図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

図書館の本を隠す人たち

 かつて図書館の本を隠す人たちがいましたし、今もいます。その理由はさまざまで、方法もさまざまです。隠す人の大部分は図書館の利用者ですが、たまに図書館の職員も本を隠します。以下、隠す理由ないし目的ごとにご紹介しましょう。

 

特定の本を読ませないようにするため

 本吉理彦「カナダにおける「図書館の自由」への圧力」によりますと、1988年にカナダの公共図書館を対象に行われた検閲に関する調査では、「約10%の図書館が蔵書の紛失、盗難、汚損、切り取り、破損などのうち、他人に当該資料を見せないようにする試みと疑える事例を経験していた」ということです。(カレントアウェアネス833、19921020)

 

 2007年8月、メイン州アメリカ)で「ある女性利用者が、この図書{性教育に関する図書}を児童向けコーナーに置いていた2つの公共図書館から借りたまま、返却を拒否するという事件が発生しました。この利用者は「内容が子どもに不適切」だとして、資料の代金(20.75ドル)が記された小切手とともに、図書館に抗議する文書を送りました。」

 図書館は彼女に小切手を返し、意見を出すように求めましたが、返事がなく、「この事件が新聞等で報じられたことから、両館にはこの図書へのリクエストが殺到し、両館は新たに2部ずつ購入することにしたそうです。」(カレントアウェアネスR、20070925)

 

 つづいて図書館員が本を隠した例です。

 1973年8月、新築開館したばかりの山口県立山口図書館で、開架書架にあった約50冊の本が、段ボール箱入りで書庫の奥に隠されているのが発見されました。ある職員が何気なく箱を開けてみますと、「最上部に破損本が数冊載せてある下に、共産党関係、社会主義運動、教科書問題、在日朝鮮人問題、仁保事件、反戦平和運動などの、破損本でない資料が収められていた」のでした。

 これがマスコミの知るところとなり、館長以下の幹部職員が弁明しましたが、説明が一貫せず、「年末には館長以下3名が県教育委員会より「県民の疑惑と不信を招いた」として行政処分を」受けました。(1)

 

 次は、正当な理由もなく職員が図書館の本を捨ててしまった例です。

 2001年8月、「船橋市西図書館に勤務していた司書資格を持つ職員Aは、「新しい歴史教科書をつくる会」やこれに賛同する者等の著作107冊を、他の職員に指示して手元に集め、コンピューターの蔵書リストから除籍する処理をして廃棄」しました。

 この事実を2002年4月に『産経新聞』が報じて問題が明るみに出ますと、5月になってその職員は、自分が廃棄したことを認める上申書を船橋市教育委員会委員長に出し、処分を受けました。

 ところが、廃棄された本の著者8人と「新しい歴史教科書をつくる会」は、「著作者としての人格的利益等を侵害されて精神的苦痛を受けたとして、船橋市に対して国家賠償法1条1項に基づき、また職員Aに対して民法715条に基づき、慰謝料の支払を求めて東京地裁に提訴」しました。

 裁判は最高裁判所までつづき、2005年7月、最高裁第1小法廷は原告の請求を認めて控訴審判決を破棄し、高裁に差し戻しました。要するに、船橋市と職員A氏は敗訴したわけです。(2)

 

 フィクションの登場人物の中にも、図書館の本を隠す人たちがいます。有川浩図書館戦争』や『図書館内乱』、ウンベルト・エーコ薔薇の名前』などで図書館の本が隠されます。いずれもミステリー的な要素のある作品ですが、とくに『薔薇の名前』では、修道院の図書館にある1冊の本が、あからさまに書かれていない攻防の焦点となっています。

 

戦火から守るため

 戦争や内乱が起きますと、人の命だけでなく、由緒ある建造物、貴重な美術品や蔵書なども、危険にさらされることがあります。図書館のばあい、建物や蔵書全体を避難させることはむずかしいので、貴重な本を選んで別の場所に移さざるをえません。そのため、戦火を免れるために本を隠す努力が昔からつづいています。

 

 太平洋戦争の末期、日本の各地がアメリカ軍の空襲にさらされ、多くの人命と住居を失う中、図書館の貴重な蔵書が僻地に隠されて焼失をまぬがれました。

 1943年12月22日、文部省が都道府県の中央図書館長らを集めた会議で、貴重な図書の疎開をすすめるよう指示を出しました。これに先立つ1943年11月、帝国図書館の13万冊以上の貴重な資料が県立長野図書館に移されていました。

