図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

河上肇(かわかみ・はじめ 1879-1946)

河上肇マルクス経済学者で、山口県の岩国に生まれ、山口高等学校から東京帝国大学法科大学を卒業しました。卒業後、東京帝国大学農科大学講師、読売新聞社記者、京都帝国大学の講師から教授などを歴任し、その間にかずかずの著作を発表しました。

1928年に京都帝国大学の教授職を辞し、1932年に入党した日本共産党の考えに共鳴して政治活動に従事していたところ、翌年に治安維持法違反の罪で懲役5年の判決を受け、転向しなかったために193310月から19376月まで獄中で過ごさざるをえませんでした。

一般の人でも読みやすい代表的な著書には、『貧乏物語』と『自叙伝』があります。

 

『自叙伝』第4巻(岩波文庫1997年)によれば、彼は監獄内で図書室勤務を経験しました。その図書室には看守がおらず、これといった仕事がなく、重複の多い13,000冊ほどの本の中から好きなものを読んで過ごせたので、囚人としては大名のような勤務だったと書いています。なお、自叙伝では自分のことを三人称で語っています。

 「仮釈放の夢 九」のタイトルは「図書室勤務」で、以降、第4巻の終りまでしばしば図書室のことが出てきます。少し引用してみましょう。{ }内は私の補足です。

 

 「毎日弘蔵{河上肇}の{独房から}出て行く図書室なるものが、当時の彼の眼には、同じ監獄の中にもこんな楽な、こんな小綺麗な所があるのかと驚かれるほどのものであった。事実また、懲役人の働く所でこんないい場所は、他には一つも無かったのである。」

 

 「この室{図書室}には受刑者看読用の図書約一万三千冊が書架に入れて陳列してある。(同じ書物が物によっては十部二十部三十部というように重複しており、明治天皇御製集の如きは同じものが二百何十部備付けてあるから、書物の種類は冊数よりも遥に少くなっている。)時折やって来る参観人は、恐ろしく沢山の書物があるといって驚くのだが、かつて大学にいて豊富な図書の蒐集に見慣れて来た弘蔵にとっては、それよりもこの室が監獄らしくないのが最も意外だった。」

 

 「室へ入って直ぐの空地には、図書の出し入れをするために、非常に大きな卓が二つ並べてあり、その側には四角な鉄火鉢に炭火が真赤に燃えていて、その上にかけられた大きな鉄瓶からは、惜気もなく盛んに湯気が立ち上ぼっている。炭火というものを{監獄内で}一度も見たことなしに冬を通って来た弘蔵の眼に、如何にそれが贅沢に映じたことか!」

 

 「弘蔵がここへ出て来た時、そこで働いている雑役夫は三人であったが、彼らは仕事の暇には火鉢の側に寄って来て、手をあぶったり茶を飲んだりしている。独居房にいる者は、等級が進んで二級以上にならなければ、食事の時も白湯を給されるのみで、一年中茶というものを口にする機会は一度もない。{一文略}ところがここでは急須に入れた黄ろい茶が勝手に飲めるのである。それは勿論犯則だが、いつの間にか黙認された形になっていた。この図書室には監視の責任を有った看守が置かれていないので、それは一種の自治領となっていたのである。」

 「彼は一夜にして河原乞食から大名に出世した」気分であった。{なぜなら、図書室では決まった作業が何一つなく、朝から晩まで一日中自分の好きな本を読んで暮らしていけたから。}

 

 {病気で一時は獄舎内で入院していたが、退院後、ふたたび図書室勤務となり、}「彼はとうとう出獄の日に至るまで、きまった作業を命ぜられていない特殊の懲役人たる境遇を維持することが出来た。」

 「図書室には思想犯人看読用の特別貸与本というものが備付けてあった。」{これを貸与された者は、それに添付されている用紙に読後の感想を書く義務が負わされていた。しかし、誰もそれをチェックしてはいなかった。}

 

 好きな本を読みながらご飯をタダで食べられる生活なんて、塀の外でも滅多にありません。図書室勤務は河上肇にとってきっと極楽だったのでしょうね。