図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

にぎやかな図書館・騒がしい図書館

 一般に音や声は、デリケートな問題を含んでいます。

 読みたくない文字は読まなければすみ、見たくない物や風景は見なければすみます。ところが音声は、好き嫌いにかかわらず耳に飛び込んできます。耳にとびこんでくる音はさまざまです。建築現場での重機や金づちの大きな音でも、近くの住民は我慢をします。自分も新築やリフォームを頼む可能性があり、お互いさまというわけですね。けれども、聞きたくない音が聞こえてきた人は、音が止むのを待つか、その場を離れるか、耳をふさぐか、音源を何とかする必要があります。

 昨年末の読売新聞朝刊に「人生案内 回答者座談会」という記事が掲載されました(20211223)。1年を締めくくるこの座談会では、「どのような相談が多かったか」「相談の傾向から見える社会の状況」などを10人ほどの回答者が語っています。その中で、作家のいしいしんじ氏が「音に関する相談が多いと感じた」と発言されていました。「声が大きい、テレビやラジオの音が大きいといった声量や音量による被害。嫌だろうなと、自分にも切実に感じられるものだった」ということです。

 

 図書館の閲覧室などでの私語のばあいはどうでしょうか。

 図書館が閲覧室での私語を認めていても、私語を聞いた人の感じ方は一様ではありません。《認められているようだから、自分たちも話をしよう》《一向に気にならない》《お互いさまだから我慢しよう》《うるさいな》など、感じ方や考え方は人さまざまです。

 声の大小だけでなく、私語がつづくか否かによっても受け取られ方はちがいます。さらに、ごく普通の音量で話をしている人たちであっても、その数が多ければ全体として騒音・雑音になりかねません。

 

 ここで、図書館での私語をめぐる実例とフィクションをふたつずつご紹介します。

(実例1)

 夏目漱石は、1903(明治36)年から東京帝国大学の文科大学英文科で講師をつとめていたところ、4年近く経った1907年、朝日新聞社から好条件で社員にならないかとの誘いを受けます。好条件とは、①大学の年俸が800円だったのに対して、新聞社の月給は200円(換算すれば年俸2,400円で大学の3倍)、②出社の義務なし、③年に100日ほどの連載小説を朝日新聞紙上に1作書くこと、などでした。

 教職にありつつ『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』などの名作をすでに書いていた漱石にとって、このありがたい申し出をことわる理由はありません。そこで、入社直後、東京朝日新聞紙上に歯切れのよい筆致でその喜びをつづりました。「入社の辞」と題するその文章の中に、勤務先の大学の図書館にかんする話が含まれています。

 「突然朝日新聞から入社せぬかと云う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事である。文芸上の術作を生命とする余にとってこれほど難有い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない、成功するか、しないか抔{など}と考えて居られるものじゃない。博士や教授や勅任官抔の事を念頭にかけて、うんうん、きゅうきゅう云っていられるものじゃない。」

 「大学で一番心持ちの善かったのは図書館の閲覧室で新着の雑誌抔{など}を見る時であった。然し多忙で思う様に之を利用する事が出来なかったのは残念至極である。しかも余が閲覧室へ這入ると隣室に居る館員が、無暗に大きな声で話をする、笑う、ふざける。清興を妨げる事は莫大であった。ある時余は坪井学長に書面を奉て、恐れながら御成敗を願った。学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分は是が為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学長がわるいのだから、不平があるなら其方へ持って行って貰いたい。余の学力が足らんのだと思われては甚だ迷惑である。」(1)

 この騒がしい図書館員たちは、はたして勤務時間中だったのでしょうか。自分たちがいる部屋が教官の閲覧室と隣接していることを知っている人たちです。勤務時間中ならなおさら、漱石でなくても眉をひそめますね。あるいは、漱石はしばしば神経衰弱(今でいうノイローゼ)に悩まされていましたから、そのような時期の出来事だったかも知れません。

