図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

逃避や避難の場としての図書館

 2015年、学校の夏休みが終わろうとするころ、鎌倉市図書館のツイッターに「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」「逃げ場所に図書館も思い出してね」という趣旨の文章が載り、大きな反響を呼びました。リツイートや返信の中に、「自分は図書館へ逃げ込んだことがある」という経験を書いた人もいましたね。

 

 私の手元にある1冊の講演録で、講演者の竹内悊(たけうち・さとる)氏が、事故や自殺にかんする質問に対して、アメリカの図書館のポスターを紹介しています。そのポスターの構成は、大量の本を目の前にした人が右手のピストルを自分のこめかみに当てている絵と、その下のキャプションから成っています。

キャプションに曰く、「もし貴方が自殺しようと思うのなら、おやめなさい。その代わりに、図書館へおいでください。」(竹内悊『これからの図書館員のみなさんへ』図書館問題研究会宮城支部2001年)

 この講演録の表紙にも、同じ絵と、本文よりも短いキャプション「ちょっと待って! 自殺はやめて図書館へ」が印刷されています。

 ちなみに講演者の竹内悊氏は、図書館情報大学教授や日本図書館協会理事長などを歴任された方です。

 

 たしかに、図書館は何かからの逃げ場所、避難場所となることがありました。いくつかの例をご紹介しましょう。

 

 『放浪記』を書いた作家の林芙美子が通った尾道市立高等女学校には、運動具などが転がっている小さな図書室がありました。両親が近くの町や村へ行って雑貨を売り歩いていたため、彼女は誰もいない家へ帰りたくありません。かと言って仲のよい友だちもなく、女学校を卒業するまでの4年間、彼女はほとんどその図書室で暮らしていたのでした。学校の図書室は、孤独な少女にとって逃避の場であると同時に、寂しさを紛らしながら、読書によって作家の素地をはぐくんだ場でもあったのですね。(林芙美子「文学的自叙伝」in林芙美子随筆集』岩波文庫2003年)

 

日本初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹は、京都府立第一中学校へ入学してから、以前に増して無口になりました。友だちとつきあわなかったわけではなく、頑なに自分を守ろうとする内面世界が開かれただけでした。向かったのが静思館と名づけられた学校の図書館で、少年は時間を見つけては「自分だけの世界にとじこもる最良の方法」として読書にふけったのでした。(湯川秀樹『旅人:湯川秀樹自伝』角川ソフィア文庫1960年)

 

 日本でも20冊ほどの著書が翻訳出版されているフランスの歴史家ジャック・ル・ゴフは、オックスフォード大学へ留学していたとき、流暢に英会話ができませんでした。また、それを本気で勉強する気にもなれなかったため、学寮にいる学生たちとあまりつきあわず、もっぱら図書館で過ごし、孤独な生活を送っていました。自分で「孤独な生活」と言ってはいますけれど、彼のばあいは研究に没頭するために図書館へ「逃避」していたように思われます。(ジャック・ル・ゴフ著、鎌田博夫訳『ル・ゴフ自伝:歴史家の生活』法政大学出版局2000年)

 

 図書館はまた、家業の手伝いから逃れるための隠れ蓑となることがあります。

 大野晋(おおの・すすむ)は一時、日本語はタミル語と同根であるという説を唱えた国語学者で、『日本語練習帳』がベストセラーとなって一般に知られるようになりました。

彼の父は東京の下町で砂糖の商いをしていたものの、あまり商売上手ではありません。おまけに政府の緊縮財政なども影響して売り上げが落ち、店の半分でパンの販売を始めます。当時開成中学校へ通っていた晋少年は、人通りの多い街頭で宣伝ビラを配ったり、店番することを命じられました。多感な年ごろの少年にとって、これは困ったことですね。

 「そのうちに、日暮里の学校からの帰り途に「清澄公園前」で市電を降りてしまい、二銭払って「深川図書館」に寄るくせがついた。夜九時の閉館まで図書館で遊んですごす。それから家へ歩いて帰ればもはや店番に出されることはな」く、「学校の宿題で」と言えば、「図書館行きは決してとがめられない聖域となった」のでした。(大野晋『日本語と私』河出文庫2015年)

これは家業の手伝いからの逃避の例になるでしょう。

 

 イギリスの作家コリン・ウィルソンは、若いころ徴税事務所に就職して「案の定、税金関係の職は退屈だった。通勤日には、まず「予定表A」という用紙に記入する仕事があったが、それを済ませてしまうと、あとはすることが殆どなかった。」「私は近くの角を曲がってすぐのところにあるレスター中央図書館に逃避したものだが、その回数は大目に見られるよりもずっと多かった。その上、用紙記入の仕事がない時には、就労時間中にでも読書を許された。『戦争と平和』を読んだのは、そういう時だったのである。」(コリン・ウィルソン著、中村保男訳『コリン・ウィルソンのすべて』上下、河出書房新社2005年

これは職場からの一時的な逃避の例になります。

 

