図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

前川恒雄さんの仕事(3の3)東京都の公立図書館の振興

 1967(昭和42)年4月、美濃部亮吉(みのべ・りょうきち)氏が東京都知事選挙で勝利し、知事に就任しました。その後、氏は3期12年にわたって知事職をつとめますが、初めは「敵陣に落下傘で降り立つ」覚悟だったということです。と言いますのは、東京都で初めての革新知事であったこと、「都庁の役人は面従腹背と聞いていた」こと、などが理由でした。(1)

 そこで知事は、都庁の幹部職員として外部からつぎつぎと人材を登用します。その中に、都立日比谷図書館長に就任したフランス文学者の杉捷夫(すぎ・としお)氏がいました。杉氏は立教大学教授だったため、1969(昭和44)年1月1日付で就任したときは嘱託館長で、4月から正規・専任の館長となります。

 知事が杉館長に期待したのは、①建設計画ができていた都立中央図書館の体制と運営を確かなものにすること、②都内に小さな図書館をたくさんつくるという知事の公約の実現に協力すること、③文化政策全般について知事にアドバイスをすること、などでした。

 当時、日比谷図書館の庶務課長という立場で杉館長を補佐していた佐藤政孝氏によりますと、杉館長は「都庁の局長以上の幹部で組織する都庁議への出席が求められていました。日比谷図書館長が都庁首脳の会議のメンバーとされること自体極めて異例のこと」だったということです。(2)

 そのような中、1969(昭和44)年10月初めの都庁議で、美濃部知事がいきなり「図書館振興政策について調査研究するプロジェクトチームを発足させたい」という趣旨の発言をします。《いきなり》と言いますのは、杉館長が事前に何も聞いていなかったからでした。そのときの様子を佐藤氏は次のように書いています。

 「杉先生の方がこの知事の突然の発言には驚かれたようで、都庁議から帰られるや私を館長室に呼んで、知事発言の要旨を伝えて下さるとともに、先生は私にこうおっしゃいました。「私の経験ではこの種のプロジェクト研究が成功した例がない。この困難な時期に調査のために労力をさく余裕はない。明日にでも知事にお会いして、図書館プロジェクトの事は断念していただくようお願いしてきます。」」(2)

 けれども、佐藤氏は、知事自身の発言で取り組む政策課題だから、次の条件をととのえれば必ずうまくいくと説明して、杉館長の説得に成功します。

 ①メンバーに図書館の実務家を加える。

 ②プロジェクトの事務局を日比谷図書館で担当する。

 ③検討の過程に直接でなくとも杉館長が関与する。

 そして、杉館長は知事や関係部局と折衝してこれらの条件をすべて実現したのでした。

 この動きを受けて、東京都公立図書館協議会は会長である杉館長を通じて知事との対話を申し入れ、1969(昭和44)年11月28日、対話集会(懇談会)が実現します。出席者は、都庁側と都内の市立・区立図書館側とあわせて41名でした。そこでの美濃部知事は、集会冒頭の発言と、図書館側の説明や訴えに耳を傾けたあとの見解表明とで、次のような内容を述べました。

 ①都政の中では文化政策が非常に遅れている。

 ②本の貸出は図書館にとって中心的任務だが、文化的役割をも演ずるべきである。

 ③図書館を文化センターとし、集会活動の場を提供してもよいのではないか。

 ④「集会所、図書館、保育園、児童公園などを一緒にした福祉会館のようなものを作ることにしてはどうか。」

 ⑤そのためのプロジェクトチームをつくって、体系的な図書館の整備計画案をまとめ、教育委員会の検討を経て成案としたい。(3)