 

(実例2)

 イギリスの作家コリン・ウィルソン大英博物館の図書館に通って出世作アウトサイダー』を執筆した人でした。彼は自伝『コリン・ウィルソンのすべて』の中で、大英博物館の閲覧室で大声を出す図書館員アンガス・ウィルソンに触れています。

 「大英博物館の読書室で、私は館長だった小説家のアンガス・ウィルソンに目をとめていた。と言うより、目にとめずにいるのは不可能なことだった。なにしろひたいから流れるように後ろへと垂れている白髪混じりの毛といい、紫色の蝶ネクタイといい、目立つ鼻筋といい、電話中の彼が読書室全体に響かせる高らかな声といい、特長だらけの人で、特にその声は「ジョン・ギールグッドはいませんか。……やあ、ジョン、元気か、こちらはアンガスだ」というように話しているのを何度、聞かされたことか。ギールグッドは稀代の名優だった。」(2)

 簡単にご説明しますと、アンガス・ウィルソン(1913-1991)は1937年から20年近く大英博物館British Museum=BM)の図書館部門に勤めていて、第二次世界大戦中は海軍で暗号解読に従事するため一時的にBMをはなれました。戦争が終わりますと、彼はただちにBMに復職し、1949年に発表した短篇集『悪い仲間』などで一躍有名になります。

 アンガスより20歳近く年下のコリン・ウイルソンが『アウトサイダー』をBMで執筆していたのは、アンガスが1955年にそこを退職する間近のことでした。

 コリンの描写が正確なら、アンガスの振舞いは《傍若無人》と言われても文句を言えないでしょう。「電話中の彼が読書室全体に響かせる高らかな声」は、利用者にとって迷惑以外の何ものでもないからです。ちなみに、上の引用中、アンガスは館長だとされていますけれど、「閲覧部門の副主任」(3)だったようです。

 

(フィクション1)

 イギリスの作家アニータ・ブルックナーの『招く女たち』の主人公ルイス・パーシーは、フランス国立図書館大英図書館に通って勉強をつづけ、指導教授のすすめで大学図書館に勤めながら博士論文を書き上げます。

 彼はイギリスで母と同居しているとき、本が好きな母と一緒に、週に2~3回は近くの図書館へ行っていました。その図書館では私語が禁じられていましたので、館員のミス・クラークが「ハイヒールで軍靴を思わせる音をたてて歩いていっては、規則を破っている相手の肩を揺さぶる」のでした。穏やかで年老いたベイカー氏は、あるとき「てめえのほうが、よっぽど騒々しいじゃねえか、このあばずれ」と反撃して退出を命じられてしまいます。(4)

 職務を忠実に果たそうとしたミス・クラークは、音を出さないように「相手の肩を揺さぶる」ことで注意した代りに、ハイヒールで「軍靴を思わせる音をたてて」しまったのでした。

 

(フィクション2)

 20世紀アメリカの作家ウィリアム・サローヤンの『ヒューマン・コメディ』に、経験豊かな司書が市立図書館の閲覧室で大きな声を出すシーンがあります。(5)

 時代は第二次大戦中、舞台はカリフォルニア州イサカという町、物語の中心は父を亡くした少年たちで、登場人物たちへの著者のあたたかいまなざしが印象的な小説です。

 その「図書館にて」と題する第28章で、12歳のライオネルという少年が仲良しで4歳のユリシーズを連れて初めて市立図書館へ行きます。静寂が支配する館内で、ライオネルは抜き足差し足で歩き、声をひそめてユリシーズに話しかけていました。ところが、

「しばらくして、図書館員のギャラガー夫人が二人に気付き、近付いてきた。この老司書は声をひそめようともしなかった。そこが図書館とは思っていないかのように、何の遠慮もない声で話しかけた。ライオネルとユリシーズはその声にびっくりし、まわりの閲覧者の何人かも、読んでいた本から顔をあげた。」

