図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

よい図書館ほどよく本が動く

 三崎亜記氏の『廃墟建築士』(集英社2009)に「図書館」という短編が含まれています。

 これは、図書館蔵書の調教を請け負う会社の若い女性社員が主人公のファンタジーで、彼女が調教した本は徐々に動くようになり、浮かび上がり、空中をただよい、ついには、数万冊の本が調教師の意のままに波のように動くようになります。

 

 2003年に直木賞を受賞した村上由佳氏の『ダンス・ウィズ・ドラゴン』(幻冬舎2012)には、ふしぎな図書館の話が書かれています。井の頭公園内にあるこの図書館は、いつも夕方の5時半から翌朝の9時半まで夜間開館しています。また、部屋の配置や本の並びが刻一刻と変わり、まるで図書館は「巨大な万華鏡のようなもの」なのに、利用者は特定の本のありかを感覚で分かるため、困ることがほとんどありません。

 

 マシュー・スケルトンの『エンデュミオン・スプリング』(新潮社、2006)にも、図書館で本が勝手に動く話がでてきます。

 主人公ブレーク・ウィンターズという12歳の少年は、図書館で一冊の謎の本とめぐりあいます。ある日、母が聖ジェローム学寮の図書館長と館長室で話をしているあいだに、ブレークは書架の本に触っていました。指で一冊ずつ背表紙をはじいていくと、ある本が指を刺します。その本の表紙にはエンデュミオン・スプリングと活字が押し付けられていましたが、それはこの本をつくったと思われるグーテンベルクの徒弟の名前でした。その本には何も書かれておらず、ひとりでに開いたページには謎めいた言葉がありました。

 ある日、少年がその「空白の本」をナップザックに入れてボドリアン図書館へ忍び込むと、書庫内でナップザックの中の「空白の本」が動き始め、それに呼応して書架の本も動き始めます。

 

 以上はフィクションの世界での「動く本」の例ですが、以下は現実の話です。

 

 ふつう、図書館では、図書館員や利用者の手によって本が動かされます。

図書館員が本を動かすのには、さまざまな理由があります。

例えば、貸出の手続きをするとき、返却された本を書架にもどすとき、新たに入った本を書架のしかるべき場所に挿入するとき、本の配列の乱れを直すとき、利用されなくなった本を書庫に移すとき、他の図書館からの貸出依頼に応えるために書架から抜き出すとき、利用者の調べ物のお手伝いをするために館員みずからが本を手にするとき、などです。

 

 利用者が図書館内の本を動かすのにも、さまざまな理由があります。

 たとえば、本の内容を書架の前で確かめるとき、本の一部を書き写したりコピーするとき、本や雑誌を椅子に坐って読むとき、本を使って何かを調べるとき、借り出したり返したりするとき、などです。

 

 このように本や雑誌がよく動く図書館は、それらがよく使われている図書館だということを意味します。言い換えれば、「一般に、よい図書館ほどよく本が動く」のです。

 

 図書館には数万から数十万、時には数百万の本や雑誌、その他の資料があります。そしてそれらの一部が毎日のように館内のA地点からB地点へ、館内から館外へ、館外から館内へと移動しています。そこで大切になるのが、個々の本があるべき位置にあることと、貸出中かどうかが分かることです。そのため、図書館は、個々の本が迷子にならないように、地味だけれども不可欠な作業をこつこつと繰り返します。

 逆に、本が全く動かない図書館やほとんど動かない図書館を想像してみてください。それは、本が増えも減りもしない図書館、誰も本を使わない図書館ですね。