図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

無料貸本屋という空疎なレッテル

遅れていた貸出サービス

 1965(昭和40)年10月、東京都日野市に小さな事務室と1台の移動図書館車、蔵書はわずか3,000冊、サービスは貸出だけという、ないないづくしの市立図書館が誕生しました。ところが、この図書館は利用者の急増と貸出サービスの目覚ましい実績によって、日本の図書館関係者を驚嘆させます。ふつうは良い意味に使われる《目覚ましい》という言葉も、古語では「意外で気にくわない」という意味で使われるばあいが多かったと国語辞典にあります。

 ごく一部の人にとって、日野市とそれに追いつこうと努めた市立図書館群の活躍が《意外で気にくわない》ことだったらしく、1970(昭和45)年に出版された『市民の図書館』(日本図書館協会刊)に「貸出しは図書館が無料貸本屋になることではないか、という批判がある」と書かれています。けれども同書の次のページには、当時の日本の公立図書館の貸出冊数がとても少ないのだと、具体的な数字をあげて説明しています。

 「貸出しの量が多いことは質が悪いことだという意見もある。この意見にこたえる前に外国の図書館をみてみよう。英国では公共図書館が年間、人口の8.5倍の貸出しをしている。デンマークが6.3倍、ハンガリーが4.5倍、アメリカは4.4倍である。日本は0.1倍である。」当時の日本の公立図書館の貸出冊数は、イギリスの85分の1、デンマークの63分の1にしか過ぎなかったということです。

 このような実態を知らない人が無料貸本屋という新語を思いついて、貸出サービスを基本とする新しい流れに一石を投じたつもりだったのかも知れません。けれども、ささやかな流れは10年たち20年経つうちに奔流となりました。

 それは、日本の公立図書館が世界の先進的な国々に少しでも追いつこうとして貸出サービスに注力しつづけたからです。結果、21世紀の初めには、国民1人当りの貸出冊(点)数がトップグループ諸国の背中が見えるほどまで近づきました。日本の数値が2004(平成16)年現在で4.8だったのに対して、ほぼ同じ時期のトップグループ諸国は次のとおりです。(1)

フィンランド 20.0  デンマーク14.8

ニュージーランド12.5 オランダ10.7

エストニア10.0  スウェーデン9.2

イギリス8.7  スロヴェニア8.0

アイスランド7.5  アメリカとベルギー7.1

 1965年から現在まで、日本の公立図書館は世界のなかで特別な貸出サービスをしていたわけではありません。個々の図書館の蔵書の数量とその内容、貸出を受ける登録者の割合、個々の利用者が借りられる冊数と期間、貸出にともなう予約サービスなど、さまざまな面で図書館の先進諸国に追いつこうと頑張ってきただけです。

 というわけで、《無料貸本屋》という悪態は、結果として世界中の公立図書館に対する悪態になっています。また、その同じ時期に、貸出サービスが日本より優れていた国々の公立図書館が、出版界からいわれのない罵詈雑言を浴びせられた例は私の知るかぎりありませんでした。

 公立図書館を設置するのは都道府県、市区町村などの自治体(地方公共団体)です。設置と運営に直接かかわるのは、首長、教育委員会、行政の関連部署、議会の議員、図書館員、図書館協議会の委員などです。加えて、図書館に関心をもつ多くの住民(利用者、ボランティア、寄付・寄贈をする篤志家や企業)がいます。図書館に《無料貸本屋》という何の根拠もないレッテルを貼る人たちは、これらの関係者、支持者、支援者、利用者をも愚弄していることになります。たぶん気づいていないのでしょうけれど。

 

無料貸本屋というレッテルの具体例

 出版界と図書館界の20年論争中、公立図書館を非難するために《無料貸本屋》というレッテルを使った多くの例から、ふたつだけご紹介します。まず、このレッテルを出版界でいちばん早く使ったと思われる例です。

 A.「近所に公立図書館がなければ生きていけない人間」を自称する津野海太郎(つの・かいたろう)氏は、「市民図書館という理想のゆくえ」(『図書館雑誌』v. 92, no.5, 1998.5)の中で、「あえて暴言をはくならば」と予防線を張った上で次のように書いています。

