図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

図書館の本を読み尽くそうとする人たち

 広い世間には図書館の本を読み尽くそうとした人たちがいましたし、今でもいるようです。

 まず菊池寛(きくち・かん)の「図書館の追憶」と題する短い回想の一部をご紹介しましょう。

「私の中学時代、もっとも有がたい事は高松に図書館が出来たことである。これは実に嬉しいことである。多分明治三九年の二月の開館だったと思ふから、私が三年生の二月である。私は四年生五年生と図書館に通ふことが出来たのである。この図書館の一ヶ月券の第一号は私が買ったのであるが、そのとき月五銭だった。丁度中学と私の家との途中に在ったのだから、私は日として図書館に通はないことはなかった。蔵書は二万余冊だったが、その中で少しでも興味のあるものはみんな借りたと云ってもよかった。私は半生を学校へ通ふよりはもっと熱心に図書館へ通った男であるが、その最初の習慣は郷里の図書館から始まったわけである。」

彼はよほど図書館が好きだったようで、中学を卒業して東京へ着いた翌日、真っ先に上野図書館へ行き、「私は東京の何物にも感心しなかったが、図書館にだけは、十分驚きまた十分満足し、これさへあればと思った」とつづけて書いています。

 

菊池寛と同じ時代の作家である直木三十五(なおき・さんじゅうご)も、似たようなことを『死までを語る』で書き残しています。

彼が大阪の中之島にあった市立図書館へ行くときは、「図書館へ行かんとあかん」のひとことで、父親がこれまた「そうか」のひとことで許してくれたのでした。「二銭で、一時に、三冊貸してくれる。学校から戻ると、中之島まで――これが又、相当の道のりで、恐らく、今の、バス、電車を利用する学生にはわかるまいが、雨が降り出したり、つい遅くなって、夜に入ったりしては、相当つらいものであった」けれども、「ある一つのカードの函などは、ことごとく読んでしまった。歴史、数学、文学に亙って、読んだの、読まぬの、貸本屋以来の渇望で、めちゃめちゃに読んだ」ということです。

 

 昭和の国民的作家だった司馬遼太郎は、「足跡:自伝的断章集成」の中で、中学3年生のころから大阪市立図書館へ通い始め、そこの本をほとんどすべて読んだと述懐しています。

 「学校の帰りは上町台地を南に下り、松屋町筋を横切って、日本橋三丁目の元の松坂屋裏にあった図書館まで歩きました。この図書館というのは、そのころ各区に設けられていたもので、小さな木造の山小屋ふうの建物でした。たいてい夜の八時か九時ごろまでたてこもって、片っぱしから本を読んだものです。この図書館通いは大阪外語を出るまで続いたのですが、しまいには読む本がなくなってしまい、魚釣りの本まで読んでしまいました。」

 

 作家の井上ひさしは、『本の運命』という著書のなかで図書館にまつわる面白い話をいくつも書いています。たとえば、子どものころ住んでいた町の図書館には蔵書が96冊しかなかったとか、高校生時代に住んでいた児童養護施設「天使園」の図書館の本を売りとばしたとか、ほかにも「ほんとうですか?」と尋ねたくなるような話がありますが、ここは「図書館の本を読みつくす」がテーマでしたね。

 彼は仙台一中という進学校に通うことになりますが、そこの新しい図書館には校長先生が蔵書5,000冊と自慢するだけの本がありました。興奮したひさし少年は友だちに「3年間のうちに図書館の本を全部読んでやろうじゃないか」と宣言しましたが、残念ながら実現しなかったということです。

 

 私は新聞を読むとき、ふだんは投書欄を無視することがほとんどありません。少なくとも見出しを見て、興味のもてそうな投書は本文を読むのが習慣になっています。そこで見つけた例をひとつご紹介します。

 岡山県11歳の少女である坪内咲穂さんの投書のタイトルは「本の国」でした(『読売新聞』2014.9.25朝刊)。内容は、彼女は本が大好きで、小学校の図書室の本も、家にある本も、ほぼすべて読んでしまったので、本の国へ行って読んだことのない本を読みたい、というものです。

 

 登場人物が図書館の本を読み尽くそうとするフィクションもあります。

 

イギリスの作家ヴァージニア・ウルフの『月曜日か火曜日』という短編集に、図書館の本を読みつくすことを条件に父親の遺産を受け取ることができる女性の挿話が含まれています。

その娘は、父が指定したロンドン図書館の本を最上階のイギリス文学から読み進めますが、「本の大部分が最悪」だと気づいて挫折してしまいます。

 

 ノーベル文学賞の受賞を辞退したフランスの作家・哲学者ジャン=ポール・サルトルの傑作とされる『嘔吐』では、アントワーヌ・ロカンタンという歴史家が本を書くために市立図書館通いをします。その図書館には、彼がひそかに「独学者」と名づけた男も通っており、その奇妙な読書法がアントワーヌを驚かせます。少し長い引用になりますが、その一節は次のとおりです。

 「突然、彼が最近参照した書物の著者の名が、記憶に浮んだ。ランベール、ラングロワ、ラルバレトリエ、ラステックス、ラヴェルニュ。私は忽然と悟った。独学者の方法を発見したのだ。彼は書物をアルファベット順に読んでいる。

 私は感嘆ともいうべき気持で、彼を注視する。これほどに規模の大きな計画を、焦らず執拗に実現するには、いかなる意志を必要とするであろうか。七年前のある日(彼は七年前から勉強していると言った)、彼は意気揚々とこの部屋に入ってきた。そして四方の壁をぎっしり埋めている数限りない書物を眺め廻して、ほとんどラスチニャックのように、「さあこれから、人類の全知識との勝負だ」と言ったにちがいない。それから彼は、最右端の第一段の本棚から、第一番目の書物を取ってくる。そして尊敬と畏怖の感情とともに確固不動の意志をもって、その第一頁を開く。いま彼はLまできている。JのつぎがKであり、KのつぎがLである。彼は乱暴にも、鞘翅類{しょうしるい}に関する研究から、量子論に関する研究に移り、帖木児{チムール}に関する著作から進化論に反対するカトリック教徒のパンフレットに移る。一瞬とても彼はとどまったりはしない。彼はすべてを読んだ。」(サルトル『嘔吐』人文書院1981年改訂版)

 

倉橋由美子氏の「ある老人の図書館」(『老人残酷物語』所収)は、すべての分野の本を読もうとする老人の話です。

この図書館は、新しい本が入らなくなって入館者が減っていきましたが、「ただ一人だけ毎日閲覧にやってくる老人がいました。図書館は、この老人のおかげで、閲覧者ゼロという記録の樹立を免れていました。」

彼は司書の問いに答えて言います。

「最終的にはすべての分野の本を読むつもりです。で、今のところは入り口に近いところから順番に読んでいるのですが、手に取って撫でて、目次を眺めて、何ページかを拾い読みしてみれば、読むべき本は見当がつきます。そんな本だけを読んで次に進みます。一冊残らず読んでいるわけではありません。」