 知事の発案による図書館振興対策プロジェクトチームは、12月3日に発足しました。「企画調整局、総務局、財務局、教育庁などから参事・課長クラスが参加し、図書館関係者は北御門憲一(都立八王子図書館館長)、清水正三中央区京橋図書館館長)、前川恒雄(日野市立図書館館長)、常田正治(都立日比谷図書館副館長)および佐藤政孝(都立日比谷図書館庶務課長)が加わり、16名の委員で構成された。チームリーダーは広田宗三(教育庁社会教育部長)があたり、事務局は都立日比谷図書館庶務課が担った。」(4)

 このプロジェクトチームは、翌1970(昭和45)年4月末までの5か月間で『図書館政策の課題と対策:東京都の公共図書館の振興施策』と題する報告書をまとめ、6月の都民生活会議(都庁の局長会議)で承認されるにいたります。チームの図書館側の中心人物のひとりだった清水正三氏は、後年、これら一連の動きを《電光石火の早業》と表現しました。(5)

 報告書をまとめる過程で目につくのが、幅広い関係者から意見を聴く会の多さです。報告書に掲載されているその種の会合は、次の通りです。

 ①都立日比谷図書館協議会 2回

 ②公立図書館長代表の意見聴取会 2回

 ③図書館専門家の意見を聴く会(5名) 1回

 ④都政モニターの意見をきく会 30名にアンケート+意見聴取会(18名)

 ⑤公立図書館の利用者の意見をきく会 1回(区立・市立から35名)

 ⑥公立図書館職員の意見をきく会 2回(合計65名)

 上記③の「図書館専門家の意見を聴く会」で意見を述べた5名は、国立国会図書館の関口隆克、小田泰正、東洋大学教授の岡田温(おかだ・ならう)、流通経済大学図書館司書長の森博、日本図書館協会事務局の菅原峻(すがわら・たかし)の諸氏でした。この中で、日野市立図書館で講演をしたことがあった小田氏はのちにミスター・ジャパンマーク(Japan MARC)と言われた人、岡田氏は帝国図書館長と図書館短期大学学長の経験者、森氏と菅原氏はプロジェクトチームのメンバーだった清水・前川両氏と親しかった人で、「意見を聴く会」当時、公立図書館で仕事をしていた人はひとりもいません。けれども、これらの専門家の高説は、プロジェクトチーム内の都庁幹部、ひいては対話集会で図書館側の思惑と異なる考えを披歴した知事を翻意させる一助になったのではないかと思われます。

 上記⑤の「利用者の意見をきく会」は1970年2月18日に開かれ、利用者が「こもごも語るひと言ひと言が聞く者の胸を打ち、この日からプロジェクトの空気は一変した。思い切った政策を積極的に立案しよう」ということになったのでした。(6)

 その立案のためにプロジェクトチーム内に小委員会(5名)と専門委員会(3名)がつくられ、清水正三(区立)、前川恒雄(市立)、佐藤政孝(都立)の3氏がともに両委員会に属して何度も会合を開き、立案に従事しました。

 清水、前川、佐藤の3氏が執筆した『図書館政策の課題と対策:東京都の公共図書館の振興施策』と題する67ページからなる報告書のおもな内容は次のとおりです。

 I.図書館の現状と問題

 「東京の図書館は1年間で都民1人当りわずか0.26冊貸出したにすぎない。」

 「東京の図書館は都民1人当りわずかに0.23冊しかもっていない。」「図書の大部分は古くて使えない図書」である。

 「現在の東京の図書館は図書の貧弱さで、都民にあきらめられ、見放されている。」

 「全国の図書館に比べて、東京の図書館の最大の弱点は職員である。」「司書の資格をもった職員はわずかに25%にすぎない。」

 東京都には61の図書館しかなく、大多数の都民は図書館がどこにあるかすら知らない状態であり、東京の大部分は図書館の空白地帯である。

 「三多摩地域には17市、15町村の自治体があるが、図書館をもっているのは7市1町にすぎない。」

 「都立図書館は区市立図書館とあまり変らない活動をしている。」

 II. 都民のための図書館づくり

 1.くらしの中へ図書館を

 「区市立図書館は、都民の求める資料の貸出しと児童へのサービスを当面の最重点施策とする。」「図書館は{略}自主的な集り、集会活動を援助し、このために必要な集会室、資料を提供する。」

