図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

前川恒雄さんの仕事(4の1)滋賀県立図書館の再生(1)

 日野市の二つ目の部長職にあった1980(昭和55)年、恒雄さんが49歳のとき、滋賀県立図書館長になってほしいという話が舞い込んできました。最初に恒雄さんにアプローチした教育委員会の上原恵美文化振興課長によりますと、

  「私が昭和54年に課長の辞令をもらったとたんに、武村知事から「館長をさがせ」と命令された。図書館関係者を誰も知らず、図書館とは何かも知らないから、それは無理だった。

 どうしようかと思っていた時に、森耕一先生が「もしかしたら、前川さんは可能かもしれんなあ」と、チラッと耳打ちしてくださって、「本当ですか」と食らいついていった」ということです。(1)

 けれども、恒雄さんはすぐには決断できません。このブログの「日野市の助役と部長」の最後に書きましたように、日野市の部長職を捨てて苦労をしに行くのはとてももったいないと思ったのがひとつ、それと、(恒雄さん自身は書いたり話したりしていませんけれど)滋賀県の本気度を確かめたかったのではないかと私は考えています。と言いますのは、首長が交代したり財政状況が悪化したりして自治体行政が急変することはあり得ることだからです。

 すると数週間後、滋賀県の人事課長が日野市を訪れて2度目の勧誘をします。

 「報告を聞いた知事が、そのような人にこそ来てほしいと言っています。いま県立図書館の建物がほぼできあがっていますので、ぜひ一度ごらんいただきたい」と、恒雄さんが図書館長になったばあいの10年間の給与と手当の一覧表を持参して説得しました。

 人を変え、なおかつ遠くまで足を運んでくれた県の熱意が伝わりましたので、恒雄さんは夫人を伴って建築中の図書館を見に行きました。内装工事まで進んでいた建物を確認しますと、使いにくそうで、無駄な空間が多く、規模の割にはそれほど資料を置けない感じの建物でした。それで、恒雄さんは「申し訳ありませんが」と図書館長への就任を断ってしまいます。

 けれども、滋賀県は簡単にあきらめません。何日かして副知事の前川尚美(なおよし)氏から日野市長の森田喜美男氏に電話があり、どうしても恒雄さんを迎えたいとのことで、副知事と市長が口論になってしましまいます。その話を耳にした恒雄さんは、滋賀県の熱意をありがたく思う一方、自分を手放そうとしなかった森田市長の厚情も身にしみてうれしく思ったのでした。

 滋賀県は、文字どおり三顧の礼を尽くしてくれました。かつて日本図書館協会の有山事務局長は、まだ20代の恒雄さんを口説くために石川県まで来てくれました。そのとき、ふんぎりのつかなかった恒雄さんは「ここで辞退するのは男じゃない」と、決断しました。滋賀県のばあいも「そこまでやってくださるなら行かないと男でないみたいな感じになって、それで{滋賀へ}来たんです。」(1)

 さいわい滋賀県には恒雄さんも特別委員として作成にかかわった『図書館振興に関する提言』があり、県が本気ならば、県立図書館だけでなく県内の市町村の図書館も、住民に喜ばれるものに育てることができるでしょう。加えて、恒雄さんは滋賀県の知事、副知事、教育委員会が本気だと信じることができたのでした。

 1974(昭和49)年11月の滋賀県知事選挙では、現職の野崎欣一郎知事に対して若干40歳の武村正義氏が八日市市長を辞任して挑み、激しい戦いの末に武村氏が当選しました。武村氏は12月に知事に就任したものの、1月には「県財政非常事態宣言」を発せざるをえず、翌年度の一般会計予算案を「超緊縮型」にしなければなりませんでした。

 破綻寸前だった県の財政をかろうじて立て直す一方で、武村知事が文化行政に力を入れられるようになったのは、1976(昭和51)年4月、教育委員会に文化振興課を設置したころからでした。

 滋賀県立図書館は1979(昭和54)年2月に新館の建設が始まり、それと並行して4月に教育委員会が設置した滋賀県図書館振興対策委員会が県内の図書館をどのように増やし育てるかを検討し始めます。この委員会は、ともに6名の特別委員(全員が県外の図書館関係者)と委員(おもに県内の図書館関係者と社会教育関係者)によって構成され、恒雄さんは特別委員に名を連ねていました。念のため特別委員の顔ぶれをご紹介しておきますと、次のとおりです。(2)

 伊藤昭治(神戸市立中央図書館奉仕係長)

 小田泰正(京都産業大学教授)

 栗原嘉一郎(筑波大学教授)

 佐藤政孝(東京都立中央図書館管理部長)

 前川恒雄(日野市企画財政部長)

 森耕一(京都大学教授)

 この滋賀県図書館振興対策委員会が1年をかけてまとめたのが、『図書館振興に関する提言』(1980年3月)でした。そこには、図書館の意義、のぞましい図書館のあり方、滋賀県の図書館の現状、市町村立図書館の振興策、などが72ページにわたって書かれています。

 そこから滋賀県の図書館の現状にかんする記述の要点を拾いますと、以下のとおりです。

 ①公立図書館のある市町村は、彦根・守山・大津の3市と水口(みなくち)町だけで、設置率は市区で43パーセント、町で2パーセント。全都道府県では市区・町ともに下から2番目の低さ。

 ②県立と市町村立の合計蔵書冊数は、38万3,000冊で全国の44位。人口100人当りの冊数は36冊で全国の43位。年間増加冊数は全国の30位。

 ③専任職員1人当りの人口は、21,900人で全国の36位。

 ④市町村立図書館の貸出登録率は2.6パーセント。人口100人当りの貸出冊数は36冊(1人当りにすれば0.36冊)。

 残念ながら、これらは《惨状》と言わざるを得ませんね。そこで、『提言』は、「市町村立図書館整備」と題する項目で対策を示します。大きな柱は2本で、県による市町村への助成金と、県立図書館による市町村立図書館への支援、です。

 助成金は、図書館建設と移動図書館車購入については費用の3分の1程度を、図書購入については費用の2分の1程度を助成することが望ましいとしました。

 県立図書館が行なうべき支援については、以下の事項が挙げられています。

 ①図書館のない市町村に対して移動図書館車でサービスをしながら、図書館設置の要望を掘り起こす努力をすること。

 ②市町村が図書館を設置しようとするときは、準備段階から協力をすること。

 ③市町村の行政担当者に対して図書館の意義や役割を説明するための研修会・講演会を開催すること。

 ④市町村立図書館や公民館図書室の職員のための研修を援助すること。

 この『提言』には、先行サンプルがありました。『図書館政策の課題と対策:東京都の公共図書館の振興施策』(1970年4月)です。その成立に深くかかわったのが滋賀県で特別委員となった恒雄さんと佐藤政孝氏で、同じ特別委員の小田泰正氏も東京都の振興策をつくる際、「図書館専門家の意見を聴く会」で意見を述べた5人のうちのひとりでした。そのことが理由であるかどうかは分かりませんけれど、滋賀県の『図書館振興に関する提言』は、全体の構成から具体的な内容にいたるまで、東京都の『図書館政策の課題と対策』とかなり似通っています。

 というわけで、滋賀県は、既存の県立・市町立図書館のブラッシュアップと、未設置の市や町への図書館の普及という、ふたつの目標に向かって歩み始めたのでした。

 

参照文献:

(1)「座談会:基本のところを歩んで」in『滋賀県立図書館創立50周年記念誌』(滋賀県立図書館、1994年)

(2)滋賀県図書館振興対策委員会『図書館振興に関する提言』(滋賀県図書館振興対策委員会、1980年)