図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

本の販売不振を図書館貸出のせいだとする思い込み

出版界と図書館界の20年論争中に、本の売行きが落ちたのは公立図書館の貸出数が増えたせいだと主張する人たちがいました。いくつか例を挙げてみましょう。 例1: 2000年4月、『新文化』という出版業界紙に、能勢仁(のせ・まさし)氏による「増加一途の図書…

社長・団体・作家の支離滅裂な非難

人文・社会系の学術書を出版している未来社社長の西谷能英(にしたに・よしひで)氏は、同社のPR誌『未来』28号(1999.7)で次のように主張しました。 「どんな本であろうと、市民に要望の多い本を揃えるのは公共図書館の役目であると思っている図書館司書は…

ショーウィンドーの役割を果たす図書館

図書館員や元図書館員の皆さんは、職場での経験から「図書館はショーウィンドーの役割を果たしている」と主張しています。著作者や出版社の皆さんの中にもそれぞれの立場から同じように主張する人がいます。たとえば作家の佐藤亜紀氏は、ショーウィンドーと…

無料貸本屋という空疎なレッテル

遅れていた貸出サービス 1965(昭和40)年10月、東京都日野市に小さな事務室と1台の移動図書館車、蔵書はわずか3,000冊、サービスは貸出だけという、ないないづくしの市立図書館が誕生しました。ところが、この図書館は利用者の急増と貸出サービスの目覚まし…

すれ違いの論争

きっかけは出版物の販売不振 太平洋戦争終結後、順調に復活・成長してきた日本の出版業界は、1996(平成8)年をピークとして本と雑誌の売上げ(販売額)を減らし始めました。不況知らずだったはずの出版業界がその原因探しをする中で、一部の人たちが「公立…

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Leibniz, Gottfried Wilhelm, 1646-1716)

ライプニッツは、17世紀の後半から18世紀の初めにかけて、哲学と数学の分野で歴史にのこる業績をあげた人です。それだけでなく、彼は、とりたててくれた領主の命による仕事でも、みずから関心をよせて努力した仕事でも、活動の幅がとても広い人でした。その…

公立図書館の団体貸出(2)学校への団体貸出

公立図書館は自治体内の学校をさまざまに支援しています。そのひとつが資料面の支援で、団体貸出による支援です。ただし、市区町村立図書館のウェブサイトを調べますと、かなりの図書館が学校への団体貸出を「利用案内」の中に含めておらず、「学校支援」「…

公立図書館の団体貸出(1)地域のグループや施設への貸出

団体貸出とは 公立図書館が、地域の学校、自治会などの組織、福祉施設や職場、グループや団体などに資料を貸し出すことを、団体貸出といいます。団体の実態は、数人のグループから児童・生徒が数百人の学校まで、さまざまです。ですから、このばあいの《団体…

公立図書館の返却遅れ(延滞)を減らす試み(外国のばあい)

今回は、資料の返却遅れ(延滞)を減らすための努力の外国版です。 調査対象は23か国の100市の図書館、そのほとんどがヨーロッパ、アジア、北アメリカにあり、内訳は次のとおりです。 17市=アメリカ 7市=ドイツ 6市=イギリス、ニュージーランド 5市=オー…

公立図書館の返却遅れ(延滞)を減らす試み(日本のばあい)

図書館の利用者が借りた資料を返却期限までに返さなかったり、督促をされても返さなかったりすると、図書館はルールを守らない人のために余分の仕事をしなければなりません。とくに返却遅れの資料をほかの人が予約しているばあいは、図書館だけでなく予約者…

図書館の本を盗む人たち

図書館資料にかんする不法行為の全国的・長期的な統計はありませんので、どのような不法行為が最も多いかはわかりません。とはいえ、ある国が特定の時期に行った統計や特定の図書館の短期間の統計なら存在します。それらによって判明することは、どこの国で…

にぎやかな図書館・騒がしい図書館

一般に音や声は、デリケートな問題を含んでいます。 読みたくない文字は読まなければすみ、見たくない物や風景は見なければすみます。ところが音声は、好き嫌いにかかわらず耳に飛び込んできます。耳にとびこんでくる音はさまざまです。建築現場での重機や金…

ジョン・エドガー・フーヴァー(Hoover, John Edgar, 1895-1972)

ジョン・エドガー・フーヴァーは、アメリカ合衆国のFBI(Federal Bureau of Investigation=連邦捜査局)の初代長官だった人です。FBIやその捜査官については、映画や小説などでよく取り上げられてきましたので、ご存知の方が多いのではないかと思います。 F…

阿倍仲麻呂(あべ・の・なかまろ 698?-770)

2004年4月に中国の西安市(かつての長安)でひとりの日本人の墓誌が発見され、それが「公、姓は井、字は真成、国は日本と号す」で始まるため、埋葬されたのが井真成(せい・しんせい)という遣唐留学生ではないかということで、日中の関係者の関心を集めまし…

白居易(はく・きょい 772-846)と唐代の文人たち

白居易は中唐の詩人で、字は楽天です。詩仙と称された李白が亡くなって10年後、詩聖と称された杜甫が亡くなって2年後の772年、鄭州(ていしゅう)新鄭県(今の河南省新鄭市)の小さな町で生まれました。祖父も父も科挙に合格しましたけれど、中央の官僚への…

イマヌエル・カント(Kant, Immanuel, 1724-1804)