2.都民の身近かに図書館を

 「都民の身近かに数多くの図書館を造り、誰でも使えるようにする。」

 「地域の状況により、移動図書館による積極的なサービスを展開する。」

 「都立図書館は区市町村立図書館の活動を、書誌、調査、資料の貸出によって援助することを基本的な機能として運営する。」

 3.図書館に豊富な図書を

 蔵書は多ければよいのではなく、「問題はその新鮮さである。」

 「市区町村立図書館の蔵書は人口1人当り2冊を目標に充実をはかる。この蔵書は最近5カ年間に発行された図書が中心でなければならない。」

 資料の収集、保存、貸出などについて「都内の図書館の協力組織を作りあげなければならない。」

 4.司書を必ず図書館に

 「司書として一生仕事にうちこめる人を採用し、専門職種の一つとして位置づけ、昇格できる制度を確立しなければならない。」

 5.都民に役立つ図書館への道{略}

III. 東京都が果すべき行政課題

 三多摩地域については、区部との格差を是正するため、おおむね次のような措置をとるべきだとしました。

 ①図書館未設置の10市、人口4万人以上の町、開発の進んでいる町、などに対して図書館を設置するよう行政指導を行うこと。

 ②多摩の市町村が新たに図書館を建設するときは、建設費の2分の1を都が補助すること。

 ③既設・新設を問わず、1図書館に対して3年間の期限つきで図書購入費の2分の1を都が補助すること。

 ④青梅、立川、八王子の都立図書館は、市への移譲を進めること。

 区部の図書館振興策としては、おおむね次のような措置をとるべきだとしました。

 ①区の図書館は、運営効率を考慮した地区館、中央館の計画的設置がなされるよう行政指導をすること。

 ②図書館職員の定数基準には問題が多いので、利用状況やサービス活動に即した基準に改定すること。

 ③区立図書館には都の職員が配属されているが、都の職制の中に司書、司書補を設け、区立図書館に司書有資格者を専門的職員として採用できるようにすること。

 ④将来的には、司書職制度を東京都の専門職制度の一環として確立すること。(7)

 1969(昭和44)年12月に『東京都中期計画1970』に盛りこまれた報告書の補助金制度は1971(昭和46)年度から予算化され、都による図書館建設費の補助が1975(昭和50)年度まで、図書費の補助が1976(昭和51)年度までつづけられました。補助金制度が10年計画の途中で打ち切られたのは、都の財政が悪化してしまったからでした。

 結果はどうなったのでしょうか。

 1976(昭和51)年度までに21の自治体が補助を受けて31の図書館を建設し、187の図書館が補助金によって約85万冊の新しい本を買うことができました。この間、都内では、市民による図書館設置運動の盛り上がりなどもあって、補助金を受けずに図書館を建て、蔵書を増やした自治体も少なくありませんでした。その結果、東京都全体として、利用者と貸出冊数が以前とくらべて数倍になり、いちじるしく普及した公立図書館は都民にとって身近な存在になり始めたのでした。

 ◎ところが、『東京都中期計画1970』の図書館にかんする部分は、翌年の『東京都中期計画1971』の中で後退するように書き換えられてしまいます。いきさつは次のとおりです。

 東京都教育庁の社会教育部は、図書館の整備充実のためにできた計画を公民館にまで拡張しようとしました。その理由として考えられるのは、①もともと公民館は図書館とともに社会教育部の守備範囲であること、②美濃部知事が図書館長たちとの対話集会で、市民の集会活動のための文化センターなどに言及していたこと、です。報告書『図書館政策の課題と対策』は市民の集会活動などに触れてはいますけれど、それはあくまでも図書館という枠内での集会活動でした。

