図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

アンドレ・アリス・ノートン(Norton, Andre Alice, 1912-2005)

 アンドレノートンは1912年生れのアメリカのSF作家、ファンタジー作家です。アンドレという名前はふつう男性名ですけれど、この作家は女性です。と言いますのは、生まれたときの名前アリス・メアリー・ノートンを、22歳のとき(1934年)に法的にアンドレ・アリス・ノートンと改名したからです。

 異性の名前をペンネームにする理由がさまざまある中で、アンドレノートンのばあいは出版社に勧められたからでした。22歳のとき、ヨーロッパの架空の王国についての小説 “The Prince Commands” を出版する際に、エージェントから「読者は少年だし、著者の名前が男性名であれば本がたくさん売れる」と言われ、彼女はその提案を素直に受け容れたのでした。みずからの思惑や発想ではなかったのですね。

 

 彼女は5大湖のひとつエリー湖の南岸に位置するクリーヴランドオハイオ州)で生まれ育ちました。当時のクリーヴランドは大きな港をもつ工業都市として栄えていました。

 彼女は両親と17歳年上の姉との4人で暮らしていましたが、いつもプライバシーを大切にしていましたので、家庭や家族のことをエッセイなどに書くことはなく、多くのインタビューでの返答では、母親以外の家族についてほとんど触れていません。年の離れた姉は妹が学校へ通い始めるころには結婚しており、敷物商だった父親については、下の娘との接点が少なかったのかも知れないなどと、もっともらしい理由を推測できるだけです。

それに対して母親のバーサは、アンドレへのインタビューの回答でときどき言及されています。たとえば、

「母は大の読書好きで、とてもたくさんの詩を知っていて、すてきなお話をしてくれました。なので、私は学校へ入るずっと前から大きな声で読むことができました。」(1)

また、

 「金曜日の夜、家族はそろって出かけて夕食をとり、図書館へ行ったのですが、そこが遠かったので車で行かねばなりませんでした。図書館へ行って本を借りかえたのです。」(2)

 お気に入りはH. G. ウェルズやジュール・ヴェルヌなどのSFで、ほかにも冒険小説が好きでした。

 

 彼女はクリーヴランドにあった公立のコリンウッド高校で作文の指導をも受け、『コリンウッド・スポットライト』という学校新聞の文芸面の編集を任されて、みずからも作品を書いて掲載しました。

 このように幼いころから文学に親しんできたアンドレでしたけれど、将来は歴史の先生になりたいと思い、進学先として選んだのはウェスタン・リザーヴ大学のフロラ・ストーン・マザー・カレッジでした。ただし、通ったのは1930年秋からの1セメスターだけでした。不況のせいで、働かなければならなくなったからです。

 

 1932年、彼女はクリーヴランド公共図書館に職を得て、児童サービスの部署で働き始めます。同時に、クリーヴランド・カレッジ(ウェスタン・リザーヴ大学)の社会人向け夜間コースで、ジャーナリズムと作文技術を学びます。教師の夢が執筆活動の夢に変わったのでしょうね。

司書の資格はもたなかったものの、晩年のインタビューで回想しているように、彼女は職場で楽しく過ごすことができました。回想の要旨は次のとおりです。

 「私は子どもたちを相手にする図書館の仕事が好きでした。小さな女の子が入ってくると話しかけて、最近読んだ本を聞き出し、その子の気に入りそうな他の本を教えてあげたものです。それは私にとってやりがいのあることでした。」(2)

 このインタビューの中で、彼女はクリーヴランド公共図書館に勤めたのは22年間(別のインタビューでは20年間)だったと語っていますけれど、その間(1940~41年)に議会図書館での仕事と「ミステリーハウス」という書店の経営をしています。議会図書館の仕事は第2次世界大戦の勃発によって中止され、書店の経営は失敗に終わりました。

 

 このように、約20年にわたって図書館で働きながら、彼女はサイエンス・フィクションファンタジー小説を中心に執筆していました。図書館を離職したのは、医院を渡り歩いても原因の分からなかった、めまいなどが理由でした。それ以降、彼女はできるだけ動きの少ない仕事をせざるを得なくなります。

 静かな暮らしによって徐々に健康を取り戻した彼女は、ノウム・プレスという出版社の原稿査読(出版に値するか否かを判断する仕事)を10年近く引き受けながら、自分の創作に精を出せるようになってゆきます。そして、1952年に出版した“Star Man’s Son 2250 A. D.”という小説の成功が著者アンドレノートンを有名にしましたのに、彼女はまだ専業作家に踏み切ろうとはしません。そして、年齢が40代後半になった1958年に、ようやく専業作家アンドレノートンが誕生します。

 

 結婚をしたことがなかった彼女の後半生は、フロリダ州のウィンター・パークという町で、いつも原稿を読んで校正・批評をしてくれた母親、それに数匹の猫と一緒でした。

 地道に創作活動をつづけていたアンドレノートンは、1963年に『ウィッチ・ワールド』という小説を刊行し、その成功によって物語はシリーズ化されます。人気に応えて、このシリーズはほぼ40年にわたって書きつづけられました(さすがに80年代には共著者の力を借りるようになりましたけれど)。その結果、彼女はアメリカのSFやファンタジー小説などのジャンルにかんする賞をいくつも受賞し、この分野の「レジェンド」となったのでした。

 彼女の創作活動は70年の長期にわたり、その著書の数は優に100点を超えています。日本にも彼女に匹敵する女流作家がいますよね。数々の文学関係の賞を受賞し、100歳近くになっても執筆をつづけ、なお衆望を集めている瀬戸内寂聴氏です。

アンドレノートンが93歳で亡くなった2005年、アメリカSFファンタジー作家協会(SFWA)は、彼女の功績を記念してアンドレノートン賞を創設しました。

 

 ちなみに、彼女がおよそ20年間勤めたクリーヴランド公共図書館は、市の人口約38万人の2018年現在、次のような概況です。(3)

 館数=28館(中央館を含む)

 資料=図書だけで320万冊。

 財政=収入・支出ともに年間約7930万ドル(およそ85億円)。

 資料の年間増加=22万点。

 貸出=年に500万点以上(住民1人当り13.2点)。

 参考質問への回答=年に100万件近く。

 そのほか、週に5日、各館で多彩なイベントや教室などが催されていて、ほとんどの項目にびっくりマークをつけたくなります。

 

参照・引用文献

(1)An interview with Andre Norton / interviewed by Paul Walker (www.andre-norton-books.com/andre-s-life/interviews-with-andre) (accessed 20191011)

(2)The Andre Norton Oral History Project / interviewed by Sharon Faye Wilbur (ウェブアドレスとアクセス日は(1)と同じ)

(3)The Lamp of Knowledge: 2018 Report to the Community / by Cleveland Public Library (accessed 20191010)