図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

憩いと癒しの場としての図書館

 かつての図書館は堅苦しい印象が強く、「図書館」と聞くだけで腰の引ける人もいましたけれど、最近の公立図書館は多くの人にとって気軽に行ける憩いや癒しの場となっています。

 なぜでしょうか? それは、最近の図書館には、次のような例が増えてきたからだと思います。

 

1)身近になってきた図書館

 独立した立派な建物が多かった昔の公立図書館を、敷居が高いと感じる人がいたとしても不思議ではありません。ところが、最近では便利な場所の複合施設の一部となるばあいが増えています。また、地域館・分館が増えて気軽に行けることや、口コミ情報に惹かれて行ってみた図書館を身近に感じる人が増えたのも、大きかったのではないでしょうか。

 図書館が複合施設の一部となることについては賛否両論があります。図書館が複合施設に入る利点は、次のとおりです。

 ①おおむね交通の便が良く、図書館へも行きやすいこと。

②複合施設の各構成部分が人を集め、住民は「ついでに」用をたせること。

③その結果、図書館の敷居を低く感じてもらえること。

 よく見かける複合施設のあり方は、生涯学習センターや文化センター、役場・役所、博物館や文書館、スーパーマーケットなどの商業施設、などと公立図書館との併設です。

 

2)本などの資料によるウェルカム態勢

 公立図書館は住民に資料(本、雑誌、新聞、CDDVD電子書籍など)を提供することが第1の存在理由です。ですから、幼児から高齢者までの利用者が求めるであろう資料を集め、その図書館にない資料を要求されれば、他の図書館から借りたり、新たに購入したりして提供します。

 

 図書館の書架の前で、自分の望む本を探しながら背表紙のタイトルを眺めている人は、棚から抜き出した本に、たちまち惹きつけられることがあります。これは発見の喜び、望みがかなえられた喜びですね。あるいは、漱石の『虞美人草』で甲野さんが妹の藤尾に言った言葉、「驚くうちは楽(たのしみ)がある」の一例かもしれません。

そのことは同時に、その本の著者と出版社にとっても、その本を図書館の蔵書に加えようと選んだ館員にとっても、喜ばしいことに違いありません。図書館は、本を読んでほしい人と読みたい人との、幸せな出会いの場なのです。

 この幸せな出会いが多ければ多いほど、訪れる人の気持ちがなごみ、図書館は憩いと癒しの場となってゆきます。

 

3)職員によるウェルカム態勢

 かつて、東京図書館帝国図書館国立国会図書館でいやな思いをした経験を書き残している人がいます。たとえば、

 初めて行った上野の図書館は「いかにもお役人風なところばかり」で、若い出納係の男がいやに威張って人の顔を見るので腹を立てた宮本百合子(『日記』1913年)。

上野の図書館へひと夏で紅葉全集を読み通すつもりで行ったけれども、1日目か2日目でいやになってしまったのは吉屋信子 (『処女読本』1936年)。なぜなら、「小使みたいな人まで官僚的でゐばってゐるよう」だったから。

そこの食堂が「おかしな官僚ぶり」をもっていると書いた 徳永直(『光をかかぐる人々』1943年)。

国立国会図書館をひどい図書館だと思ったのは 井上ひさし(『本の運命』1997年)。なぜなら、借りるのに手間と時間がかかり、コピーに制限があり、館員が威張っていて、自分にあらぬ疑いをかけたりするから。

 

今の公立図書館のだいじな原則は、誰でも、開館時間中ならいつまでも、1日になんどでも、利用者を歓迎することです。そのため、館員はおおむね親切で、館内が利用者にとって居心地のよい場であるように気を配っています。

 

つい先日の『読売新聞』に次のような主旨の投書が載っていました(20181218朝刊の「気流」欄)。書いたのは奈良県宇陀市の主婦で自営業をしている高岡成子さん。

自宅近くの公立図書館が期間限定で開館時間の延長をしたので、何度か行ってみたところ、「夜はすいていて何とも落ち着く」「不思議なことに、多くの方が受付で職員さんと短い会話をされている。「ここに来るのが一番幸せ」という言葉も聞こえてきて、私も幸せな気持ちになれる」ということでした。

 

私がときどきお世話になっている京都市の小さな図書館では、入館者に対してカウンターの館員が必ず「おはようございます」か「こんにちは」と声をかけています。私も同じ言葉を返します。この簡単な挨拶ひとつで、尖ってもいない私の気持ちがいっそうなごむのですから、不思議なものですね。

 

4)いろいろなことができる館内

 今の公立図書館の多くは、暑さ寒さをしのぎやすい冷暖房、現代風のインテリア、タイプの異なる椅子、目的別のさまざまなスペースなどによって、館内を居心地のよい空間にしています。

 公立図書館にあるのは、次のようなスペースです。ただし、どの図書館にも下記のすべてがあるわけではありません。

 閲覧スペース 児童用のスペース 学習スペース

 展示スペース 行事用のスペース 視聴覚スペース

 休憩・飲食・談話のスペース たたみスペース カウンター

 それぞれのスペースで、利用者が何かをしています。飽きたり疲れたりすれば、別のスペースへ移るもよし、いったん館外へ出るもよし、自由自在です。

 

 このように、公立図書館は、一定の属性をもった人たちだけが行くところではなく、その地域の老若男女が集う場となっています。ために、そこは、にぎわっていても静かなところ、動きの少ない人でも神経を集中しているところ、表情に出さなくても人が楽しんでいるところ、それらの人びとのかもし出す雰囲気の中で、心を休ませられるところ、元気を取り戻せるところなのです。

 

 作家の田山花袋は、20歳のころからの数年間、週に23度は上野の図書館へ行き、5銭を出して特別閲覧室で本を読んだり空想にふけったりしました。彼には図書館へ行くもうひとつの理由がありました。そこに彼の好きな先輩が必ずいて、食堂へ行って話をするのが楽しかったのです。そして、こう結んでいます。「過ぎ去った昔よ、なつかしい昔よ。」(田山花袋上野の図書館in『東京の三十年』講談社文芸文庫1998年)

 

 公立図書館は、住民の身近にあって、適切な資料とスペースがあり、ウェルカムの気持ちをもった職員がいれば、利用者が増えてゆき、地域のみんなでつくりあげる憩いと癒しの空間に育ちます。