 図書館長たちに相談なく書き換えられた1970年版から1971年版への変更は、「市町村立図書館建設補助」が「市町村立図書館・市民集会施設の建設補助」へ、「中心館と地区図書館をあわせて整備」が「都民が文化活動を展開する総合的な市民文化施設として、図書館・市民集会施設を併設する」へ、というものでした。「このように、図書館整備事業であったはずのものに公民館・区民センターが乗っかった格好になってしまった」ということです。(8)

 これに対して、三多摩地区の図書館長たちは恒雄さんを先頭に、当初の計画どおりの施策を行うよう要望書の提出や陳情を繰り返します。就任いらい一貫して都の公立図書館のために尽力してきた杉捷夫日比谷図書館長は、この件にかんしても尽力を惜しまず、都の幹部職員との仲介役をし、時には副知事や局長への陳情に同行しました。『移動図書館ひまわり号』によりますと、ほぼ2年近くの粘りづよい運動の末、「補助金は図書館のために使われることになり、完全ではないが、政策は一応、「課題と対策」の線で実行された」ということです。

 ◎美濃部知事の発案から始まった東京都の公立図書館振興政策には、プロジェクトチームを構成した都庁の幹部職員から、区立・市立の図書館をよく利用していた市民まで、じつに多くの人がかかわりました。日本図書館協会や図書館問題研究会は側面から応援し、図書館を設置していなかった多摩地区の多くの教育長たちは陳情に同行しました。

 ここまで、私は都立日比谷図書館長の杉捷夫氏についてあまり触れませんでした。けれども、杉氏に深く信頼された恒雄さんや日ごろからよく杉氏と接していた佐藤政孝氏は、杉氏が都の教育庁や財政当局との折衝に際していかに苦労したかを、いくつもの事例を挙げて書き残しています。後年の恒雄さんは私のインタビュー(2013.04.19)に答えて、杉捷夫館長について次のように話しました。

 「あのころの図書館史で名前を残す人は何人かいるが、杉先生をはずしてはいけないと思う。図書館振興策をやったのは東京都内だが、全国に大きな影響を与えたのだから。影響のひとつは、滋賀県を含めていくつかの県が図書館振興策をつくったこと、もうひとつはこの一件で社会教育がかなり変わったこと。」ここでは、杉氏の果たした役割の大きさを言外に含めています。

 恒雄さんは文章や講演で杉捷夫氏をかならず《杉先生》と呼んでいました。言及する人すべての敬称を略した『移動図書館ひまわり号』でも、杉氏だけは《杉先生》です。また、尊敬する人を私が尋ねたとき、最初に挙がったのは「有山さんと杉先生」で、「《尊敬》は、ちょっと違う。そんなもんじゃない、それでは足りない」ということでした。そして、「自分は無神論者だけど、死んだらこのお二人とは会えるような気がする。たぶんお二人は褒めてくれるだろうな、と思う」とつけ加えました。

 

参照文献

(1)美濃部亮吉都知事12年』(朝日新聞社、1979年)

(2)佐藤政孝「東京都の図書館政策を実現」(『みんなの図書館』no. 166, 1991.3)

(3)「東京都の図書館政策、その軌跡」(『現代の図書館』v. 10, no. 4, 1972.12)

(4)松尾昇治「東京の公共図書館政策の一考察:1970年代における美濃部都政の図書館政策(1)」(『図書館界』v. 57, no. 6, 2006.3)

(5)清水正三「杉館長の時代」(『みんなの図書館』no. 166, 1991.3)

(6)前川恒雄『移動図書館ひまわり号』(筑摩書房、1988年)

(7)図書館振興対策プロジェクトチーム『図書館政策の課題と対策:東京都の公共図書館の振興施策』(1970年4月)

(8)松尾昇治「東京の公共図書館政策の一考察:1970年代における美濃部都政の図書館政策(2)」(『図書館界』v. 58, no. 1, 2006.5)