図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

莫言(ばくげん 1955-)

 1955年、中国の海沿いにある山東省高密県(いまは高密市)の農家に4人きょうだいの末っ子が生まれ、管謨業(かん・ぼぎょう)と名づけられました。のちにノーベル文学賞を受賞する莫言氏です。

後年、子ども時代を回想した氏は、いくつかの「飢え」について語っています。

 

    第1は文字どおり食べ物にかんする飢えです。

 家は中農ということなので、とりわけて貧しかったわけでもありますまいが、よその畑の作物を失敬したのが発覚して、親からきつい折檻を受けたエピソードも披露していますので、飢えの記憶は本当なのでしょう。

 

 第2は本にかんする飢えです。氏は次のように言っています。

 「当時の私たちの辺鄙で後進的な地方では、書籍もまだ十分に、滅多に見られぬ贅沢品たりえました。私たち高密東北郷十数カ村の、どの家にどんな本があるのかを私は基本的に掌握していました。」

 「私の幼少期にあっては、私は莫大な代価を払って、周囲十数カ村の本をすべて読み終えたのです。当時の私は記憶力が良くて、読書の速度が驚くほど早く、しかも一度目を通せばほとんど忘れなかったのです。」

 この「莫大な代価」の一例は、となり村の石工の家にあった『封神演義』1セットを読ませてもらうために、何日もその家で「石臼を押して小麦を粉にし、午前中いっぱい小麦を引いて、ようやくこの本を二時間読ませてもらった」というものです。(1)

 

 第3は会話にかんする飢えです。

 少年は小学校5年生のときに舌禍事件を起こして学校から追放されてしまいます。通学しなくなった彼は、家の牛や羊の放牧をさせられます。家畜が喜ぶ草地には家族も学友も、誰もいません。一日中ひとりぼっちです。頭の中には言葉があふれるほど詰まっているのに、それを聞いてくれる人がいないのですね。

 「私は幼少期から真実を語る勇気は少なくなく、真実を語るのが私の天性とさえ言えるでしょう。しかし私の勇気と天性とは少年時代に挫折し抑圧を受けました。それはひと言でも言い間違えれば災難に見舞われる時代でしたので、私の母は私の話し好きの天性をとても心配したもので、何度も言葉を慎むようにと注意していたものです。これもその後に私が莫言(言う莫かれ)と名前を改めた理由なのです。」(2)

 莫言とは、本名の管謨業の「謨」の字をふたつに分け、母の気がかりといましめをペンネームに込めたものです。

 

 このような少年だった莫言氏は、いくつかの仕事を経験しながら、余暇には、お兄さんが家に残していた学校の教科書や近くの村人から借りた本を読んでいました。また、近くに住む文学通の人の話に耳をかたむけ、創作への夢が強められます。

 

 1976年、彼はかねて望んでいた人民解放軍への入隊を許可するという通知を受け取ります。すでに砲火を交える戦争はありません。彼は軍隊にいて、数点の文学雑誌を購読し、近くの図書館から多くの小説を借りました。

 

 やがて彼は、峡谷の基地に駐留する部隊へ移り、高校を卒業したばかりの新人に基礎的な軍隊技術を教える小隊長となります。ですが、彼自身の技術があまりにも貧弱だったので、訓練生は誰ひとり兵士として入隊することができなかったということです。軍事教練をうまくこなせなかった莫言氏は、内務事務員兼図書館員としてその部隊に残されます。これは文学作品の創作をめざす氏にとって、もっけの幸いでした。

 

 「内務事務員兼図書館員としての仕事は読書をするための私的な空間を与えてくれ、私は図書館にある数千冊の本によって水中の魚のようでした。やがて、上官は私を理論指導者に指名します。それは2つのクラスの学生に哲学と政治経済学を教える責任をもつものでした。この2つの主題は私になじみのないものでしたが、その立場は昇進の条件を生みだすので、私は奮起して任務を引き受け、授業の準備のために夏休みを利用して図書館にある哲学と政治経済学の本をできるかぎりたくさん読んだのでした。」(3)

 

 1980年代の前半、莫言氏は人民解放軍の図書館員をしながら、1981年9月の『雨降る春の夜』を皮切りに、つぎつぎと話題作・名作を発表するようになります。

 ノーベル文学賞を受賞したのは2012年ですが、そのかなり以前から氏の作品は世界各国語に翻訳されていました。

 

参照文献:

(1)「フォークナー叔父さん、お元気ですか?」in 莫言著、林敏潔編著、藤井省三・林敏潔訳『莫言の思想と文学』(東方書店、2015年)

(2)「わが文学の歩み」in 莫言著、林敏潔編著、藤井省三・林敏潔訳『莫言の思想と文学』(東方書店、2015年)

(3)Biographical: Mo Yan - The Story of My Life / www.nobelprize.org (Accessed 2018.6.4)