0.1冊にも届いていなかったのです。 1950年代から60…

前川恒雄さんの仕事(2の1)日本図書館協会での日常業務

◎七尾市立図書館時代は、気持ちのよい職場、地元の人たちとの相性のよさ、義母との同居から解放された妻と可愛い盛りの長男、家庭教師や海員学校の非常勤講師などによる余分の収入など、恒雄さんにとって、キャリアの中で《最も》と言ってもよいほど、こころ…

前川恒雄さんの仕事(1)小松市立と七尾市立の図書館員

図書館界に限っての話ではありますけれど、前川恒雄さんは多彩な職歴の持ち主でした。すなわち、 ①市立図書館2館の館員、②日本図書館協会の事務局職員、③市の教育委員会職員、④市立図書館長、⑤市の助役と部長、⑥県立図書館長、⑦私立大学の教授、⑧私立大学図…

恩を忘れず、中傷をバネに

まだ10代の後半だった前川恒雄さんは、家族5人で暮らす金沢の狭いわが家をときどき訪れていました。恒雄さんが第四高等学校(略して四高=しこう)の理科甲類、金沢大学工学部の学生だったころで、ちょうど10歳年下の私は小学生でした。恒雄さんは私の父母の…

奇妙な訃報

2020年4月10日に前川恒雄さんが亡くなって数日後、新聞にその訃報が載りました。すぐさま金沢に住む私の姉が電話をかけてきて、「あんなに偉い人だとは知らなかったわ。あんたもショックやろ」ということでした。姉が「あんなに偉い人」と言いましたのは、彼…