図書館ごくらく日記

図書館に関するいくつかのトピックス

同じ本を利用する人たち

 

 図書館にはたくさんの本がありますのに、特定の本に利用が集中するばあいも少なくありません。とくに、話題になっている新刊の小説には、ひとつの自治体の図書館に数百件の貸出予約が殺到することもあって、文芸書中心の出版社や一部の作家などから、20世紀末以降、公立図書館への批判が寄せられる事態になっています。この件については、遅まきながら、いずれ私も発言しようと考えています。

 

201511月末、私が村上春樹氏の『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング20159月)を京都市図書館で貸出予約しようとしたところ、市の図書館全体(15館+1移動図書館)で17部あり、予約が132件入っていました。ほぼ1か月後の12月末にもう一度調べますと、部数が18部、予約件数が129件と、状況はほとんど変わっていません。急いで読む必要がなく、買いたいとまで思わなかった私は、ほとぼりのさめるのを待つことにしていたところ、ある日、妻が買ってきてしまいました。

 

 青少年読書感想文全国コンクールをご存知の方、多いのではないでしょうか。国学図書館協議会毎日新聞社が主催するこの読書感想文コンクールは、小学生から高校生までが応募でき、もう60年以上つづいているからです。

 感想文を書く対象となる本は、「主催者が指定する課題図書」と「応募者が自由に選ぶ図書」の2種類です。多くの公立図書館では、この課題図書をそれぞれ複数冊用意しておき、夏休みが始まる前から終わるまでのあいだ、コンクールに応募する児童・生徒がそれらを読めるようにしています。

 中には、貸出期間をふつうの本より短くしたり、貸出をせずに図書館の中で読んでもらうようにしたり、工夫している図書館もあります。これも特定の本に利用希望が集まる例のひとつでしょう。

 

 全国から秀才を集めていた第一高等学校に、畔柳芥舟(くろやなぎ・かいしゅう)という名物教授がいました。英語の先生です。哲学者の三木清はその先生の授業の思い出を次のように書いています。

 「高等学校時代には、私は畔柳郁太郎{=本名}先生から英語を習つたが、先生は生徒に必ずウェブスターとかセンチュリーとかいつた大きな辞書で調べてくるやうに命ぜられた。それを一々引くのは面倒な仕事であつた。そのうへ私どもは誰もそのやうな高価な辞書を自分で持つてゐなかつたので、学校の図書館へ通はねばならなかつたのである。そんなわけで、小さな英語辞書、英和辞典でさへ間に合ふものを、わざわざウェブスターやセンチュリーを引かせることは、あまりにペダンチックではないか、などと云つて、私どもは内々不平であつた。しかし今にして思ふと、もしあの当時、辞書が読み物であるといふことが分つてゐたら、私どもはどんなに多くの利益を得てゐたことであらう。」(「辞書の客観性」in『日本の名随筆 別巻74:辞書』作品社1997年)

 

 三木と同じ時期に畔柳先生の授業をうけたジャーナリストの松本重治も、ほぼ同じことを書いています。

 教科書はディ・クインシーの『オピアム・イーター』、進度は1学期に3ページがやっと、「先生は一人一人に言葉の意味をつぶさに質問する」ため、「「あしたは畔柳の時間」という日は、みんな図書館に二時間ほどこもり、ウェブスターの辞典を取り合いで単語の意味を調べ上げたものだ。どんな小さな言葉でも、それをみんな知らなければいけない」のでした。(松本重治『聞書・わが心の自叙伝』講談社1992年)

 

 さかのぼって福沢諭吉の『福翁自伝』にも似たような話が載っています。江戸時代、緒方洪庵が大坂(今の大阪)に開いた適塾でのことです。

 塾生は塾で起居をともにしながら学びますが、塾に備えつけの書物は、オランダから取り寄せた医学書と物理学書の2種類のみ、2冊の辞典を含めて10冊に満たない状態でした。塾生は少しオランダ語が分かるようになると、割り当てられた部分を訳し説明する会読という勉強法に移ります。会読本の分からないところを「一字半句も他人に質問するを許さず、又質問を試みるやうな卑怯な者もない」というわけで、会読の前日ともなると、辞典を置いてある部屋に「五人も十人も群をなして無言で字引を引きつつ勉強して居る」。(福沢諭吉福翁自伝』角川文庫、1953年)

 

 これらは明治時代の学校図書館と江戸時代の私塾にあった図書室で、同じ辞典を奪い合うように使った例です。現在の日本の公立図書館では、調べ物をするための本(参考図書)を奪い合うように使うことがほとんどないでしょう。

 

 小説の中には、図書館で同じ本を利用するという小さな出来事をきっかけにして、ふたりの人物を結びつける設定が、たまに見られます。

 

 エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』では、語り手がパリのモンマルトル街にある図書館でC・オーギュスト・デュパンという人物と知り合います。デュパンは事件の謎をとく素人探偵で、シャーロック・ホームズの原型となったと言われています。

 

 イギリスの作家ウィリアム・サマセット・モームの『魔術師』(ちくま文庫1995年)では、ロンドンからパリにやってきた青年外科医アーサー・バードンが、父の無二の親友である老医師ポロエ博士と歩いていて、魔術師オリヴァ・ハドゥとすれ違います。博士はアルスナル図書館でハドゥと知り合ったと明かします。いきさつは次のとおりです。

 博士がその図書館で調べ物をしていて、典拠が見つからず、司書にたずねてもわからず、あきらめかけていたところ、ハドゥ氏が博士の捜していた本を持って現れたのでした。

 

 ウンベルト・エーコフーコーの振り子』(文藝春秋1993年)では、話者=主人公である30歳過ぎのカゾボンが、ヴァカンスに入ったミラノの図書館で1冊の本をめぐって若い女性と軽い口論となります。それがきっかけで、ふたりはのちに偕老同穴の仲となるのでした。

 

 有川浩(ありかわ・ひろ)氏の『阪急電車』(幻冬舎2008年)にも、図書館の棚にある1冊の本の争奪戦がきっかけで交際を深めていく若い男女の話が含まれています。