 何をしているのかというギャラガー夫人の詰問に対して、ライオネル少年はささやくように問い返します。

 「ぼく、本、見るのがすきなの。いけないですか?」

 図書館の静かな環境に気配りできる文字の読めない12歳の少年は、その後の短い対話によって、何か勘違いをしたらしい図書館員を納得させることができたのでした。小さなヒューマン・コメディですね。

 

 2008年9月、国立国会図書館のネットによる情報サービスに、イギリスの新聞Times紙上で公共図書館が「静かな場所であるべきか、にぎやかな場所であるべきか」について議論されているという記事が掲載されました。(カレントアウェアネスR、20080925)

 それによりますと、イギリスの公共図書館は、過去10年の低迷(図書館の有資格者の割合や貸出冊数の減少)から脱却するためにさまざまな対策を講じてきました。たとえば、

 「多様な資料の提供、館内でのテレビゲーム(Nintendo Wii)の提供、館内へのカフェの誘致、飲食物の持込許可、携帯電話での通話許可など、各館がさまざまな取り組みを試みています。これらは、利用者に長く滞在してもらう、利用者に居心地良く感じてもらう、若者に来てもらう、などの目的で行われており、総じて、図書館をにぎやかにするものです。」

 図書館の取組みを紹介したTimes紙の記事のあと、ある作家がそれらを批判し、図書館側が反論しました。

 作家の言い分 = 「図書館は静寂な場所であるべきであり、図書館をにぎやかにしようとする大衆化は誤った戦略で、自殺行為である」

 図書館側の反論 = 「無料で情報や学習の機会を提供するという図書館本来の役割は変わっていない、図書館は時代に応じて変わっていかなければならない」

 この応酬につづいて、次のような趣旨の投稿がTimes紙に寄せられました。

 「{図書館は}他と違って静かな場所だからこそ価値がある」

 「図書館が衰退しつつあるという状況こそ問題にすべきである」

 「静寂な場所とそれ以外とのゾーニングが明確であれば良い」

 「図書館に楽しさやカフェが必要、などというライブラリアンはスターバックスで働くべき」

 翌月、イギリスの図書館・情報サービスの専門職団体であるCILIPの会議に出席した文化・メディア・スポーツ大臣は、「これまでの図書館のステレオタイプを脱したにぎやかな図書館というアイディアを支持する発表を行い、デジタル時代の図書館は人々が集い、交流するコミュニティの中心となることが望ましい、との見解を」表明しました。(カレントアウェアネスR、20081021)

 これは、図書館や情報サービス機関の維持・発展を担当する大臣が図書館側の言い分にお墨つきを与えた格好ですね。

 

 これと同じ時期(2008年9月~2009年3月)に、ひとりの日本の研究者がデンマークコペンハーゲンで同国の公共図書館について調査・研究をおこない、その結果を1冊の本として出版しました。吉田右子氏の『デンマークのにぎやかな公共図書館』(新評論、2010年)です。その中に次のような記述があります。

 「デンマーク公共図書館は、もはや静かな場所ではない。図書館に入って最初に聞こえるのが人びとのざわめきである。公共図書館は利用者同士が自由におしゃべりをするにぎやかな空間に変わりつつある。多くの図書館には「静寂コーナー」が設けられ、シールなどを貼って、話をしてもよいほかの空間と区別している。言い換えれば、「静寂コーナー」以外のすべての場所では自由におしゃべりをしてもよいということである。ちなみに、ほとんどの公共図書館では飲食も許されているので、自分の持ち込んだ飲み物やランチを取りながら長居をする人もたくさんいる。」(6)

 

 当ブログには、「乳幼児とその親に対するサービス」という記事があります。赤ちゃんや幼児を連れた親が気兼ねなく公立図書館を利用できるように、「赤ちゃんタイム」などの名称で、「少し騒がしくなっても、ご協力をお願いします」という時間帯をもうける例が、日本であらわれつつあるとご紹介したものです。(20180521)