 「書棚と貸し出しカウンター以外、なにもない。図書館というよりも親切な無料貸本屋みたい。

 という印象をうけたというのも、また、たしかなことなのだ。」

 氏は東京都杉並区から埼玉県浦和市(現在:さいたま市)に引っ越したとき、歩いて行ける範囲に県立、市立、分館あわせて4つの図書館があることを確認して安心します。けれど、本を読んだりノートをとったりする空間が貧弱すぎるように感じたのでした。

 近くに公立図書館がなければ生きていけないと自覚する人にとって、県立・市立・2分館が歩いて行ける距離にあるのは、これ以上望めないほどの環境でしょう。その意味で移住先の選択はお見事ですけれど、図書館の施設や設備が貧弱で不満なら、納税する住民として図書館に「何とかなりませんか」と相談をもちかけるのがよいのではないかと思います。なぜなら、住民のためのシステムである公立図書館は、住民の頻繁な利用とさまざまな声(要望、提案、忠告、苦情、感謝、激励など)によって育っていくからです。施設の拡充はすぐに対応してもらえないとしても、閲覧席を増やす程度であれば工夫次第で何とかなる可能性があるでしょう。

 つづいて津野氏は、書店がすぐに売れる本しか扱わなくなったことをとり上げ、公立図書館もよく売れる本を最優先に購入・貸出するようになったと嘆きます。施設・設備の次は図書館の蔵書への不満です。この件について氏が図書館員に苦情を言ったところ、議会や行政を納得させるためにも必要だと説明を受けます。けれども、津野氏は納得しません。

 「『失楽園』は十五人待ちです。

 この種の表示をロビーで目にするたびに、正直いって「へっ」と思う。「なにが公共図書館だよ、ただの貸本屋じゃないか」とつい感じてしまう。」

 「こうした図書館「無料貸本屋」化のはじまりには、おそらく、本の保存ではなく利用を正面にうちだした一九六〇年代、七〇年代の市民図書館運動があるのだろう。」

 ごらんのとおり、津野海太郎氏はよく利用した公立図書館について《親切な無料貸本屋みたい》という印象をもち、ベストセラーの予約者数の表示を館内で目にするたびに《ただの貸本屋じゃないか》と感じたのでした。

 ひとつ具体的な例を挙げましょう。

 2021年3月に発行されたカズオ・イシグロ氏の”Klara and the Sun”という小説があります。邦題は『クララとお日さま』となっており、AI(人工頭脳)を搭載したロボット(クララ)とひとりの少女との心あたたまる物語です。この本を日本の住民100万人以上の都市の図書館がどのていど所蔵しているかを調べますと、次のようになりました。

 福岡=17.9万人に1冊  広島=17.1万人に1冊

 札幌=10.9万人に1冊  仙台=10.0万人に1冊

 名古屋=9.3万人に1冊  横浜=8.4万人に1冊

 大阪=8.3万人に1冊  川崎=6.7万人に1冊

 京都=6.3万人に1冊  さいたま=5.3万人に1冊

 神戸=4.8万人に1冊

 この本の現在(2023.3.26)の利用状況はさまざまです。所蔵している『クララとお日さま』がすべて貸出中となっている図書館がある一方、所蔵数の半分ほどが閲覧・貸出可能な状態の図書館もあります。ちょうど2年前に発行された本がいまだに借りられているのです。

 この「よく売れる本」を住民4.8万人当り1冊から17.9万人当り1冊買って貸し出す図書館の貸出サービスのどこかに問題がありますかね? ためしにアメリカの比較的大きな都市(サンフランシスコ、ボストン、シアトル、マイアミ)の図書館がこの本をどのていど所蔵しているか検索してみますと、ほぼ住民1万人に1冊の割合でした。日本の大都市の5倍から18倍の所蔵冊数になります。

 

 B.林望(はやし・のぞむ)氏は「図書館は「無料貸本屋」か」(『文芸春秋』v. 78, no. 15, 2000.12)の中で、公立図書館がベストセラーを貸し出す状況について書いています。分かりやすくまとめますと、次のようになります。