 哲学者の木田元(きだ・げん)は太平洋戦争が終わる4か月ほど前の19454月、16歳で江田島海軍兵学校に入学しました。敗戦によって、生徒たちは8月下旬から汽車で帰宅し始めましたが、著者の家族や親戚はみな満洲にいて、彼の帰っていく家はありません。日本のどこにどのような親戚がいるかもわからず、困り果てていますと、彼の分隊付き教官だった今泉という人が「佐賀にある自分の実家へ行け」と勧めてくれます。教官の今泉氏はまだ江田島に残っていて、佐賀の町外れにあった今泉家には、東京から疎開してきた姉一家や復員してきた弟などもいました。居候の木田元は、食料の乏しい時期の大家族にまぎれこんで、、肩身の狭い思いをします。

「することもないので、毎日図書館にいって本を読んでいたが、これからどうしたらいいのか思いあぐねるばかり、九月七日に一七歳になったところだった。」(木田元『私の読書遍歴』岩波現代文庫2010年)

このばあいは、のちに立派な学者になる居候が、いたたまれずに図書館へ逃げ込んだ例ですね。

 

 ノーベル賞を受賞した大江健三郎氏は、1950年、できたばかりの高等学校に入学しますと、「そこでかなり苦しい目にあった。いまでいえば、運動部の連中の組織的なイジメの対象にされたのです。」そこでやむなく「図書室に入りびたって、世界文学全集を読んでいました。」見かねた先生たちのお世話で、彼は2年生から松山東高校編入学します。(大江健三郎『読む人間:読書談義』集英社2007年)

 このばあいは、学校でのいじめからの逃避ですね。

 

 アイヌ言語学者民俗学者である知里真志保(ちり・ましほ)が学校での白眼視を逃れるために図書館通いをしたという話は、当ブログの「授業よりも図書館通いをした人たち」に書きました。アイヌ出身ということが偏見の理由だったのですね。

 

 情勢がかなり変化しつつあるとは言え、性的少数者LGBTQ)もいまだに偏見や差別の対象になることがあります。

 たとえば、1993年に公開されたアメリカ映画『フィラデルフィア』は、エイズとそれに対する偏見が主題となっている作品です。HIV感染が原因で解雇されたある若い男性弁護士は、彼を解雇した弁護士事務所と闘うために図書館で調査を行います。ところが、彼をエイズ患者だと見抜いた館員が、いんぎんに個室の利用を勧めます。この館員は、ほかの利用者が嫌がることを懸念して、若い弁護士に個室の利用を勧めたのではないかと思われます。

 2008年に翻訳が出版された『場としての図書館』には、「コミュニティにおける安全な場としての図書館」という1節が含まれています。ここでは、性的少数者たちが公立図書館で「他者に知られずに蔵書に出会うこと、匿名で蔵書に出会うこと」ができるため、そこは「避難所あるいは安全なスペース」でありうるのだと主張しています。(ジョン・E・ブッシュマン、グロリア・J・レッキー編著、川崎良孝ほか訳『場としての図書館』京都大学図書館情報学研究会、2008年)

 

 そのほかにも次のような例があります。

①暑さ寒さを逃れて図書館へ行く。

この傾向は、とくに近年になって顕著になりました。熱中症で死者が出るほど夏場の気温が上がったこと、行政が省エネ・節電のためのクールシェアを呼びかけたことなども影響しているのでしょう。

②暴力を逃れて図書館へ行く。

アメリカのカリフォルニア州オークランド公共図書館では、「夏休みに入ると学校が閉まってしまうために、両親が仕事で不在の子どもや治安の悪いストリートから安全な場を求めて逃げてきた子どもが、館内で一日中過ごすケースが見られた」ということです。(カレントアウェアネスE1448、菊池信彦「公共図書館が子どもにランチを提供:夏の読書プログラムで」)

次もアメリカの話ですけれど、「国際ユダヤ人女性」Jewish Women Internationalという団体は、家庭内暴力を受けている女性のためのシェルターをつくる活動をもしています。ところが、避難する女性と子どもがほとんど荷物を持たないまま身を寄せる例が少なくありません。そこで、滞在期間が長期化する人とその子どもたちのために、団体はシェルター内に児童図書館を設置しつづけています。この団体のウェブサイトによりますと、シェルターに図書館があるのは48か所、ないのは25か所です。

このばあいは、図書館が避難の場ではなく、避難の場に図書館があるという例です。

③災害時に図書館へ避難する。

図書館の建物は、被災者の避難所となることを想定して建てられてきませんでした。ために、長期間の避難所としては役に立ちません。けれども、住民の要望で短期間の避難所として利用される例は過去にも最近でもありました。

 

 逃避とか避難という言葉には消極的なイメージがありますけれど、「図書館への逃避」や「図書館への避難」となりますと、ニュアンスが少し変わります。文字どおり何かから逃げたり何かを避けたりするだけでなく、その表現の裏に、上に見たとおり、図書館で何かの目的を達成するための口実や現実がひそんでいる例が多いからです。

 たとえば、永井荷風が「大掃除なり。塵埃を日比谷図書館に避く」と日記に書くとき、ただ塵埃や騒音から逃れただけでなく、散歩の道すがら季節の移ろいを感じ、図書館の静けさに包まれて、未見の書物の中に何かを発見しているかもしれないのです。