 このときの調査では、「赤ちゃんタイムは、おもに週に1日、月に1日、月に2日実施」されていて、時間は2時間前後、場所は児童(書)コーナーやおはなし室が多いようでした。

 このような試みをさらに大胆に実行したのが、2017年にオープンした安城市(愛知県)のアンフォーレという施設の中核をなす安城市図書情報館です。この施設は、IRI知的資源イニシアティブというNPO法人が表彰するLibrary of the Yearの2020年オーディエンス賞を受賞しました。

 安城市アンフォーレ課の市川祐子氏による報告記事(7)によりますと、賞の審査で「特に評価されたポイント」の2番目が、会話と飲食を自由にしたことだそうです。「もちろん、他人の迷惑になるような声量や振る舞いは注意するが、マナーを守った上での利用は自由である。一般向けフロアである3階・4階では飲酒さえ可能だ。」

  また、「乳幼児にはどうしても声が大きくなったり、飲食が必要な時がある。彼らにたくさん利用してほしいならば、静寂を守るというルールは足枷でしかない」ということですけれど、2階が子どものフロアで、《○○の部屋》で遊ばせたり読み聞かせをするような配置になっており、そのフロアにある新聞・雑誌を読む大人はさほど迷惑と感じないだろうと思われます。Times紙への投書にあった「静寂な場所とそれ以外とのゾーニングが明確であれば良い」を実践した感じでしょうか。

 

 《にぎやかな図書館》という言い方には、利用者の館内でのおしゃべりを肯定するニュアンスがあり、《騒がしい図書館》という言い方には、逆のニュアンスがあります。

 ひとりの図書館利用者として、私は次のように考えています。

 ①公立図書館は、何よりもまず、住民が無料で資料と情報を手に入れる場であり、図書館はその目的を最優先しなければならない。

 ②図書館は、利用者が読む場所、調べものや学習をする場所、資料を探す書架などの周辺では、私語を原則として禁止すべきである。最近の私がときどき利用している京都市立、京都府立の図書館は、にぎやかではなく騒がしくもなく、とても居心地のよい空間となっている。

 ③館内で私語を認める場所と認めない場所を特定すれば、私語の騒がしさを厭う人も、私語を交わしたい人も、ストレスを抱えなくてすむだろう。

 ④上記の②と③を実現するために、私語にかんする決まりを利用規程・規則に明記し、図書館のウェブサイトのほか、館内でも掲示やサインによってゾーニングが分かるようにする。利用規程に明記しておけば、職員が私語をしている人に注意しやすくなり、利用者どうしも注意しやすくなる。

 規則として明記するとき、「他人の迷惑になるような声量」とか「常識の範囲内」というようなあいまいな表現は避けるほうがよい。注意する行動をためらわせたり、注意された人との言い争いの原因になったりする可能性をあらかじめ排除するためである。

 ⑤既存の小さな図書館では無理なばあいが多いと思われるが、できれば館内にグループ学習室やカフェ、休憩室ないし談話室のたぐいを設けて、話をしたい人や話をする必要のある人のための場所を確保するのが望ましい。

 

参照文献

(1)夏目漱石著『10分間で読める夏目漱石短編集』(ゴマブックス、2018年)

(2)コリン・ウィルソン著、中村保男訳『コリン・ウィルソンのすべて』上(河出書房新社、2005年)

(3)岡照雄著『アンガス・ウィルソン』(研究社出版、1970年)

(4)アニータ・ブルックナー著、小野寺健訳『招く女たち』(晶文社、1996年)

(5)ウィリアム・サローヤン著、関汀子訳『ヒューマン・コメディ』(ちくま文庫、1993年)

(6)吉田右子著『デンマークのにぎやかな公共図書館』(新評論、2010年)

(7)市川祐子著「アンフォーレ安城市図書情報館の挑戦」(カレントアウェアネスE、20210218)