図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

ピウス11世 (Pius XI, 1857-1939)

 1984年9月のある日、モントリオールのシェルブルック通り上空で、3機のヘリコプターが轟音をひびかせていました。通りの歩道には、教皇ローマ法王ヨハネ・パウロ2世を歓迎する人があふれ、私はひとりの野次馬としてその光景をながめていました。

 多くのパトカーと白バイにまもられた教皇のパレード車が近づきますと、人びとは車道へはみ出してゆき、歓声と拍手で教皇を迎えました。透明な防弾壁の中にいる教皇の姿を見ることができたのは、わずか10秒前後だったでしょうか。

 それでも、歩道やビルに戻ってくる人びとのみちたりた表情は、人口わずか800人ほどのバチカン市国の元首が、というよりも教皇という存在が、キリスト教徒にとってこの上なく深い敬愛の的であることを納得させるに十分でありました。

 

 さて、話は教皇ピウス11世(在位1922年-1939年)についてです。

 ミラノ近郊のデジオで生まれた彼は、本名をアンブロージョ・ダミアーノ・アキッレ・ラッティといい、ローマにあるグレゴリアン大学で神学、哲学、教会法の3つの博士号を取得しました。司祭助手や神学校の教師を経験したあと、1888年、ミラノにあるアンブロジアーナ図書館に招かれます。

 この図書館は1607年に設立され、世界でもっとも早く一般公開された図書館(1609年に公開)のひとつということです。蔵書は、ギリシア語ラテン語、イタリア語、オリエント諸語の写本が中心でした。アキッレ・ラッティがここに招かれたのは、彼の研究の専門領域が古代・中世の教会古文書学だったからでした。

 アキッレ・ラッティはこの図書館に1911年まで、23年にわたって勤めます。その間、1907年に図書館長に就任し、手書き写本などの修復や分類のやり直しなどを計画的に実行していきました。

 

 アンブロジアーナ図書館での業績が認められたのでしょうか、1911年、彼はピウス10世(在位1903年~1914年)に招かれてヴァチカン図書館の副館長になり、1914年には館長に就任します。

 ですが、ピウス10世の後任となったベネディクトゥス15世から打診された進路の変更をうけいれて、1918年、教皇大使となってポーランドへ赴任します。この時点で、足かけ30年に及んだアキッレ・ラッティの図書館員生活は終止符をうつことになったのでした。

 

 1921年ワルシャワから戻り、短期間にミラノ大司教枢機卿を歴任した彼は、1922年に教皇に選ばれてピウス11世を名乗りました。ヴァチカンが1929年に世界で最も小さな独立国となったのは、ピウス11世がムッソリーニ政権と粘り強い交渉をした結果でした。

 

参考文献:

マシュー・ハンソン『ローマ教皇事典』(三交社、2000年)

Pope Pius XI (en.wikipedia.org, accessed 2018.6.21)