 日本で図書館蔵書の疎開が本格的になったのは終戦の年の1945年で、県立図書館と大きな市立図書館が降伏宣言のまぎわまで疎開作業をしたのでした。また、東京帝国大学明治大学などの図書館でも蔵書の疎開を行いました。

 

 第二次世界大戦では、激戦の舞台となった外国でも同じことでした。イギリス、ドイツ、フランスで国立図書館などの貴重な資料を中心に疎開が行われました。今世紀に入ってたびたび戦場となったイラクでは、空爆から本を守るためおよそ3万冊の本を自宅に隠して守りとおしたバスラという町の女性図書館員が絵本に描かれています。(3)

 

危険をおかしても図書館の本を読むため

 ここでは、非常事態におちいった人たちが秘密の図書館をつくり、危険におびえながら本を読んだふたつの例をご紹介します。

 最初は、アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳『アウシュヴィッツの図書係』(集英社クリエイティブ、2016年)に書かれている極小図書館の実話です。

場所は、第二次大戦下のポーランドにあったアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。本を隠してあるのは、アウシュビッツで唯一子どもを収容している31号棟。この棟の責任者である青年ヒルシュの個室の床下に掘った小さな穴が、いわば書庫です。

本は地図帳、『幾何学の基礎』、『世界史概観』、『ロシア語文法』、『精神分析入門』など、全部で8冊しかありません。これらの本を収容所内の「授業」で使うため、毎日、衣服の内側に隠して出し入れする図書係が必要でした。その危ない係を任せてほしいと申し出たのは、ディタという名の14歳の少女でした。

 収容所内に本を持ちこむことは禁じられていましたので、もし監督する親衛隊(SS)に見つかれば、ヒルシュにしろディタにろ、「一巻の終り」となります。

 けれども、秘密は漏れることなく、本は収容されている子どもたちにとって「鉄条網も恐怖もない暮らしの象徴」となっていったのでした。

 著者は「あとがき」に書いています。イスラエルに住んで80歳になっていたディタと会って話を聞いた「この物語は事実に基づいて組み立てられ、フィクションで肉付けされている」と。

 

 次は、デルフィーヌ・ミヌーイ著、藤田真理子訳『シリアの秘密の図書館』(東京創元社、2018年)に書かれている、これも実話です。

秘密の図書館が誕生したのは、いつ果てるとも知れない内戦がつづくシリア、首都ダマスカス近郊の町ダラヤ。時は2013年初め、アサド政権下のこの町に図書館はありません。

 青年アフマドは、友だちに応援を頼まれます。爆撃で破壊された建物のがれきの下から本を取り出そうというのです。

 「学生、活動家、反逆者など、全部で四十人ほどのボランティアが飛行機が沈黙する隙を狙って残骸を掘りに行った。一週間で六千冊の本を救い出した。すごいじゃないか! 一カ月後、集められた本は一万五千冊になった。」

 相談した結果、集めた本で秘密裡に運営する公共図書館を立ち上げることになりました。「名前もつけられず、看板も出さない。レーダーも砲弾も届かない地下の空間で、そこの利用者が集まってくる。」だから、「秘密の公共図書館」なのでした。

彼らは本棚をつくり、汚れを落とした本をテーマ別に並べ、地上の窓ぎわに砂袋を積みました。発電機が地下の暗闇に灯りを届けてくれます。そして、それぞれの本の「最初のページにもとの持ち主の名前がていねいに手で書き込まれた。」死んでしまった人もいますけれど、「戦争が終わったら、それぞれの持ち主が取り戻せるように」したかったからです。

 残念なことに、2016年8月、著者とメールで連絡をとりあっていた青年アフマドから、ダラヤを脱出するというメッセージが届きました。最後の補給源だった隣町に通じている道路が封鎖され、ダラヤが孤立したからです。若者たちの心に希望と潤いをもたらしていた小さな図書館の本は、その後、政府軍の兵士の盗みによって消え失せてしまったのでした。

 

参照文献:

(1)日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編『図書館の自由に関する事例33選』(日本図書館協会、1997)

(2)山家篤夫「船橋市西図書館の蔵書廃棄事件について(対応報告)」(日本図書館協会図書館の自由委員会のウェブサイト、報告の日付は20070520)

(3)ジャネット・ウィンター絵と文、長田弘訳『バスラの図書館員―イラクで本当にあった話』(晶文社、2006年)

 マーク・アラン・スタマティ著、徳永理砂訳『3万冊の本を救ったアリーヤさんの大作戦』(国書刊行会、2012年)