 「ベストセラーのごときを、図書館で借りて読もうというような人は、決して本当の読書家ではない。まして娯楽のための読書であるなら、なおさらのことである。」

 一般論として「本は自分で買って読まなければ身につかない」という趣旨の主張をする人はときどきいます。たとえば哲学者の三木清は「正しく読もうというには先ずその本を自分で所有するようにしなければならぬ。借りた本や図書館の本からひとは何等根本的なものを学ぶことができぬ」と書いています。(2)林望氏のばあいは信念のようで、「図書館で借りた本の知識は、しょせん、「借りもの」の知識でしかない。自分が読みたい本は、原則として買って読み、読んで良かったと感じた本は、座右に備えておくべきだという立場です。」(3)

 けれども、おもに図書館で借りた本を読んで豊かな人間性をはぐくみ、立派な仕事をした人は枚挙にいとまがないほどたくさんいます。日本では初等・中等教育の教科書が無償で給与されますが、欧米の先進諸国では教科書が無償で貸与されています。このような国々の子どもたちは「知識が身につかず」、「借りものの知識」が身につくのでしょうかね? いずれにしろ、「本は自分で買って読まなければ身につかない」と決めつけるのは、視野が狭すぎると言わざるを得ません。

 「図書館は次第に無料貸本屋の様相を呈するようになった。実に情けないことである。

 出版の衰退は、本質的には、不景気よりもこういう構造の中に胚胎されていたとみる方がよろしいのである。」

 ここでも無料貸本屋というレッテルの説明はなく、公立図書館が「無料貸本屋の様相を呈するようになった」から出版が衰退したと断定しています。理屈も何もありませんので、《風が吹けば桶屋がもうかる》を想い起こさせる言い方ですね。

 「歴史的事実を書誌学的に検定したところでは、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」と断言することが可能である。つまり、付和雷同的に読んではみたけれど、それっきりで、再読三読などするものではない。」

 林望氏は、図書館からベストセラーを借りて読む人を「本当の読書家ではない」とけなします。ついで、利用者の予約待ち日数を短くしようとする図書館を無料貸本屋と非難します。あげくのはてに、あやしげな「書誌学的な検定」を持ち出して「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」と決めつけ、ベストセラーを書いた著者と、それを刊行した出版社をあざけります。

 

ベストセラーとなった本は滅びやすいか

 津野海太郎氏は1997(平成9)年にベストセラーとなった渡辺淳一失楽園』(上下、講談社、1997年)が公立図書館での予約待ち人数が15人だという館内表示を見て、図書館を無料貸本屋だと思ったということでした。林望氏は公立図書館からベストセラーを借りて読む人を真の読書家ではないと見下し、ベストセラーの書物ほど滅びやすいと断言しました。

 本のばあい、ふつうは限られた期間によく売れた著作をベストセラーと言います。ただ、よく売れた期間と部数、その集計方法などが決められているわけではありません。たとえば、明治以降のベストセラーについて縦横に論じた澤村修治氏の『ベストセラー全史』(近代篇・現代篇の2冊)にある時代ごとの「歴代ベストセラーリスト」と、日本著者販促センターのウェブサイトにある明治以降の年度別ベストセラーリストとは、内容に違いがあります。(4)

 両者に共通して挙げられているデータをもとに、国立国会図書館の所蔵資料検索システム(NDL Online)と神奈川県の公共図書館等横断検索で調べてみた結果、「書誌学的に検討」したわけではなかったせいか、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」とは言えないことがわかりました。調査は、「書物が滅びる」という意味不明の言葉を「書物が発行されなくなる」または「書物が読まれなくなる/使われなくなる」と広く解釈し、明治・大正期のベストセラーが1945(昭和20)年から2023(令和5)年までに新たに発行されたか否かを調べたものです。その結果は次のとおりです。なお、外国人の著書の翻訳ものは無視しています。