イマヌエル・カントは18世紀の哲学者で、その生地はプロイセン王国のケーニヒスベルク。この都市にはバルト海に面する港があり、人口は5万数千人、ドイツ人以外にもいろいろな民族が定住していました。 父が馬具職人、母が馬具職人の娘で、両親はイマヌエル…

前川恒雄著述リスト

前川恒雄著述リスト このリストでは、前川恒雄さんの書いたものと述べたものをできるだけ網羅的に列挙しましたが、次の資料は省略しています。①新聞、②点字資料、③視聴覚資料(録音資料)。 項目の配列 図書、雑誌、パンフレットなどの刊行年月の昇順。 表記…

前川恒雄さんの仕事(5)甲南大学教授と大阪商業大学図書館相談役

◎1991(平成3)年3月に滋賀県立図書館を定年退職した恒雄さんは、翌4月から甲南大学文学部の教授になりました。司書課程の担当です。前年の秋に甲南大学の教授や旧知の森耕一氏など3人が会いに来て勧誘されたときは、特任教授という条件で承諾していました…

前川恒雄さんの仕事(4の3)図書館県・滋賀の誕生

◎1980年代の後半からでしょうか、滋賀県は「図書館県」「図書館先進県」「図書館立県」「図書館王国」「図書館見学のメッカ」などと言われ始めました。そして滋賀県の公共図書館協議会も、2019年4月につくったポスターの中で「としょかん県 しが」と自称して…

前川恒雄さんの仕事(4の2)滋賀県立図書館の再生(2)

◎恒雄さんは1980(昭和55)年7月1日に滋賀県立図書館長に就任しました。あと数か月で50歳、図書館関係のほかに市役所の中枢でも経験と実績を積み、さまざまな機会に新たな知友を得ることができました。日野市の元市長だった古谷太郎氏に別れの挨拶に行きます…

前川恒雄さんの仕事(4の1)滋賀県立図書館の再生(1)

◎日野市の二つ目の部長職にあった1980(昭和55)年、恒雄さんが49歳のとき、滋賀県立図書館長になってほしいという話が舞い込んできました。最初に恒雄さんにアプローチした教育委員会の上原恵美文化振興課長によりますと、 「私が昭和54年に課長の辞令をも…

前川恒雄さんの仕事(3の5)日野市の助役と部長

◎1973(昭和48)年4月に中央館を開館した日野市立図書館は、あいかわらず順調な伸びを示していた貸出にくわえて、それまで等閑に付してきたサービスを少しずつ始めていました。 ところが、その3か月後の市長選挙で、図書館に理解のあった古谷栄市長が落選し…

前川恒雄さんの仕事(3の4)『市民の図書館』への貢献

◎15年ほど前になりますか、ある大学で非常勤講師をしている現職の図書館員をたずねたことがありました。授業を終えたその人が持っていた数冊の本の中の1冊が『市民の図書館』で、驚いたのは、使いこんだ証しを示すその本の傷と汚れでした。 『市民の図書館』…

前川恒雄さんの仕事(3の3)東京都の公立図書館の振興

◎1967(昭和42)年4月、美濃部亮吉(みのべ・りょうきち)氏が東京都知事選挙で勝利し、知事に就任しました。その後、氏は3期12年にわたって知事職をつとめますが、初めは「敵陣に落下傘で降り立つ」覚悟だったということです。と言いますのは、東京都で初め…

前川恒雄さんの仕事(3の2の2)日野市立図書館の新機軸

日野市立図書館の出現が日本の図書館界を驚かせたのは、図書館という施設がなかったのに、当時の水準をはるかに超える資料費を得て、移動図書館1台による貸出だけのサービスによって、だれも予想しなかった利用者数と貸出冊数の多さを実現したからでした。し…

前川恒雄さんの仕事(3の2の1)日野市立図書館の躍進

◎日野市立図書館は、1965(昭和40)年9月21日、移動図書館ひまわり号で貸出サービスを始めました。図書館と称する建物がなく、事務所(市役所の七生支所2階)と移動図書館車に蔵書が合わせて約3,000冊、職員は6人、サービスは本の貸出だけ、というささやか…

前川恒雄さんの仕事(3の1)日野市立図書館の開館まで

◎日本図書館協会の有山崧(ありやま・たかし)事務局長が出身地の東京都日野市で社会教育委員会議長を委嘱されたのは、1964(昭和39)年の秋のことでした。氏はさっそく社会教育委員会の中に、公民館と図書館の設置にかんする特別委員会を設けます。 特別委…

前川恒雄さんの仕事(2の3)イギリスでの研修

◎日本図書館協会の有山事務局長は、1962(昭和37)年秋にヨーロッパへ出張した際、イギリスの図書館協会およびブリティッシュ・カウンシル(英国文化振興会)と交渉し、日本の若い図書館員を留学させることで大まかな合意をとりつけていました。これが具体化…

前川恒雄さんの仕事(2の2)8人目の侍(中小公共図書館運営基準委員会)

◎敗戦後15年が経っても、日本の公共図書館はまだ低迷したままでした。図書館を設置していた市町村は日本全体のおよそ20パーセント、貸出登録者は全国の人口の1パーセント未満、国民1人当りの年間貸出冊数は0.1冊にも届いていなかったのです。 1950年代から60…

前川恒雄さんの仕事(2の1)日本図書館協会での日常業務

◎七尾市立図書館時代は、気持ちのよい職場、地元の人たちとの相性のよさ、義母との同居から解放された妻と可愛い盛りの長男、家庭教師や海員学校の非常勤講師などによる余分の収入など、恒雄さんにとって、キャリアの中で《最も》と言ってもよいほど、こころ…