 ①明治・大正期のベストセラーの大半が、昭和から令和にかけても再刊・復刊されています。出版のかたちは単行本、個人の全集や作品集、日本文学全集のたぐいへの収録、文庫化などさまざまです。加えて、現代語訳の出版、朗読によるオーディオブック出版、拡大文字による出版、視覚障碍者のためのDAISY(5)、漫画や紙芝居にしての出版、参考図書(調べものに使う図書)の改訂版発行など、時代の移り変わりを感じさせるかたちでの再生産があります。

 1945(昭和20)年以降に出版されなかったのは、村上浪六『当世五人男』『八軒長屋』、小栗風葉金色夜叉終篇』、三宅雄二郎(雪嶺)『世の中』、そのほか数点にすぎません。

 このように、ベストセラーの大多数が繰り返し出版されてきたということは、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」とは言えないひとつの証拠です。そして滅びへの歯止めとしての出版が国文学研究資料館国立国会図書館などの公的機関よりも、むしろ利潤を追求しなければならない民間の出版社によって担われているという事実は、50年前、100年前のベストセラーを読む読者がそれなりに存在しているあかしであり、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」とは言えないもうひとつの論拠だと言ってもよいでしょう。

 ②文豪と称された森鷗外、好きな作家のアンケートでしばしば上位にランクインする芥川龍之介、昭和以降に活躍したノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎などは、意外にも今回調べたベストセラーのリストに登場していません。

 明治・大正期に著作が1点だけベストセラーになった代表的な人は次のとおりです。

 石川啄木泉鏡花河上肇幸田露伴坪内逍遥中江兆民西田幾多郎中里介山二葉亭四迷

 一方、ベストセラーが4点以上ある著者には次のような人がいます。

有島武郎島崎藤村谷崎潤一郎徳富蘆花(健次郎)、夏目漱石福沢諭吉

 以上は、ベストセラーの有無やベストセラーになった点数とは無関係に、これからも読み継がれていくと思われる著者たちです。

 ③これらの事実から、次のように結論づけることができるでしょう。

 消滅せずにロングセラーとして読み継がれる著作は、ベストセラーになる、ならないにかかわらず、著作の内容の魅力や有用性、出版関係者と読者がもつ真贋をみきわめる力によって、生きながらえるということです。

 

 最後に、長く出版界で活躍された宮田昇ペンネーム内田庶=うちだ・ちかし)氏の公立図書館擁護論をご紹介しておきます。

 「図書館予算が削られていく状況を救うのは、公立無料貸本屋として非難を浴びようと、著作者や出版社側からの抵抗があろうと、図書館利用者による貸出しが増えることである。その市民の要求が自治体を動かし、図書館の充実が図られる。それは図書館の本来の役割として、著作者、出版社に望まれることではないだろうか。」

 「書籍の売上げ低下は、図書館のせいにしてはならない。図書館は「公立無料貸本屋」であってよいばかりか、いま、いっそうの充実を求められているインフラでもある。」

 「図書館は十分、読書の普及、著作のパブリシティの点で出版社、著作者の利益にかなっていると思う。その点を出版社も著作者も、見忘れてはならない。」(6)

 

参照文献・注

(1)ヨーロッパ各国の国民1人当り年間貸出冊数はLibEcon2000のウェブサイトにより、それ以外は各国の図書館協会のウェブサイトによった。

(2)三木清著『読書と人生』(新潮文庫、1979年)

(3)林望著『役に立たない読書』(集英社インターナショナル、2017年)

(4)澤村修治著『ベストセラー全史』(近代篇・現代篇、筑摩書房、2019年)には、時代別・年別の「歴代ベストセラーリスト」があり、解説や索引も充実している。

 日本著者販促センターというウェブサイト(有限会社eパートナー運営)に「ベストセラー 年度別」というリストがあり、そこには1866(慶応2)年から2022(令和4)年までの150年以上のベストセラーがリストアップされている。

(5)DAISY(デイジー)とは、Digital Accessible Information Systemの略で、おもに視覚障碍者が利用できる録音資料作成システムであると同時に、そのシステムでつくられた録音資料をも指す。

(6)宮田昇著『図書館に通う』(みすず書房、2013年)